朝ドラ【風、薫る】大塚直美(上坂樹里)に「何がしたいの?」と突きつけた宣教師・メアリーの実在モデルは?

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朝ドラ【風、薫る】大塚直美(上坂樹里)に「何がしたいの?」と突きつけた宣教師・メアリーの実在モデルは?

『This   is  my  life』……自分で考えて自分の意思で選ぶ人生。

NHK朝の連続テレビ小説『風、薫る』。根底にはこのテーマが流れているようです。

「看護婦」という職業の道を切り拓いた実在の人物、大関和鈴木雅をモデルにしたドラマは、早くも新章に。

急速に文明開花が進む明治時代の日本ですが、まだまだ古い価値観・差別・偏見がはびこっていました。

厳しい現実にぶつかり悩みつつも、一ノ瀬りん(見上愛/和がモデル)と大塚直美(上坂樹里/雅がモデル)の二人は「This   is  my  life(自分の人生)」に出会うべく手探り状態で歩み始めたようです。

そのきっかけを与えたのは、「鹿鳴館の華」こと大山捨松(多部未華子)と、宣教師のメアリー(アニャ・フロリス)。

前回の記事では、実在の人物で、看護婦教育・女子教育への支援に尽力した大山捨松をご紹介しました。

朝ドラ『風、薫る』学問を武器に!日本初の看護婦学校を作った実在人物、大山捨松(多部未華子)の激動の生涯

今回は、宣教師のメアリーについて紹介します。

「風、薫る」公式Xより

※現在では「看護師」と呼びますが、ドラマの時代設定に合わせこの記事では「看護婦」という名称にしています。

直美に突きつけられた「あなたは何がしたいの?」

ドラマでは、りんは、那須の村で捨松と遭遇。転んで怪我をしたりんに駆け寄った捨松が傷口を水で洗い真っ白なハンカチを巻いてくれます。

手際のいい手当て(実際、捨松はアメリカで大学卒業後に看護婦の免許を取得しています)、美しい西洋のドレス姿、歳の離れた夫と交わすフランス語に呆然とするりん。

「こんなに新しい女性もいるのか」と刺激を受けた様子でした。

そして、メアリーは直美がお世話になっている教会の宣教師です。公式サイトでは「直美を見守る宣教師」とあり特に断定はされていないようなのですが、明治時代にアメリカから派遣された実在の宣教師マリア・T・トゥルー(マリア・ツルーとも)がモデルとの推測がされています。

メアリーが架空の人物にしても、マリアをモデルにした人物にしても、実際、マリア・T・トゥルーは、大関和と鈴木雅が通う「桜井女学附属看護婦養成所」を開設した人なのです。

ドラマでは、メアリーはインドに布教活動のために旅立ちます。「自分も連れていって」と頼み込む直美に、「インドに行って何をするの?」「日本から逃げたいだけ?」と問うメアリー。

そして「私はインドに布教をしにいく。アメリカには戻らない。『This   is  my  life』」と。

メアリーの言葉が刺さった直美は、「海外に行って、それから自分は何をする?」を考えてもいなかったことに気がついたようです。

「『英語を話せるようになりたい!』という人は多いが、『その英語で、あなたは何を話したいの?』と聞くと答えられない人が多い」とよくいわれる言葉を思い出しました。

「何をしたいのか」決めないまま、新天地に逃げても、何もできず何も変わらずでは、『This   is  my  life』とは程遠いままでしょう。

「変な日本語」を使う面白い宣教師・メアリー

ほんわかムードのりんとは正反対で、キッとした眼差しが「いい面構え」の直美。生後間も無く、母親に教会の前に捨てられ教会を転々としてきました。

そんな直美を4年間前に引き取り、いつも見守ってきた牧師の吉江善作(原田泰造)と、宣教師のメアリー。直美に英語を教えているのですが、メアリー自身は「変にマニアックな日本語」や「口の悪さ」が面白い。

『出世頭』とか『玉の輿』とか、貧困に悩む直美が「今月は(金銭的に)厳しくて…」というと『カツカツですか?』とつっこむ。

いったいどこでそんな言葉を覚えたのでしょうか。

さらに直美が職場を理不尽にもクビになった話を聞いて、怒るメアリー。

『そんな男!ろくな死に方しません!』と毒づきます。宣教師というイメージとは異なる面白いキャラクターです。臆さずにまっすぐ意見を述べる様子は、志が高く努力を怠ることなかったというマリア・T・トゥルーを思わせるよう。

メアリー、直美、吉江 NHK「風、薫る」公式サイトより)

女子学院の草創期に活躍したマリア・T・トゥルー

ちょっと「変」な宣教師、メアリーを演じるのは、アメリカ・コネチカット州出身の声優・シンガー・ナレーターのアニャ・フロリスさん。NHKラジオ語学番組「中学生の基礎英語レベル2」のスタジオパートナーも務めたそうです。

メアリーのモデルではないかと推測される宣教師マリア・T・トゥルーは、1840年12月17日、米国のニューヨーク州で誕生しました。15歳の頃に起こったリバイバル(敬虔な信仰者の急速な増加を伴う信仰運動)をきっかけにキリスト教に入信します。

その後、アルバート・トゥルーと結婚し伝道活動を始め、夫の死後、1874年に孤児アニーとともに日本に来日したマリア。

伝道活動をしながらも原女学校、新栄女学校を経て、東京の麹町中六番町にあった『桜井女学校(現在の女子学院の前身)』の経営を引き受けます。

当時の学生は、髪を結う必要もない束髪・洋装スタイルだったそうで、上流階級の女性もいれば下町の親分のおかみさんがいたりなど、「神さまの前では皆が平等」な校風だったようです。

現在でも女子学院中・高は「自分で自分を治める」生徒の自主性を重んじ、私立女子校としては珍しく、校則も制服も決めていないそうです。

婦人一致海外伝道局より中国宣教に派遣された頃の、メアリー・トゥルー(wiki)

女性教育や社会進出が遅れていた日本に「種を蒔く人」

さらに、マリアは、日本で看護婦養成学校を設立するため本国に働きかけます。しかしながら、在日医療伝道宣教師・医師のヘボンらは「訓練を受けた看護婦を雇うのは金持ちができる贅沢。日本は看護婦を必要とする文明程度にはない」と反対します。

けれど、マリアは「家の中で病人が出たとき、日本の婦人たちは快適さと世話に対して喜んでお金を支払う意志がある」と反論。

新しい社会を作るために女子教育に燃える女性宣教師と、古い価値観の男性宣教師との確執のすえ、ようやく明治19年(1886)「桜井女学 附属看護婦養成所」を開設します。

りんのモデル・大関和はその看護婦養成所に入学、同期には直美のモデル・雅もいました。

マリアはそれ以外にも、体調を崩した女性を静養させる「衛生園」という女性用療養施設に着工したり、桜井女学校内に幼稚保育科女子独立学校を設置したりなどに奔走しました。

さらに、閉鎖の危機に陥った看護婦養成所の存続のために尽力したものの、明治29年(1896)に体調を崩し衛生園にて51歳の生涯を終えました。

前列右より二人目が大関和。桜井女学校卒業記念のものと推定(wikい)

マリアは、日本に女性の教育や社会進出のため「種蒔く人」でした。

「女子学院」の公式サイトには、マリアの人柄についての紹介が書かれています。

「あらゆる人の美点を見つけてこれを伸ばそうとする人」
「不屈の気持ちを持ち、一度志したことは必ず貫いた人」
「砂の中にダイヤモンド」

マリアは常々女学生たちに「志を高く持ち、高い理想を実現するには真の力を養成する努力は必要だ」と説いていました。

「己の務めを怠り、己の為さざる可らざる事をなさずして送るは尤も大なる苦痛」というメレー・ライオン(女子教育の先駆者)の言葉を自らの信条として語っていたそうです。

当たり前のことのようですが、女性の活躍への逆風が厳しい時代、後世まで語り継がれる偉業をなした人の言葉は重みを感じます。

アメリカにおける女子教育の先駆者メアリー・メイソン・リヨン(メアリ・ライオン)wiki

ドラマでは、メアリーに諭されて教会から離れる直美。

同じ頃、りんは「奥様になる=とびきりの人生のあがり」と考え嫁いだものの夫・亀吉(三浦貴大)は、偏見と差別の塊のうえに酒浸りのマザコンというどうしようもないクズ男だったので、別れることを決意。

今回も「また間違った」ことに気がついたのでしょう。新しい道に進む決意をしたようです。そんな二人は道端で偶然出会いました。

最後に

マリア・T・トゥルーがモデルと思われるメアリー、実在の人物そのままの大山捨松。

酸欠の水槽の水面で口をぱくぱくする金魚のような生き方から、新しい道を探し始めたりんと直美。

日本に「看護」という新しい道を切り開いた彼女たちの『This   is  my  life』に共感する同士が集まり、困難にぶち当たりながらも世界を広げていくのかと思うとこの先が楽しみです。

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参考:

一般遮断法人キススト教学校教育同盟HP:女子教育とキリスト教
女子学院HP公設サイト:大関ちかの歩みをたどって
『女たちの約束―M・T・ツルーを日本最初の看護婦学校』亀山未知子著

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