朝ドラ『風、薫る』短い人生を駆けた異才…シマケンこと島田健次郎(佐野晶哉)の実在モデル・鄭永慶の生涯
NHK朝の連続ドラマ『風、薫る』。
ヒロインの一ノ瀬りん(見上愛/大関和がモデル)は、彼女の口ぐせ「また間違った!」通りに、モラハラマザコンの奥田亀吉(三浦貴大)と間違って結婚。けれど、夫に見切りをつけ幼い娘を連れて東京へと乗り出しました。
……とはいうものの、家も職も食べるものもなく露頭に迷ったりん母娘。
バディとなる大塚直美(上坂樹里/鈴木雅がモデル)と出会い、教会の「炊き出し」と「士族の誇りが何の役にも立たない」ことを教えられます。さらに、舶来品を扱う瑞穂屋の主人、清水卯三郎(坂東彌十郎)と出会い、活路が開けました。
朝ドラ「風、薫る」語学を武器に幕末・明治を動かした男…実在人物・清水卯三郎(坂東彌十郎)の生涯そして、さらなる出会いが訪れました。謎の青年・シマケンこと島田健次郎(佐野 晶哉)です。
今後、りんのよき相談相手となるシマケンは、外務省と大蔵省に務めで英語教師もしていた実在の人物、鄭永慶(ていえいけい)がモデルでは?と推測されています。
(※もう一人、シマケンのモデルでは?と推測される人物に関しても、本記事で紹介します。)
清水卯三郎(坂東彌十郎)と出会ったりん。(NHK「風、薫る」公式サイトより)
語学という「新しい翼」と出会ったりんりんの亡父・信右衛門(北村一輝)の言葉、「身につけた学問は『世を渡る翼、身を守る刀』になる」を覚えていますか。
りんは、シマケンと出会い「世を渡る翼」となる「語学」を知ります。
流暢なフランス語を話すシマケンこと島田健次郎。すらりとした長身、ゆるいウェーブのミディアムレングスヘア、メタルフレームが知的な雰囲気の青年です。
シマケンを演じるのは、STARTO ENTERTAINMENT所属のアイドルグループ「Aぇ! Group」のメンバー、佐野 晶哉(さの まさや)さん。アーティストとしてパフォーマンスをしているときとは、またガラリと異なる表情を見せています。
佐野さんいわく、
「(シマケンという人は)言葉オタクで、自分の持っている情報のことになるとペラペラペラペラ話せるけれども、女性と一対一になると不器用になっちゃうかわいらしいキャラクターです」
とのこと。
「風、薫る」の公式サイトでは、
「新しく生まれた言葉や外国語に造詣が深い。りんの良き相談相手になっていく。」
と紹介されています。
何かと迷う割には、選んだ道が「また間違った!」になってしまう、ちょっと「おっちょこちょい」な感じもするりん。(だから、明治時代の流行歌「おっちょこちょいのちょ~い。」を歌っているのでしょうか…)。
シマケンは、今後そんな彼女が間違いそうになったとき、言葉オタクらしく豊富なボキャブラリーで冷静にアドバイスをして正しい方向へと導いてくれるのではないでしょうか。
謎の青年、シマケンこと島田健次郎。(NHK「風、薫る」公式Xより)
語学が堪能で日本初の喫茶店を開いた人物島田健次郎のモデルではないか?と言われている鄭永慶は、安政5年(1858)備前長崎に生まれました。りんのモデル・大関和とは同い年ですね。
明治時代の外交官、鄭永寧(ていえいねい)の息子で、家は代々、唐通事(江戸時代の長崎や薩摩藩、琉球王国などに置かれていた中国語の通訳)でした。
永慶は、明治7年(1874)頃にアメリカ・イェール大学大学に留学し、帰国後は外務省、大蔵省の官吏や英語教師などを務めたそうです。
仕事柄語学に堪能で、単に外国人と日本人の通訳をするだけではなく諸外国の国内事情や文化などにも触れることが多かったとか。
そして、明治21年(1888)に東京の下谷西黒門町(現在の台東区上野)にて、日本で最初の本格的なコーヒーを出す喫茶店『可否茶館(かーひーちゃかん)』を開業したことで知られています。(店名の読み方や、日本初かどうかは諸説あり)
店内にはビリヤードやトランプなどがあり、国内外の書籍や新聞も置き、化粧室やシャワー室なども備えられ、2階ではコーヒー、パン、カステラなどを提供していました。ただの喫茶店ではなく「コーヒーを飲みながら知識を吸収し文化交流をする場」がコンセプトだったそう。
まるで、現代の多様化したカフェのよう。新しい発想ですよね。
新しい文化や知識に触れられるということで、学生の間で人気がでたようですが、コーヒーを飲んだりお菓子を食べたりしてお金を遣ってくれるお客は少なく、収益は上がらなかった様子。残念ながら「可否茶館」は4年で閉館してしまいました。
その後、鄭永慶は起死回生を図るも失敗。日本を去りアメリカのシアトルにて、明治27年(1894)に37歳という若さで亡くなっています。
鄭永慶が大関和に教えたフレンチトーストとコーヒー
以前、「日本のナイチンゲール!ヒロイン・一ノ瀬りん(見上愛)のモデル・大関和の生涯」という記事で、実は、和の大好物が、「パン・ペルデュ」(フレンチトースト)とコーヒーであった……ということをご紹介しました。
実際、和は、夫と離婚後に鄭の屋敷で女中として働いていたことがあるそう。そこで、「アメリカ・イェール大学留学経験のある息子・永慶が淹れてくれたコーヒーや作ってくれるパン・ペルデュが大好きだった」のです。
そのときに、和に英語を学ぶように勧めたのも彼だったとか。永慶に「これからは英語の時代。英語を身に付ければ女性でも仕事はいくらでもある」と勧められて、和の心は動いたそうです。
和は植村正久牧師の弟、植村正度が経営する英語塾に通って英語を学ぶように。(英語塾に通ったのは「永慶が英語を薦めた」のではなく「自身で決めた」とする説もあります)
ちなみに、ドラマの吉江善作(原田泰造)牧師のモデルは、植村正久だといわれています。
優しくて泣き虫な吉江先生(NHK「風、薫る」公式サイトより)
大関和と親しかった男性、木下尚江という存在史実では、鄭永慶が亡くなった明治27年(1894)、大関和は37歳で知命堂病院産婆看護婦養成所の兼任講師となっています。永慶と和は同い年の再婚・独身同士でしたが、恋愛関係だったかどうかは不明です。
そして、もう一人、シマケンこと島田健次郎のモデルでは?と推測されている人に、木下尚江という実在の社会運動家がいます。
彼は、明治24年(1891)に、大関和が越後高田の「廃娼運動」に参加したときに出会ったとか。木下は、和の聡明さや行動力に惹かれ親しくなり結婚まで考えました。
けれども、木下の学校の後輩・相馬愛蔵(※)は大反対。というのも、木下は恋愛対処となる女性がたくさんいた遊び人で、愛蔵は、「生真面目な和と結婚したら彼女を傷つける」と考えたからだそう。
木下は和との結婚は諦めて、彼女の一番弟子の女性と結婚しました。
※相馬愛蔵:日本で初めてクリームパンを販売した新宿中村屋の創業者。のちに登場する看護学習で受け持つ患者、丸山忠蔵(若林時英)のモデルだといわれています。
「新しい翼」を得たりんが羽ばたく
島田健次郎のもうひとりのモデル候補・木下尚江と初めて出会ったとき大関和は37歳。第一医院外科局長、知命堂病院の看護婦長などのキャリアを経て講師になった頃です。
和が英語を学び始めたのは、23〜24歳頃。
『風、薫る』のドラマでは、離婚を決意し東京に出てきて瑞穂屋で働くようになったりんは、シマケンに刺激を受け英語を学ぶことになる……という脚本です。
りんはまだ20代なので、やはりシマケンのモデルは鄭永慶と考えたほうが自然なのではないでしょうか。
「身につけた学問は『世を渡る翼、身を守る刀』になる」
シマケンが気づかせた「語学」という新しい翼。りんの「This is my life」が始まる予感がします。これからその翼でどのような空へと羽ばたいていくのか楽しみですね。
※関連記事:
朝ドラ「風、薫る」語学を武器に幕末・明治を動かした男…実在人物・清水卯三郎(坂東彌十郎)の生涯 朝ドラ『風、薫る』学問を武器に!日本初の看護婦学校を作った実在人物、大山捨松(多部未華子)の激動の生涯参考:
Newsがわかる特別編 大関和がわかる (毎日ムック)
「明治のナイチンゲール大関和物語」(田中ひかる著)
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

