『豊臣兄弟!』なぜ足利義昭(尾上右近)は信長を見殺しにしたのか?姉川で動けなかった“将軍”の限界[前編]

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『豊臣兄弟!』なぜ足利義昭(尾上右近)は信長を見殺しにしたのか?姉川で動けなかった“将軍”の限界[前編]

『豊臣兄弟!』第15回「姉川大合戦」。秀吉(演:池松壮亮)と秀長(演:仲野太賀)にとっては、経験したことのないタイトルどおりの大合戦、生き残るための壮絶な戦いが描かれました。

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そのさなか、将軍足利義昭(尾上右近)はどうしていたかというと、京都・二条御所で静観していたのです。

実はこのシーン、室町幕府における「将軍」という存在の実像を、きわめて的確に表した描写でした。

本稿では、なぜ義昭が御所から動かなかったのかを、[前編][後編]の2回に分けて、足利将軍の特性を踏まえながら紐解いていきたいと思います。

足利義昭。大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式Xより

「姉川大合戦」で描かれた室町将軍の立場

姉川の合戦を直前に控えた京・二条御所。幕臣が居並ぶなかで、三淵藤英(演:味方良介)が「では、援軍は出さぬと」と足利義昭に問いかけました。

これに対し義昭は「出さぬではない、出せぬのじゃ」と答え、「いまは我らの身を守ることを第一に考えねばならぬ。信長とて、我ら幕府の後ろ盾があってこそ大義を掲げられるのじゃ」と言い放ちます。

さらに「案ずることはない、わしは信長の強さを信じておる」と続け、幕臣たちは「ごもっともなお考えでございます」と応じました。

足利義昭と幕府奉行衆。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

このわずか40秒足らずのやり取りに、室町幕府における将軍の立場が、実に巧みに表現されているのです。

では、まずは室町時代と足利将軍の歩みを振り返ってみましょう。

戦国期の足利将軍はなぜ弱かったのか

室町時代は1338年(建武3年)から1573年(元亀4年)まで、実に235年間続きました。幕府政権には、源氏・北条氏による鎌倉幕府、足利氏の室町幕府、そして徳川氏の江戸幕府があります。

鎌倉幕府は約150年、江戸幕府は約260年。年数だけを見ると、日本史上における長期安定政権といわれる江戸幕府と比べても決して短命ではありません。ところが「軍事力」という観点に立つと、その実態は大きく異なっていました。

武家政権において、配下の大名・武士たちを統制する決め手は、言うまでもなく武力、すなわち軍事力です。室町幕府が決定的に弱かった理由は、将軍家の直轄領がきわめて少なかった点にあります。直轄領が少なければ、当然ながら動員できる兵数も限られてしまいます。

足利将軍家の所領は、概ね山城一国程度といわれます。さまざまな考え方がありますが、よくいわれるように1石について正規兵を300人と計算しますと、その兵力は、せいぜい7,000人くらいでしょうか。

庭の藤戸石に怒りをぶつける足利義昭。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

しかも戦国期に入ると、将軍家といえども山城国全体を掌握することは難しく、実際に動かせる兵はさらに限られていたはずです。

また、義昭の時代ともなれば、常時動員できたのは、京都在番の奉行衆を中心とする直臣たちのみ。人数にして数百人規模に過ぎなかったと考えられます。

一方、江戸幕府は約400万石の直轄領を有し、「旗本八万騎」と称される12万人にものぼる膨大な直属軍を抱えていました。

これでは、義昭の言うように「出さぬではない、出せぬのじゃ」と言うしかなかったのです。

それでも足利将軍は武家の棟梁だった

とはいえ、足利氏は幕府を打ち立てた武家の棟梁です。室町幕府は、はじめからそのように弱かったのでしょうか。

室町幕府の歴史は、大きく三つの時期に分けられます。初代尊氏から2代義詮の南北朝抗争期、3代義満から6代義教の幕府安定期、そして8代義政・9代義尚以降は戦国期とされます。

室町幕府を創設した足利尊氏。(絹本著色伝足利尊氏像・浄土寺蔵)Wikipedia

戦国期の真っただ中に生きた足利将軍としては、10代義稙・11代義澄・12代義晴・13代義輝・14代義栄・15代義昭と続いていきます。

戦国期に入ると、将軍たちは将軍職をめぐる争いのなかで京都を追われ各地を転々とする「流れ公方」と呼ばれる状況になり、義輝のように殺害された将軍もいれば、義稙や義栄のように地方で没した将軍もいました。

このように本来、武家の頂点に立つはずの将軍が、常に命の危険と隣り合わせにあったのです。

なぜ、ここまで足利将軍の軍事的基盤は弱体化してしまったのか。その本当の理由は、単なる「直轄領の少なさ」だけでは説明できません。

次回[後編]では、足利将軍が“強大な軍事力を持てなかった理由”に踏み込み、『豊臣兄弟!』で、義昭が動けなかった背景をさらに深掘りしていきます。

※参考文献
山田康弘著『足利将軍たちの戦国乱世』中公新書刊

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