朝ドラ『風、薫る』梅岡女學校のモデル「看護婦養成所」とは?りんと直美が目指したトレインド・ナースを史実から考察
NHK朝の連続テレビ小説『風、薫る』。
いよいよ、実在の人物で「日本初の看護婦」大関和をモデルにした一ノ瀬りん(見上愛)と、鈴木雅をモデルにした大塚直美(上坂樹里)の二人は、運命の職業「trained nurse(トレインド・ナース)」への道への一歩を踏み出しました。
「トレインド・ナース」とは、一定の教育課程を修了し科学的な知識と技術を習得した「正規の訓練を受けた看護師」のことです。
導いてくれたのは、実際に自身も米国で看護を学び「看護婦資格」を取得した、「鹿鳴館の華」大山捨松(多部未華子)でした。
※参考:
朝ドラ『風、薫る』学問を武器に!日本初の看護婦学校を作った実在人物、大山捨松(多部未華子)の激動の生涯ドラマでは、三者三様「“女性が働くこと”への差別や偏見」「“女性が自分の道を掴み取ること”への嫉妬や嫌悪感」を体験し、この時代で生きることへの辛さを経験しています。
けれど、三人に共通しているのは「自分の力で生きていく『This is My Life』」の信念を胸に抱いていること。
りんは「嫁ぎ先によって人生が決まってしまうのは嫌」と、亡き父親・信右衛門(北村一輝)の「学問は世を渡る翼になり、身を守る刀になる」を例えに出し、母・美津(水野美紀)を説得します。
舶来品の店『瑞穂屋』の主人・清水 卯三郎(坂東 彌十郎)は「医療は今にビックマーケットになる。100年後には誰でもナースの看護を受ける社会がくる」と、りんの背中を押してくれました。
明治19年(1886)12月、いよいよりんも直美も『梅岡女學校』に入学。ヒロインたちが目指す「トレインド・ナース」、モデルとなった「看護婦養成所」などについて深掘りしてみました。「風、薫る」をよりリアルに楽しむためのお供になれば幸いです。
※現代では「看護師」と呼びますが、この記事内では、明治時代の名称に合わせて「看護婦」としています。
トレインドナースになるためにりんと直美が入学した『梅岡女學校』。(NHK朝ドラ「風、薫る」公式「X」より
ナイチンゲールも体験「看護婦」への差別日本の初期看護教育に大きな影響を与えた人といえば、イギリスの看護婦であり「近代医療統計学および看護統計学の始祖ならびに近代看護教育の母」と呼ばれる、フローレンス・ナイチンゲールです。
彼女は、「病人の看護は、家族・家の奉公人・宗教的奉仕者などが行うのが当たり前」だった世の中を変えました。
1820年5月12日、トスカーナ大公国フィレンツェで生まれたナイチンゲールは、幼少期からさまざまな語学・哲学・数学・経済学・歴史・美術・音楽など、贅沢の限りを尽くした教育を受けたそう。けれども、彼女は、慈善訪問先で貧困に苦しむ人々を見て「人々に奉仕する仕事をしたい」と考えるようになったのです。
その後、家族に反対されるも1851年にドイツで看護師の勉強を始め、ロンドンで医療や看護や病院運営などの教育を受け、イギリス各地の病院の状況を調べ専門的教育を施した看護婦の必要性を訴えたのでした。
そして、『クリミア戦争』で負傷した兵士の看護をするため、英国人24人のシスターと10人の志願看護婦とともにイスタンブールに赴きました。
けれども、当時の陸軍は男社会。驚くことに、野戦病院に着いた看護婦一行は「お嬢様たちの御遊び」と馬鹿にされ、軍医から軍からも歓迎されず看護の業務につかせてもらえなかったそうです。
けれど、ナイチンゲールはそんな理不尽な差別に負けることはありませんでした。
野戦病院の不衛生で劣悪な状況を改善、掃除の徹底、食事での栄養管理などに努めたのです。また、夜になるとランタンを持って寝ている負傷者の様子を見て歩き、「ランプの貴婦人」とも呼ばれました。
さらにすごいのは、負傷兵に替わって母国の家族に手紙を書いたり、死亡した兵の家族に死亡報告と一緒に僅かでも義援金を添えたりと、兵士たちの心理的な面でも支えになったこと。
肉体的な業務だけでも重労働なのに、さらに患者の心の看護をするのは、自身の仕事に対する信念や自信がなければできないことですね。
「クリミアの天使」ナイチンゲールを彷彿させる捨松
「クリミアの天使」と呼ばれたナイチンゲールは、さまざまな名言を残しています。
「自然は病人を癒やし、看護師は自然を助ける」
看護というものの本質を表現した名言。看護師の役割は病気を直接治すことではなく、患者が自然に回復できる最良の環境を整えることにある……ということです。看護における「清潔な環境を整える」ことを大切にしていた彼女らしい言葉です。
一ノ瀬りんのモデル・大関和も、このナイチンゲール方式に基づき、病室の丁寧な清掃と換気、患者の体や衣服の生活など環境を徹底的に整えて、感染者や死者数を抑えることに成功しています。
さらに、ナイチンゲールの「女性も男性と同じように、社会に貢献する能力を持っている」などの言葉も印象的です。
19世紀に厳しい性差別に抗いながらも、女性の社会進出を強く訴え続けた女性らしい力強い言葉で、閉鎖的な時代に人生を切り開いていく女性たちの憧れと模範になったそうです。ドラマ中の大山捨松を彷彿させますね。
実際、捨松は米国の大学卒業後、ニューヘイブン病院の看護婦養成所で学び資格を取得しているので、当然ナイチンゲールの看護や思想を学び、その信念に共感したと思います。
英国・ロンドンのテムズ川のほとり聖トーマス病院の敷地内にある『ナイチンゲール博物館』の入り口には大山捨松の写真が掲げられているそうです。
和と雅が入学した『桜井女学校の附属看護婦養成所』
ドラマで、二人のヒロインが明治19年(1886)12月に入学したのは『梅岡女學校』。
正門の前でりんは「士族のお嬢さんはナースになんてならないかと思った」と声をかけられました。そこには、ばっさりと肩で切り揃えたセンターパーツのボブスタイルになった直美が。失恋や今までの自分の人生への決別なのか。さらに「いい面構え」になっています。
史実では、大関和と鈴木雅が入学したのは『桜井女学校の附属看護婦養成所』です。
桜井女学校は、日本の教育者・櫻井ちかが1876年に設立したキリスト教系女学校で、ちかの函館転居に伴い、学校の経営はアメリカ人宣教師のマリア・T・ツルー(「風、薫る」の宣教師メアリー(アニャ・フロリス)のモデル)に移りました。
ツルーは、当初女学校とは別に新しく看護学校を設立するつもりでしたが、医療宣教師のJ.C.ヘボンらに反対され「非公式」で看護学校を始めたのです。このときに入学したのは大関和、鈴木雅ほか7〜8人ほどの少人数だったそうです。ドラマでも『梅岡女學校』に集まったのは7人ほどのようですね。
桜井女学校の附属看護婦養成所では「ナイチンゲール方式」の看護教育を実践するために、看護学の教授として、スコットランドの看護学校を卒業したアグネス・ヴェッチを招聘しました。同養成所は、
▪️病院での実地訓練(実習中心)
▪️生活態度・礼儀の教育(規律と人格の重視)
▪️衛生・環境の重視(科学的看護)
を中心に学ぶ場所で、全て当時の日本における看護にはない最新的な考え方でした。史実では和と雅はともに1888(明治21)年10月26日に同校を卒業し、看護婦の資格を得ています。
実際、開校時の生徒は7〜8人だったとか。(NHK朝ドラ「風、薫る」公式サイトより
トレインドナースは高収入だった!?ちなみに、ドラマでは、「新創設の養成所に通えば、2年在学でナースになれ、入学金は無料、授業料は月50銭、寮生活は3食込みで1円。給料は米国では30円くらい」と捨松が説明していましたね。
「30円」という金額に、マッチ箱工場で働いていた直美は「工場で働く3年分!」と驚いていました。
当時、月収の目安は、男性労働者は3円〜5円、小学校教員は8円〜15円、中級官吏は10円〜20円くらいだったので、トレインドナースの約30円はかなりの高収入。
看護の仕事が大変なこともありますが、まだ西洋医学の導入期なので人材不足であること・教育を受けた女性の看護婦という存在は初めてなので希少性が高いこと・上流階級や外国人などと関わるとなどが理由で報酬はよかった……といわれています。
一般的な庶民の一月の生活費は1円〜3円くらいだったそうなので、トレインドナースの月30円の収入は、人生を変えるレベルの給料だったでしょう。
りんにしても直美にしても、「結婚して夫次第の人生に甘んじる」ような生き方をするのではなく、一人でも(シングルマザーでも)自分自身の『This is My Life』を生きるには、十分な収入は大切ですよね。
給料が安いしブラックだった直美が働いていたマッチ箱工場(NHK朝ドラ「風、薫る」公式サイトより
優秀でも感情的になると泣き虫だった大崎和桜井女学校は、1890(明治23)年9月9日、新栄女学校が合併し校名を女子学院とします。初代院長としてユニークな取り組みを行ったことで知られる矢嶋楫子が就任しました。この後、矢嶋は1913(大正3)年まで女子学院の院長を務めることになります。
現在、女子学院の公式サイトでは、『特設サイト 大関ちかの歩みをたどって 日本のナイチンゲールと呼ばれて』にて、大崎和の略歴や支えた人々、桜井女学校のことなどを丁寧に紹介しています。
同サイトによると、大関和は医師と渡り合う知識と技術を持つ人物で、「いつか日本のナイチンゲールになる」と評されていたそうです。
興味深いのは、非常に優秀な女性なのに、ピンチになると恩師のところに飛んで行ってはボロボロと大粒の涙を流して訴えていたそう。
「これじゃあ、ナイチンゲールではなく“泣キチン蛙”だ」とたしなめられる、感情的な一面もあったとか。
なんとなく、今の表情豊かな一ノ瀬りんを彷彿させるエピソードですね。普段は穏やかで柔らかい雰囲気ながら、「これ!」と決めた途端にいきなり猪突猛進に行動するところは、もしかしたら似ているのかも。
娘のため自分のため「トレインドナース」の道を進む決意をした一ノりん(NHK朝ドラ「風、薫る」公式サイトより
最後にヒロインたちは、これからいろいろな想いを胸に抱えた同級生たちや医師、病人などに出会い、新しい困難や経験を積んでいくのでしょう。
素直で感情で動くところもあるりんと、現実的で冷静な直美。どのように距離を縮めていくのか……ある意味真逆な二人はいいパートナーになっていきそうですね。
参考:日本の初期看護教育にF.ナイチンゲールが与えた影響 -使用されたテキストと卒業生の看護書から-(山梨医大紀要) 女子学院「特設サイト 大関ちかの歩をたどって」
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