戦前の納税は「自己申告」ではなかった!脱税が少なく、税金を払うことが“誇り”だった時代とその転換
戦前の課税のしくみ
戦前の日本では、「税金」の感覚も現代とはまったく違っていました。
大きな相違点として、まず直接税の比率がとても低かったことが挙げられます。
当時は酒税や砂糖税、たばこ税といった間接税が中心で、所得税のように自分でごまかす余地がほとんどありませんでした。よって脱税も少なかったのです。
さらに戦前の所得税は賦課課税制度で、税務署が「あなたの税金はこれです」と決めて通知する方式でした。
現代のように自分で申告する必要はなく、納税者は通知された額を払うだけでした。
ただし税額は税務署だけで決めるのではなく、所得調査委員会という第三者機関が関わり、抽選で選ばれた納税者代表も参加していました。
それをもとに、税務署が「○○街の業者は全部でこれだけ払え」とまとめて課税し、街の世話人が各店に割り振る方式が一般的だったのです。
これは江戸時代の、村単位で年貢を負担する仕組みを引き継いだものです。現代の感覚では粗雑なやり方に見えますが、当時の人々には自然な方法でした。
長者番付の誕生さらに、戦前の所得税は一定以上の収入がある者だけが対象で、税率も平均一〇%以下と低かったため、税金を払うことはむしろステータスでした。
昭和初期の所得税納税者は国民のわずか五%で、その平均所得は全国平均の三倍以上。つまり、所得税を払う人は成功者と見なされ、税を払うことが社会的な誇りにもつながっていたのです。
割り当てられた税を滞納する例が少なかったのも、この空気が背景にありました。
「長者番付」という言葉は死語になりつつありますが、ああいったランク付けもこうした時代の空気の中で生まれたのです。
GHQによる方向転換しかし終戦を迎えると、こうした商店街単位の課税方式は、地域の世話人に強い権限を与えて民主化を妨げるとGHQが判断します。
どういうことかというと、税務署から「この街はこれだけ払え」と通知が来ると、世話人が各店の売上や規模を見て負担額を決めていきますが、この決定において地域の慣習や人間関係が大きく影響していたのです。
つまり、ここで世話人がある種の権力を持つことになるわけです。
この仕組みは、先述の通り江戸時代から続く「共同体で負担する」という考え方の延長線上にありましたが、GHQの目には古い因習として映ったのでしょう。
こうした経緯もあり、戦後の税制改革でこの仕組みは廃止され、現代の申告納税制度へと移行します。
当初、自分の税金を自分で申告し、自分で納めるという方式には面食らった人も多かったようです。
このように戦前の税制を振り返ると、税が単なる負担ではなく、社会の価値観や生活のあり方と深く結びついていたことがわかります。
脱税が少なかったのは制度の構造によるものであり、同時に税を払うことが“誇り”とされる空気があったからでもあります。
現代の自己申告制度とはまったく異なる、どこか素朴で、どこか不思議な時代だったと言えるでしょう。
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