「天皇」も「日本」も最初からあったわけではない?天皇家の系譜から読み解く古代史の謎【前編】
昨今、女性天皇問題にも関連する皇室典範改正が話題となっている。
これに関して高市総理は、「(天皇の皇位継承は)男系男子に限ることが適切とされている。私としても尊重している」と見解を明らかにした。
天皇家は、いうまでもなく日本の王家である。そして天皇家ほど、世界的に見ても稀有な皇統はない。
今回は[前編][後編]の2回に分けて、「天皇」「日本」という称号・国号がどのように確立し、使われるようになったのかを紐解いていく。
[前編]ではその前段として、天皇の系譜について考察していこう。
「世界最古級の王家」と呼ばれる天皇家日本の天皇は、歴史学の見地に立つと、西暦500年頃、すなわち6世紀頃から現在に至るまで、1,500年以上にわたって同じ血筋の天皇が連綿と続いているとされる。
さらに、実在が疑問視されている初代・神武天皇からの皇統を含めれば、その歴史は実に2,700年にも及ぶ、途方もない長さとなる。
現在は掲載されていないが、1998年(平成10年)版までの『ギネスブック』には、「天皇家は紀元前から続く、現存する最古の王家である」と記されていた。
それほどに、日本の天皇家は世界的にも最古級の皇統として広く知られているのである。
「万世一系」はいつ生まれた言葉か「天皇」という称号、「日本」という国号は、いつから使われたのか。この本題を紐解くうえで避けられないのが、天皇の系譜である。まずはそこに触れておこうと思う。
天皇の皇統を鑑みると、初代・神武天皇から今上天皇・徳仁陛下に至るまで、歴代天皇は126代を数える。
この皇統が一貫した血筋で継承されてきたことを「万世一系」と称し、その血筋が男系であるという意味で「男系継承」という言葉も用いられている。
もっとも、この点に関しては、論者の立場によってさまざまな説や意見が述べられてきた。しかし、現代の歴史学では否定的な見解が主流となっている。
実は「万世一系」という言葉は、奈良時代の国史である『古事記』『日本書紀』にはまったく見られない。この言葉が一般に用いられるようになったのは、明治維新以降なのである。
そして、「万世一系」を明確に打ち出したのが『大日本帝国憲法』であった。
第一条 大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
ここには「万世一系」だけでなく「男系継承」、さらには天皇の神聖性まで明記されている。つまり、「万世一系」や「男系継承」が強調され始めたのは、明治時代以降のことなのである。そこに明治政府為政者たちの意図があったことは否定できない。
鎌倉幕府成立以降、日本の実質的統治者は武家であった。鎌倉初期までは、天皇の権威は武家を上回るものだったが、承久の乱で後鳥羽上皇が敗れると、天皇の政治的権威は著しく後退する。
歴史の教科書を思い出して欲しい。後醍醐天皇の建武政権を除けば、幕末まで天皇の名が歴史の表舞台に現れることは少ない。
明治維新とは、いわば一度は失墜した天皇権威の復活でもあった。だからこそ、「万世一系」や「男系継承」が強調されたのである。
ただし、これは明治天皇自身の発意というより、為政者側の都合によるところが大きい。天皇を「玉」と呼んだという逸話が象徴するように、彼らは自分の権力保持のために天皇を利用したという側面もあった。
「王朝交代説」による三つの皇統では、もし皇統が「万世一系」ではないとすれば、どのように分かれるのだろうか。
そこで注目されるのが、1950年代以降に盛んになった「王朝交代説」である。本稿ではこの説をベースに、筆者の見解を述べていくが、詳細な論証は膨大となるため、ここでは要点にとどめたい。
初代・神武天皇から第9代・開化天皇までは「闕史八代」と呼ばれ、実在性は疑問視されている。
実在の可能性が高い最初の天皇は第10代・崇神天皇である。この系統は第14代・仲哀天皇まで続く。これがいわゆる「崇神王朝(三輪王朝)」である。
次に現れるのが第15代・応神天皇で、この系統は第25代・武烈天皇まで続く「応神王朝」だ。いわゆる「倭の五王」はこの系統に含まれる。そして、現在の皇統に繋がるとされるのが第26代・継体天皇であり、これが「継体王朝」とされる。
このように、歴史上実在した王朝は、「崇神王朝」「応神王朝」「継体王朝」と考えられている。もっとも、今後の考古学的発見によって、これらの間に血縁的繋がりが確認される可能性もある。
例えば、崇神朝の末期にあたる仲哀天皇の皇后・神功皇后と、その子とされる応神天皇の関係である。神功皇后は長らく伝説上の人物と見なされてきたが、奈良県磯城郡の島の山古墳の発掘成果により、実在の可能性も議論されるようになった。
同様に、応神王朝と継体天皇との血縁関係についても、今後の研究次第で再評価される余地がある。
では[前編]はここまでとしたい。[後編]ではいよいよ、「天皇」「日本」という名称がいつ頃から使われるようになったのかを紐解いていこう。
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網野善彦著 『日本の歴史をよみなおす』ちくま学芸文庫
古田武彦著 『奪われた国歌君が代』情報センター出版局
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