【豊臣兄弟!】加藤清正・福島正則・石田三成が登場!史実で見る秀吉の『最強スター家臣団』の栄光と亀裂

Japaaan

【豊臣兄弟!】加藤清正・福島正則・石田三成が登場!史実で見る秀吉の『最強スター家臣団』の栄光と亀裂

「豊臣兄弟!」18話『羽柴兄弟!』

いよいよ、物語は新しいフェーズに入ります。藤吉郎(池松壮亮)が織田家家老に昇格し城持ち大名となり、弟・小一郎(仲野大河)とともに羽柴姓を名乗ることに。

そして、竹中半兵衛(菅田将暉)の「子飼いの家臣を増やすべき」(※)という助言を受け、「集え!羽柴の旗のもとへ」と意欲のある家臣選抜試験を開催することになりました。

※子飼いの家臣:親戚筋(それ以外のことも)の子供を未熟なうちから、将来を見据えて養育した家臣

農民の出で、武将の家のように代々仕えてくれる家臣もいない、いわゆる「成り上がり」の豊臣秀吉。けれども、史実でも彼の周りには、現代にもその名を残す家臣がたくさん集まってきました。

秀吉の家臣『最強スター軍団』としてよく名前が挙げられているのは、弟の豊臣秀長。そして、竹中半兵衛・黒田官兵衛・蜂須賀小六・石田三成・加藤清正・福島正則ほか……それぞれ、軍師・外交・調整・物流・政務・実務などの面で才能を発揮し、重要な役割を担った優秀な人材ばかりです。

今回は、秀吉との間に実子はなかった寧々(浜辺美波)が、我が子のように愛情を注いで可愛がったという、いわゆる『寧々ファミリー』加藤清正・福島正則、そして、劇中では家臣選抜試験の合格者として描かれた、石田三成の3人に注目してみました。

※合わせて読みたい記事:

『豊臣兄弟!』秀吉と小一郎はなぜ“羽柴”に?やがて徳川家康まで名乗らされた姓の正体

『豊臣兄弟!』規格外の猛将・藤堂高虎(佳久創)ついに登場!後に豊臣秀長・秀吉に仕える激動の生涯

「集え!羽柴の旗のもとへ」集まってきた家臣希望の男たち。(NHK大河『豊臣兄弟!』公式サイトより)

自分の子ではないのに愛情豊かに家臣を育てた寧々

さて、18話『羽柴兄弟!』は、予告の段階で、久々にその姿を現した寧々の“再登場“にネットでもどよめきが起こっていました。

最後に登場したのは13話『疑惑の花嫁』。寧々は、小一郎が娶った(吉岡里帆)が「男漁りをしている」という噂を聞きつけ、真実を探りに藤吉郎と共に夫婦で直談に小一郎宅に乗り込みました。

このときは、まだ前髪があり後で組紐のようなもので束ねた束髪スタイルで、着物もカジュアル感が残る素材とデザイン。

今回は、城持ち大名となった秀吉に合わせ、寧々も風格が備わった姿で再登場。髪は戦国の奥方らしくセンターパーツのロングヘア、上品な打掛を羽織った姿に大変身し、いかにも「北政所」らしい雰囲気です。

明るくてハッキリしていてちょっとわがままで、まだ「娘」という感じだった寧々。
子供が授からないことで引け目を感じヤキモチを焼きつつも「秀吉が浮気をしてもしかたない」と思うよう弱気な部分もありました。

今回から装いのグレードがあがり「戦国のファーストレディ」と言われるにふさわしい貫禄もでてきたようです。

「陰で夫を支える妻」「ずっと夫の帰りを待っている妻」ではなく、「夫と同じ方向を見て物事に挑んでいく覚悟を決めた」女性になった……という雰囲気。「寧々ファミリー」を築き上げていくにふさわしい力量の持ち主という感じがして、今後が楽しみです。

この頃は、まだ「娘」っぽさが残っていた寧々。(NHK大河『豊臣兄弟!』公式サイトより)

寧々に頭が上がらなかったという清正・正則・三成たち

寧々が我が子のように育てた「子飼いの家臣」といわれる武将たち。今回は、加藤清正、福島正則、石田三成の幼少期などを簡単にご紹介しましょう。

▪️加藤清正

永禄5年(1562)、刀鍛冶・加藤清忠の子として、豊臣兄弟と同じ尾張国愛知郡中村(現在の名古屋市中村区)に生まれました。通称は虎之助

母の伊都は、豊臣兄弟の生母・なかとは従姉妹(もしくは親戚)だったとか。父は、清正が3歳の頃に亡くなり、伊都は女手で一つで清正を育てるも、9歳の頃に秀吉・寧々のもとに預けたそうです。秀吉とは25歳、寧々とは16歳の年齢差がありました。

清正の幼少期の逸話は数多くあり真偽のほどは定かではありませんが、小さな頃から身の丈が高く骨太で目鼻立ちがはっきりしている男児だったということが共通しているようです。腕っぷしも強く、年上の子供たちを相手に相撲をとっても、誰一人として清正に勝つものはいなかったとか。

あるとき、餓鬼大将の清正が、近所の子供たちを引き連れて遊んでいたときのことです。一人の子供が古井戸に落ちてしまいました。皆が驚き泣いて大騒ぎする中、ひとり冷静だった清正。

皆に帯を解くよう指示し、それを結び合わせて長い紐を作りました。そして、ほかの子供の体に紐をくくりつけそろそろと井戸の底に下ろし、落ちた子を抱き上げて救出させたという逸話もあります。清正の力持ちぶりもさることながら、冷静かつ機敏な措置に大人たちは驚いたとか。

武芸だけではなく知略にも長けていた才能豊かな武将といわれる清正を彷彿させるような逸話です。

清正を演じる伊藤 絃(いとうげん)さんは今年デビューし約8カ月後にオーディションで大作への切符を掴んだ俳優。初々しさが「14歳で登場する清正にはまる」と制作陣は感じたそう。伊藤さんにとって清正はまさに“初陣”ですね。

大河は初出演の伊藤絃さん。加藤清正(NHK大河『豊臣兄弟!』公式サイトより)

▪️福島正則

永禄4年(1561)、尾張国海東郡(現在の愛知県あま市)にて、もとは桶屋を営んでいた父・福島正信、母は秀吉の叔母・松雲院の子として誕生。幼名は市松です。

母が秀吉の叔母であったことから召し出され、寧々によって可愛がられて育ちました。秀吉にとっては、血縁で結ばれている福島正則と加藤清正は、安心・信頼できるかけがえのない存在だったそうです。

正則は、人情深くて裏表のないまっすぐな人柄と伝わりますが、子供の頃からやんちゃで手のかかる子だったとか。幼い頃に父親の桶屋家業を継ぐために修行していたときは、大人と喧嘩をして相手を叩きのめしたという逸話もあります。

また、大酒呑みで酒による失敗も多いことも知られています。一番有名なのは福岡市の民謡『黒田節』に歌われたように、「酒に酔ったうえの約束で大切な刀を家臣にあげざるおえなくなった」というエピソードでしょう。

そんな正則はかなり恐妻家だったようで、女性問題を起こしたときに激怒した妻(昌泉院)に薙刀で斬りつけられ、戦場では全く恐れ知らずで勇猛果敢に戦う武人だったものの、ほうほうの体で逃げ出したそうです。

正則を演じるのは松崎優輝さん。歌手の松崎しげるさんの息子さんです。大河ドラマに出演するのは初めてだとか。豪快でやんちゃな猛者のイメージがぴったりですね。

大河は初出演の松崎優輝さん。福島正則(NHK大河『豊臣兄弟!』公式サイトより)

▪️石田三成

永禄3年(1560)、近江国坂田郡石田村(現在の滋賀県長浜市石田町)にて、浅井氏に支えて石田村を納めた石田正継の三男として誕生。母は瑞岳院(浅井氏の家臣・土田氏の娘と伝わる)です。幼名は佐吉

父・正継は学問に通じ教養を重んじる人物で、三成は幼い頃から学問や礼節を学んだ聡明な少年だったそうです。

幼少期には、隣町の大原観音寺(現在の滋賀県米原市朝日)で寺小姓として過ごしていました。ある日、長浜城主となった秀吉が、鷹狩りの際に大原観音寺に立ち寄った際のこと。

三成が最初は「ぬるめの茶を大きな茶碗」で出し、次は「少しぬるめの茶をやや小さ目の茶碗」で出し、最後は「熱いお茶を小さい茶碗」で出したという『三献の茶』は、有名なエピソード(さまざまな説があり)ですね。

まだ子供ながらも、三成の「相手の状況を即座に観察する」「相手のほしいものを提供する」という機転と気遣いを気に入った秀吉は、その将来性を見抜き、そのまま召し抱えたそうです。

三成は、色白で大きな目の美少年だったと伝わります。三成を演じる松本怜生さん。2024年の朝ドラ『おむすび』で、当初ヒロインも憧れた書道部の風見先輩を演じましたが、侍姿になると全然違う雰囲気。大河ドラマは初出演で、好きな言葉は「西軍勝利」だそうです。

大河は初出演の松本怜生さん。石田三成(NHK大河『豊臣兄弟!』公式サイトより)

ほかにも、黒田官兵衛の嫡男・黒田長政、寧々の甥っ子・小早川秀秋なども挙げられています。

彼らは戦場では秀吉に絶対服従だったものの、プライベートでは育ての親である寧々に頭が上がらなかったとか。人心掌握術にたけていた寧々は、彼らの性格を熟知しており、喧嘩の仲裁をしたり悩み相談に乗ったりと精神的に支え続け『寧々ファミリー』の結束を強めて行ったのでした。

のち、寧々が高台院の称号を与えられ京都東山に高台寺を建立し、隠居をしてからも、立派な大名となった加藤清正や福島正則らが訪ねてきたそうです。

寧々に育てられた三人はそれぞれ才能を発揮するも…

五奉行となり戦乱を治め、世の中の平和を実現しようと太閤検地など多くの政策に携わった石田三成。

「賤ヶ岳の戦い」で功績をあげ文禄の役で、朝鮮に出兵し最前線で大活躍。築城の名人で、武者返しと呼ばれる独特の石垣が圧巻の熊本城を築いた加藤清正。

「賤ヶ岳の七本槍」の一人で数々の戦いで自慢の槍を振るった福島正則。

それぞれが目覚ましい活躍をしました。

そして、慶長3年(1598)8月18日に豊臣秀吉が死去。跡取りとなる茶々(淀殿)の子・豊臣秀頼はまだ6歳だったので、秀吉は徳川家康、前田利家ら五大老と石田三成らの五奉行に後を託していました。

しかしながら、石田三成を筆頭とする「文治派」と加藤清正を筆頭とする「武断派」の対立が、調停していた前田利家の死後に悪化。

慶長4年(1599年)「武断派」の諸大名が、石田三成を襲撃するという事件が勃発。襲ったのは、加藤清正・福島正則・藤堂高虎・黒田長政・蜂須賀家政・細川忠興・浅野幸長の7将とされています。(襲撃ではなく三成の制裁を訴えようとしただけという説も)

あわや戦にというところで、徳川家康が仲裁。三成の身柄の引き渡しをされるも拒否し、三成の隠居を提案しました。これは寧々が後押ししたこともあり、諸国の有力大名からの同意も得られたのですが……。

『最強スター軍団』を作り上げた秀吉と寧々。けれども、武断派と文治派という二つの派閥はバランスを崩し、豊臣政権は滅亡していきます。

主人公の秀長が病でこの世を去ったのは天正19年(1591)のこと。「主人公が登場しない回はない」と制作側が言っていたのでドラマ「豊臣兄弟!」では描かれないかもしれません。

新しいフェーズに入り、フレッシュな若武者たちが、これからどう秀吉や寧々と関わり成長していくのか楽しみです。大河ドラマならではの“「史実」が曖昧な部分はクリエイティブな「創作」で魅せ”てくれるのでしょう。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」関連記事:

『豊臣兄弟!』秀吉と小一郎はなぜ“羽柴”に?やがて徳川家康まで名乗らされた姓の正体

『豊臣兄弟!』規格外の猛将・藤堂高虎(佳久創)ついに登場!後に豊臣秀長・秀吉に仕える激動の生涯

参考文献:

『北政所 秀吉歿後の波瀾の半生』 津田三郎著
羽柴秀長とその家臣たち 秀吉兄弟の天下一統を支えた18人 黒田 基樹著

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「【豊臣兄弟!】加藤清正・福島正則・石田三成が登場!史実で見る秀吉の『最強スター家臣団』の栄光と亀裂」のページです。デイリーニュースオンラインは、豊臣兄弟!豊臣秀長福島正則加藤清正石田三成カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る