死んだはずの男が13回忌に帰還!江戸時代、無人島で13年生き延びた漂流民・野村長平の奇跡

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死んだはずの男が13回忌に帰還!江戸時代、無人島で13年生き延びた漂流民・野村長平の奇跡

先日、2028年の大河ドラマがジョン万次郎を主人公にした「ジョン万」(主演・山﨑賢人さん)に決まったことが発表されました。

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ジョン万次郎については、詳しくは知らなくても、名前は聞いたことがあるという方がほとんどではないでしょうか。

ジョン万次郎は無人島に漂着しサバイバル生活を送ったことがあるのですが、そんなジョン万次郎と同じように、無人島生活をして奇跡の帰還を果たした人物がいます。

それが、今回ご紹介する「無人島長平(むじんとうちょうへい)」としても知られる野村長平です。いったい、どのような人生を歩んできたのでしょうか?

無人島長平(野村長平)の生まれと幼少期

野村長平は、江戸時代後期の宝暦12年(1762年、1761年とも)に、現在の高知県土佐国岸本浦(現在の高知県香南市香我美町岸本)に生まれました。なお、幼少期は「野村」姓はなく、後に功績を認められた際にもらった苗字です。

海に面した土佐という土地柄もあり、小さなころから海に親しんでいた長平。周囲には海上交通や漁業で生計を立てていた人も多かったことから、彼も若い内から水主(かこ:船乗り)として働き始めます。

冬の嵐に遭い、無人島へ漂着

長平の運命を大きく動かす出来事が起きたのは、天明5(1785)年正月29日(現在の暦で3月9日)のことでした。当時、天明の大飢饉が発生しており、多くの人が飢餓で苦しんでいました。そんな状況を救うため、土佐藩赤岡村(現在の高知県香南市赤岡町)から田野(現在の高知県安芸郡田野町)へ向けて蔵米(おくらまい:幕府や藩などの蔵に年貢として収納された米)250俵を運ぶための船に長平は乗っていたのです。

しかし、その帰路、嵐(冬に吹く強烈な季節風「シラ」)に遭い、漂流してしまいます。

13日と11時間という長い漂流ののち、たどり着いたのが「鳥島」という無人島でした。伊豆諸島のひとつで、東京から約600kmほど南に位置しています。

鳥島(伊豆鳥島)

鳥島での過酷なサバイバル生活

鳥島は孤島であり、無人島(現在も人は住んでいません)で、水も無く、草木も無く、小動物もいない火山島。非常に過酷な状況の島ですが、長平らが漂着した際は船に乗っていた12名全員が生きていたという説もあれば、長平を含めて4人だけだったという説もあります。

そして、漂着後2年(10年という説も)ほどのうちに他の人も亡くなり、長平一人だけが残されました。他の船員の死因については、衰弱死または食べ物が合わなかったことなどが考えられています。

長平は、主食として大鳥(アホウドリ:島に大量生息)の肉や卵を食べていたようです。食べ終わった卵は、殻も無駄にせずそこに雨水を貯めていました。

また、服についても、主食としていた「大鳥(アホウドリ)」の皮と羽毛を使っていたと言われています。なお、羽毛は寝具にも転用していました。

鳥島からの脱出と奇跡的な帰還

長平の無人島生活は、最終的になんと約13年にも及びました。彼が漂着してから数年後、大阪船、薩摩船の船乗りたちも島に漂着。島には十数名の集団が形成され、協力しあっていました。そして、脱出の計画も立て始めます。

まずは島にあるもの、流れ着いた材木などを利用し、小型船を作ります。造船には大きな苦労が伴いましたが、寛政9年(1797年)、ついに完成。船に乗り込んで島を出発し、なんとか八丈島に到達し、そこから江戸へ送還されることになりました。

長平は寛政10年(1798年)1月19日に土佐へ帰還しましたが、この時ちょうど地元では長平の13回忌が営まれていたといいます。そして、上記のとおり、土佐藩から野村姓をたまわりました。

その後は、結婚し子宝にも恵まれ、60年で亡くなりました。帰還後につけられた「無人島長平」のあだ名は、彼の墓石にも刻まれています。

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