税率300%!戦時中、実際に課された狂気の「遊興飲食税」もはや税金ではなく罰金レベルだった
「ぜいたくは敵」なので……
戦時中の日本では、軍費がいくらあっても足りず、国はあらゆる手段で税収を増やそうとしていました。
そのもっとも極端な象徴が、芸者を呼んで飲食するときに課される遊興飲食税です。
これは、もともとは大正期に金沢市が導入した地方税でしたが、昭和十四年に国が取り上げ、国税として運用されるようになりました。
当時は日中戦争が長引き、英米との関係も悪化し、有名な「ぜいたくは敵だ」という空気が社会に広がっていました。
戦時中の「ぜいたくは敵だ」のスローガン(Wikipediaより)
それで芸者遊びも不謹慎と見なされ、課税の大義名分が整ったのです。
当初は一人一回五円以上の遊興が対象で、芸妓の花代は20%、飲食代は100%という高い税率でした。
しかし戦局が悪化するにつれ、免税点は3円、さらに1円50銭へと引き下げられ、ちょっとした飲食でも課税されるようになります。
税率も急上昇し、昭和十五年に30%、昭和十六年に100%、昭和十八年に200%、そして昭和二十年にはついに300%へ。もはや税金というより罰金のような水準でした。
戦争と遊興税率が300%に達した昭和二十年頃には、多くの高級料亭や芸妓が休業を余儀なくされています。戦時色が強まり、ぜいたくを避ける風潮が広がっていたためです。
それでも芸者遊びを続ける人はいました。戦争によって利益を得た層が存在し、物資統制で自由に買い物ができずお金の使い道がなかったためです。
こうした層が、罰金のような税率でも遊興を続けたと考えられます。他に娯楽がないので税率300%の遊興費を払って遊ばざるを得ないのですから、率直に言って、常軌を逸しています。
遊興飲食税は国の財政にとっても重要でした。昭和十八年の国の租税収入は約55億円で、そのうち7億5千万円、つまり約9%が遊興飲食税だったのです。罰金的な性格を持ちながらも、国家財政を支える柱の一つだったのです。
税率の急上昇は、国がどれほど追い詰められていたかを示しています。
脱税もあった税率が300%という異常な水準に達すると、当然ながら脱税も増えました。
例えば料亭や茶屋の中には、表向きは休業したり、業種を変えたように見せかけたりしながら、実際には常連客だけを相手にこっそり営業する店が多くありました。
こうした営業形態は当局も把握していましたが、摘発は難しく、警告が出されても完全に取り締まることはできませんでした。
税率300%という数字は、現代の感覚では想像しにくいほどの重さですが、当時の社会が置かれていた極限状態をよく表しています。
この遊興飲食税は、国の財政を支える一方で、国民の生活に深い影響を与え、さまざまな工夫や抜け道を生み出しました。
戦時中の税制を振り返ると、税が単なる財源ではなく、社会の価値観や生活のあり方を大きく左右する力を持っていたことがわかります。
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大村大次郎『脱税の日本史』宝島社、2024年
画像:PhotoAC,Wikipedia
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