【豊臣兄弟!】若き豊臣秀吉はなぜ横山城を任されたのか?「姉川の戦い」後に訪れた出世の転機 (2/4ページ)
さらに決定的だったのが、浅井長政の裏切りによって発生した金ヶ崎の退き口です。
信長がわずかな供回りだけで撤退する中、殿軍として追撃を食い止めたのが秀吉でした。
その働きぶりは『信長公記』にも記されており、秀吉は信長の命をつないだ立役者として評価されています。
この撤退戦での働きが、秀吉に対する信長の信頼を一段階引き上げたのは間違いありません。単なる武勇だけでなく、冷静な判断力と統率力を兼ね備えた家臣として認識されたのです。
加えて、秀吉は調略にも優れていました。『坪内文書』からも分かる通り、美濃攻略では斎藤方の坪内利定を味方に引き入れています。
さらに蜂須賀正勝ら川並衆との関係を活かした寝返り工作も成功させており、秀吉の「人を動かす力」は確実に信長の目に留まっていました。
こうした軍事・調略の両面での実績が、横山城番抜擢の大きな理由だったのです。
横山城という試金石横山城は、浅井氏の本拠・小谷城の南側を押さえる位置にあり、浅井氏の動きを封じるための要衝でした。