【豊臣兄弟!】死んでも渡さぬ!史料でも松永久秀が最期まで手放さなかったとされる「平蜘蛛茶釜」の正体
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第20回『本物の平蜘蛛』では、戦国の三大梟雄(※)に数えられる松永久秀(竹中直人)の最期が描かれました。
史実でも、久秀は天正5年(1577年)10月10日に大和信貴山城(しぎさんじょう。奈良県平群町)で自刃しました。
(※)あと二人は備前の宇喜多直家(うきた なおいえ)と美濃の斎藤道三(麿赤兒)。
織田信長は久秀に対して「平蜘蛛茶釜さえ差し出せば、命だけは赦してやろう」と降伏を呼びかけるも、久秀は頑として聞きません。
「我が首と平蜘蛛茶釜だけは、断じて渡してなるものか」
かくして久秀は平蜘蛛茶釜を叩き割り、城に火をかけて自刃したのでした。
信長が二度の謀叛を赦すほど欲しがり、久秀が命に代えても渡さなかった平蜘蛛茶釜とは、一体どれほどの名物だったのでしょうか。
■松永久秀に関する記事:
『豊臣兄弟!』“悪役” 松永久秀(竹中直人)は本当に東大寺大仏を焼いたのか?史料から見えた真実 破天荒で壮絶な人生を駆け巡った戦国時代の武将「松永久秀」:その1 平蜘蛛茶釜とは?
平蜘蛛茶釜?を見せる松永久秀。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
天下の名物と謳われた平蜘蛛茶釜は、正しくは古天明平蜘蛛(こてんみょう ひらぐも)と言いました。
古天明とは茶釜のブランドである天明釜(下野国天明・栃木県佐野市産)のうち、天文年間(1532〜55年)までに作られたものを指します。
それ以降に作られた天明釜は後天明(ごてんみょう)と呼ぶそうで、少し紛らわしいですね。
※現代の市立(いちりつ)と私立(わたくしりつ)みたいに、古天明(ふる)後天明(のち)などと呼ばれたのでしょうか。
そして平蜘蛛とはその名が示す通り、蜘蛛が平べったく這っているような形状であったことから、そのように呼ばれました。
しかし蜘蛛のように平べったい茶釜とは、どんな形状だったのでしょうか。
一、蜘蛛足を連想させる八角形?
一、とにかく薄く平べったい?
一、蜘蛛のデザインが刻まれていた?
一、焼き色に蜘蛛みたいな模様が?
……などなど、色々と考えてみると面白いですね。
久秀の壮絶な最期
自刃に臨み、平蜘蛛茶釜を叩き割る久秀。月岡芳年「芳年武者无類 弾正忠松永久秀」
そんな平蜘蛛茶釜を、久秀がどういう経緯で入手したのか、詳しいことはわかっていません。
ともあれ信長は久秀が臣従すると、ひたすら平蜘蛛茶釜を所望し続け、久秀はひたすら拒否し続けたのでした。
臣従する時に名物の九十九髪茄子(つくもかみなす)を献上したというのに、まったく信長も強欲なものです。
一度目の謀叛が元亀4年(1573年。天正元年)、そして天正5年(1577年)に二度目の謀叛を起こしました。
問答無用で叩き潰せばいいのでしょうが、信長は「平蜘蛛茶釜に何かあったらどうするんだ」とばかり、まずは久秀の説得を試みます。
家臣の松井友閑(まつい ゆうかん)を派遣して、一体何が不満なのか聞こうとし、平蜘蛛茶釜を差し出せば赦してやるなどと言い出しました。
しかし久秀は「今度という今度は、断じて降伏などするものか」とばかり、友閑に会おうともしません。
説得に失敗した信長は、嫡男の織田信忠(小関裕太)に10万の兵を与えて信貴山城を包囲させます。
そして再度、佐久間信盛(菅原大吉)から平蜘蛛茶釜を差し出すよう伝えましたが、久秀の決意は寸毫たりとも揺らぎません。
先ほど紹介した通り、久秀は平蜘蛛茶釜を粉々に砕き割って城に火をかけ、自刃して果てたのでした。
時は天正5年(1577年)10月10日。永禄10年(1567年)に東大寺大仏殿を焼き払ってからちょうど10年であったため、人々は春日明神の神罰だろうと噂したそうです。
久秀の首級は信長の元へ送られ、胴体は達磨寺(奈良県王寺町)に葬られました。
平蜘蛛茶釜は本物だった?
自刃に臨み、平蜘蛛茶釜を叩き割る久秀。落合芳幾「太平記英勇傳 松永弾正久秀」
かくして戦火に失われたと思われた平蜘蛛茶釜ですが、『松屋名物集』によれば多羅尾光信(たらお みつのぶ)が焼け跡から破片を掘り起こし、復元したと伝わっています。
そして『天王寺屋津田宗及茶湯日記他会記』には、天正8年(1580年)閏3月13日に光信の父・多羅尾綱知(つなとも)が茶席で「平くも釜」を用いました。
この「平くも釜」が復元された平蜘蛛茶釜だったのでしょうか。信長に召し上げられそうなものですが、一度砕け散った茶釜には、興味を失ったのかもしれません。
また『玉栄拾遺』には、覚悟を決めた久秀が平蜘蛛茶釜を柳生松吟庵(やぎゅう しょうぎんあん)に託し、自身は偽物の平蜘蛛茶釜を砕いたと記されています。
他にも江戸時代の軍記物語『川角太閤記』や『老人雑話』によると、久秀が平蜘蛛茶釜に爆薬を詰めて火を放ち、壮絶な最期を遂げたと脚色されています。
■松永久秀に関する記事:
『豊臣兄弟!』“悪役” 松永久秀(竹中直人)は本当に東大寺大仏を焼いたのか?史料から見えた真実 破天荒で壮絶な人生を駆け巡った戦国時代の武将「松永久秀」:その1※参考文献:
天野忠幸『松永久秀と下剋上 室町の身分秩序を覆す』平凡社、2018年6月 谷口克広『信長と消えた家臣たち』中公新書、2007年7月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

