【豊臣兄弟!】大河史に残る大爆散死!史実から極悪人・松永久秀の本当の姿と「平蜘蛛」の真相を読み解く
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」、戦国大名・松永久秀の役が竹中直人さんだとリリースされて以来、「ボンバーマン来た!」とSNSで話題になっていました。第11話『本國寺の変』では、織田信長(小栗旬)と会うシーンで登場、不敵な笑みが「ピッタリ!」と評判でした。
そして放送された第20話『本物の平蜘蛛』。
「楽しませてもらうわ!信長の間抜けな姿を!」
黒煙と燃え上がる炎に包まれたど迫力の“笑いながら怒る人“松永久秀。「ハハハハハハハハハハーーーッ」という高らかな嘲笑の中、大河ドラマ史に残る見事な大爆散死を遂げました。
久秀は、美濃の斎藤道三・備前の宇喜多直家と並ぶ『戦国三悪人』『戦国三大梟雄』(※)などと呼ばれ、極悪人のイメージが強い武将です。(近年の研究では、「言われているほどの悪人ではなかった」という説が)
けれど、一方では茶湯や茶器をこよなく愛する文化人でもありました。“極悪人“といわれた久秀と、彼に愛された“器“などの逸話を探ってみました。
※梟雄:荒々しく強い、残忍・狡猾な英雄。
■松永久秀に関する記事:
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「ぴったり」の声が多い、竹中直人さんの松永久秀。(NHK『豊臣兄弟!』公式「X」より
極悪人・裏切り者・爆弾正のイメージが強い久秀松永久秀(松永弾正)が誕生したのは永正5年(1508)。前半生の史料は少なく、出生地は諸説あります。天文年間には三好長慶に随従し、当初は右筆のち訴訟取次(奏者)として文書・裁許の実務を担っていたようです。
その働きぶりは高く評価され、大和国(現・奈良県)を与えられ、信貴山城を自らの居城としました。出自が定かではない久秀が、時の実権を握る家を取り仕切り将軍の側に仕え、一城の主となるというのは出世街道まっしぐら、かなり優秀な人物だったのでしょう。
けれども、信長が久秀のことを『この老人は天下に名を轟かす三つの悪行を犯した』と評するほどの有名な三つの悪事伝説の持ち主でもあります。
▪️三好長慶の嫡男・義興を毒殺異例の出世を遂げた久秀に対して、三好家内部では警戒する人々もいました。そんな中、長慶の弟や長慶の嫡男・義興が相次いで病死。久秀が毒殺したという噂が流れました。けれどもそれを証明する一次史料はないそうです。
▪️13代将軍足利義輝襲撃に加わった長慶が没後、後継の三好義継と重臣三好三人衆(三好長逸・三好宗渭・岩成友通)が取り仕切るようになりました。1565年、三人衆は13代将軍・足利義輝の二条御所を襲撃し暗殺。これは、久秀が裏で糸を引いていたという黒幕説があります。
▪️東大寺の大仏殿を焼き討ちにした三好三人衆は14代将軍に足利義栄を擁立し自分たちの権力を築きつつ、邪魔な久秀を排除にかかります。彼らに軽視されるようになった三好義継は久秀を頼るように。三人衆と決裂した久秀は、永禄10年(1567)、東大寺に陣を置いた彼らを奇襲します。
その際、東大寺大仏殿に火を放ったとされていますが、さまざまな記録をみると、その裏付けはなく、実際は戦闘中に起きた火災という説が強くなっているようです。
▪️けれど日本初、クリスマスパーティーで休戦!久秀軍と三人衆軍の間は決着はつかないまま勢力争いを続けていたのですが、同年12月のクリスマスには一時休戦します。
両軍合わせて70人ほどの信徒たちは、合同で堺にある会合所でミサを行い、その後料理を持ち寄って、食べたり歌ったり、デウス(キリスト教の宗教におけるイエス・キリストの父)の話を語り合ったり、宣教師の話に耳を傾けたり……と、一緒に聖夜を過ごしたそう。
両軍ともキリシタン(しかも幹部クラス)が多かったため実現したといわれています。
そのため久秀は、日本で初めてクリスマスパーティーをひらいた武将とも。極悪人とは程遠い、興味深いエピソードですね。
茶湯と茶器をこよなく愛する風流な茶人
久秀は、茶湯を愛する茶人でもありました。
奈良や堺の一流茶人との交際も多く『天王寺屋会記』『松屋会記』などの茶会記に記録も残っているそうです。
久秀が茶の湯の席に初めて記録に名を記すのは、まだ久秀が摂津芥川城にいた頃。亭主は堺茶道の祖・武野紹鴎、客は久秀と堺の豪商・今井宗久でした。宗久は後に信長・秀吉の茶頭を務めたほどの人物です。久秀は早い時期から堺の有力者たちと交流があったようです。
当時、一流茶人として認められるためには「名物茶器の所持」必須でした。久秀が特に大切にしていたのが、『九十九髪茄子』(つくもかみなす)という茶入れと『平蜘蛛』という茶釜でした。
「九十九髪茄子」は、室町将軍の中でも最も権力を持っていた3代将軍・足利義満秘蔵の茶入れです。8代将軍・義政の時代に所有者を転々としながら価値は上り、久秀が手に入れたときには、一千貫払ったという大変高価なものでした。(現代では約7,800万円とも1億超えとも)
久秀は、信長上洛の際、「忠誠の証」としてこれを献上、信長から大和国を任せられます。第11話『本國寺の変』でもこの場面が描かれていましたね。
久秀と組むことを足利義昭(尾上右近)に伝えた信長。悪い噂を「三好の流したデマ」と言い切り、「デマを信じていては天下を掴むことなどできますい」と煽り、重臣たちを一触即発のムードに。
その空気をぶち破ったのが秀吉の「屁」。屁をしたことを小一郎になすりつけ、「『屁』の濡れ衣を着せられ、松永殿の無念がわかりまする!」と物申し、一気に空気はお笑い展開になっていましたが。
信長に向きあう松永久秀。NHK大河『豊臣兄弟』公式サイトより
戦禍をくぐりぬけた「九十九髪茄子」は今…宣教師・ルイス・フロイスの記録では、信長は、明智光秀の謀反にあった本能寺にも「九十九髪茄子」を持ち込んでいたそう。
その後、本能寺の焼け跡から発見されて豊臣秀吉の手に渡り、子の秀頼に受け継がれ、大坂夏の陣で再び戦火に遭い、徳川家康の命で焼け跡から発見されました。
けれども破損していたため江戸時代前期の塗師・藤重藤巌の手で漆接ぎが行われ……と、戦禍をくぐり抜けてきた「九十九髪茄子」。
明治時代に三菱の岩崎家の手に渡り、現在は岩崎家の蒐集品を展示する『静嘉堂文庫美術館』の所蔵になっています。
手のひらに乗るようなコロンとしたルックスの「九十九髪茄子」。茶入れの中に入っている付喪神(つくもがみ※)が「あ〜、やれやれ。やっと落ち着いたわい」とでもいっているかもしれません。
※付喪神:長い年月を経た道具などに精霊(霊魂)が宿ったもの
コロンとした丸茄子そっくり『九十九髪茄子』(イメージ)photo-ac
「信長には断じて渡さん」と言い放った「平蜘蛛」そして、もう一つの久秀の宝物が、第20話の主役『本物の平蜘蛛』です。
そもそも平蜘蛛とは、体調1cmほどの蜘蛛のことで地面に這いつくばったような姿が特徴だそう。茶器の「平蜘蛛」もその姿から名付けたもので、正式には『古天明平蜘蛛』といいます。
平蜘蛛釜は、底が浅く胴部の丈が低く口が広くなっていて、古代の中国では炊飯に用いられていたそうです。ほとんどはあっさりしたデザインで千利休の時代になると使われなくなったそう。それゆえ珍重されたのでしょうか。
史実では、九十九髪茄子を献上後、信長はことあるごとに平蜘蛛を所望し、そのたびに久秀は断っていました。
天正5年(1577)、信長軍の一員として大坂本願寺を攻めていた最中、久秀は突如として子の久通とともに戦線離脱。信貴山城(奈良県平群町)に戻り立て籠もります。
この二度目の謀反に驚いた信長は、松井有閑を派遣して理由を聞こうとするも、久秀は会おうともしません。さらに、信長は久秀に「平蜘蛛を差し出せば助命する」と伝えます。(ドラマではその役を豊臣兄弟が)
その際、久秀は「平蜘蛛の釜とわれらの首の2つは、信長公にお目にかけようとは思わぬ。粉々に打ち壊すことにする」と言い放ったと伝わっています。
信長は嫡男・信忠を総大将とし、明智光秀、筒井順慶を主力とした軍勢を派遣し、同年10月、信貴山城を包囲し久秀を窮地に追い込み落城。久秀・久通父子は自害しました。
落城の際、久秀は天守で平蜘蛛を叩き割り、茶釜に火薬を詰めて爆死。首も茶器も木っ端みじんに砕け散ったという爆死説が有名ですが、話の出典は、江戸初期に成立した軍記物『川角太閤記』なので信憑性は低く、後の創作ではないか?といわれています。
また、「自らの手で平蜘蛛を打ち砕きそのまま焼死」「久秀の首と平蜘蛛は、鉄砲の火薬で木っ端みじんに砕かれた」という説も。
冒頭でご紹介したように、「豊臣兄弟!」のドラマでは、視聴者の熱い要望に応えて、豊臣兄弟を巻き込んだ派手な爆死となりました。
平蜘蛛を割る場面『芳年武者牙類:弾正忠松永久秀』(月岡芳年筆)wiki
「平蜘蛛釜」の行方は…松永久秀や織田信長を虜にした茶釜「平蜘蛛」。
残されている史料では、「実用された名物」「失われた名物」として淡々と記録されているものの、近世軍記の劇化と江戸期の梟雄化を経て、現代の歴史小説・大河ドラマ・ゲームでは「爆弾と化した茶釜」へと姿と変化しました。
2021年には、戦国武将や歴史グッズを手がける、関ヶ原の新聞販売店「小川新聞店」が「古天明平蜘蛛」のぬいぐるみを製作。丸くてもふもふの形状は、「爆死」のイメージとは遠い可愛いグッズでした。
2018年までは、静岡県浜松市西区(現:中央区)舘山寺町に存在していた『浜名湖舘山寺美術博物館』が「平蜘蛛釜」と伝わる茶釜を所蔵していたそう。
『茶湯古事談』(江戸初期)には、「釜は失われた」と記されているようで、その行方は不明のようです。
武将の執念と所有欲と愛憎がこもった平蜘蛛。もしかしたら誰かの手によって修復され、どこかで九十九髪茄子のように「やれやれ、これで静かに過ごせるわ」と思っていたりして……など、想像してしまいました。
「道具は、後生大事に保管せず、本来の役割通りに使ってこそ」「道具は100年経ると付喪神がつく」と言いますから。
■松永久秀に関する記事:
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『日本史を暴く』磯田道史著
『松永久秀 歪められた戦国の“梟雄”の実像』天野忠幸 著
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan


