【豊臣兄弟!】次回「風雲!竹田城」を予習。小一郎(仲野太賀)が総大将デビューで覚醒?激闘の顛末を紹介
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第21回放送「風雲!竹田城(たけだじょう)」では、羽柴小一郎長秀(仲野太賀)が初めて総大将として城攻めを任されます。
余談ながら、今回のサブタイトルを聞いて「風雲!たけし城」を連想した方は少なくないでしょう。
さて、小一郎のいわば総大将デビュー戦はどのようなものだったのでしょうか。
※参考:
『豊臣兄弟!』なんと勝率9割超!豊臣秀長(小一郎)“負けない弟”の証明となる“全戦歴”完全版今回は大河ドラマ「豊臣兄弟!」の予習として、羽柴長秀による竹田城攻めを紹介したいと思います。
短期決戦!激闘の末に攻略
雲海に浮かぶ竹田城を攻める小一郎。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
小一郎は兄の羽柴筑前守秀吉(池松壮亮)とともに中国攻めを命じられました。
時に天正5年(1577年)11月、途中で秀吉と別行動をとった小一郎は、但馬国(兵庫県日本海側)へ進軍します。
狙うは竹田城(兵庫県朝来市)、ここは近くの生野銀山をおさえる要衝でした。
まずは出城の岩洲城(いわすじょう。同市)を攻略、これで後顧の憂いなく竹田城に攻めかかれます。
出城があると、援軍が出て来て挟み撃ちにされるため、本城攻略に集中できません。そのため、本城と出城があるケースでは、まず出城を攻略しておくのがセオリーでした。
さて、竹田城を守る大将は太田垣輝延(おおたがき てるのぶ)、中国地方の覇者・毛利輝元(濱正悟)に仕える武将です。
天険の要害でしたが、小一郎は果敢に攻めかかり、激闘の末に竹田城を攻略したのでした。
……直に但馬国へ相働き、先山口岩州の城を落城(せめおと)し、此競に小田垣(太田垣)楯籠る(たてこもる)竹田へ取懸り、是又退散……
※太田牛一『信長公記』より。
【意訳】小一郎は但馬国へ攻め込み、まず山口(朝来市山口)にある岩洲城を攻略。その勢いで太田垣輝延が立て籠る竹田城に攻めかかり、これまた追い払った。
怒涛の如く攻めかかった様子が目に浮かぶような記述ですね。
これまでの温和なイメージとは打って変わって、小一郎の鋭い用兵ぶりが、大河ドラマでも演じられるのでしょうか。
小一郎はなぜ竹田城を放棄した?
黒田官兵衛と竹中半兵衛がそろい踏み。竹田城の一時放棄は彼らの策略だった?NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
……則(すなわち)、普請(ふしん)申付け、木下小一郎(羽柴長秀)城代として入れ置かれ候キ(そうらいき)……
※太田牛一『信長公記』より。
【意訳】竹田城を占領した小一郎は、すぐに竹田城の修繕工事に着手した。そして小一郎は城代として竹田城の守備を任される。
さて、見事に竹田城を攻め落とした小一郎は、自身の初勝利に浮かれている暇はありません。
いつ敵が反撃して来ないとも限らないため、小一郎は激戦で損傷した竹田城の修繕工事(普請)を実施しています。
『信長公記』では竹田城の戦いについて詳しい記述がないものの、城郭が損傷するくらいには激しく戦ったことは、想像に難くありません。
しばらく竹田城を守備した小一郎は、天正7年(1579年)5月に信長から「明智光秀(要潤)への援軍として丹波国(京都府中部)へ攻め込め」と命じられました。
小一郎は任務を遂行・完了しますが、竹田城へは戻らず秀吉のいる播磨国(兵庫県南部)へ合流します。
あれ?せっかく占領して、およそ1年半も維持していたのに、放棄してしまっていいのでしょうか。
これが戦略的意図による行動(あえて放棄した)か、あるいは秀吉のいる播磨戦線を優先した苦渋の決断なのかはわかりません。
もちろん毛利方がこれを見逃すはずもなく、再び太田垣輝延が竹田城を占領しました。しかしこのまま引き下がる小一郎ではありません。
およそ1年が過ぎた天正8年(1580年)4月、小一郎は6,400の軍勢を率いて竹田城へ進攻し、今度は難なく再占領したようです。
勝手知ったる竹田城、と言ったところでしょうか。先ほどの一時放棄は、もしかしたら「いつでも奪還できるから、一度仕切り直そう」くらいの感覚だったのかもしれませんね。
『武功夜話』による竹田城攻めは?
昭和期に「発見」され、戦国時代のイメージ形成に大きな影響を与えた『武功夜話』では、この竹田城攻めについてより詳しく記述されています。
……太田垣土佐守高所に城を築き立ち向かい候。御大将羽柴小一郎殿人馬の息を休めず逃集の一揆輩悉く切り崩し追い打ち在々に火を放ち竹田の城に寄せ懸かり候ところ、高山険阻に拠り岩石を投げ落とし手向かい候。寄せ手の面々物とも為さず山谷を打越え諸手より鉄砲三百挺筒先を相揃え打ち入り候えば、遂に叶わず降参、城を相渡し退き候なり……
※『武功夜話』より。
【意訳】太田垣輝延(土佐守)の守る竹田城に、小一郎は(岩洲城攻略から)休む間もなく攻めかかった。小一郎は敵を斬り崩してあちこちに火を放ち、竹田城に接近すると、敵は上から岩石を投げ落として抵抗する。それでも小一郎らは怯むことなく攻め続け、別働隊が三百挺もの鉄砲であちこちから撃ち込んだ。それで城兵はたまらず、竹田城を棄てて逃げ出したのである。
とのことですが、そもそも『武功夜話』は史料としての信憑性が疑わしく、後世の創作とみるのが妥当でしょう。
しかし大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、墨俣一夜城など『武功夜話』の逸話も採り入れていることから、こちらも採り入れるかもしれません。
歴史研究家ならともかく、筆者を含む一般の視聴者は「面白ければ大目に見る」のが正しい楽しみ方と言えるでしょう。そこで今回はこちらも紹介したのでした。
終わりに
第21回放送「風雲!竹田城」NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
その後、竹田城が再び毛利氏に奪われることはなく、小一郎はしばらく竹田城の守備を任されます。
肩書きこそ城代(あくまで城主の代理)ですが、実質的には小一郎が竹田城の主として、政治と軍事の采配を揮(ふる)いました。
大河ドラマ「豊臣兄弟!」第21回放送「風雲!竹田城」では、小一郎の将器が試されることでしょう。
兄とともに立身出世を遂げる小一郎の活躍と成長が楽しみですね!
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平井聖ら『日本城郭大系 第12巻 大阪・兵庫 』 新人物往来社、1981年3月 戦国合戦史研究会『戦国合戦大辞典 第六巻 京都・兵庫・岡山』 新人物往来社、1989年2月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan


