『豊臣兄弟!』ドラマでは描き切れなかった松永久秀(竹中直人)…平蜘蛛と爆死だけでは終わらない本当の実像 (2/2ページ)
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信貴山城・多聞城に込められた久秀の戦略
1559年(永禄2年)、大和へ進出した松永久秀は信貴山城を改修、その2年後には多聞城を築き、この二つの城郭を拠点に大和統一に乗り出します。
久秀が信貴山・多聞両城を本拠としたのには、大きな意味がありました。それは両城が建つ立地です。
最初に築いた信貴山城がある信貴山は、大阪府八尾市と奈良県生駒郡の県境近くに位置する標高437メートルの山。信貴山城からは、東に大和地方、西に河内地方を一望できます。
信貴山は、大和と河内の中間地点に位置し、その南端には奈良県桜井市・宇陀市付近を源流とする大和川が流れ、摂津・河内を通って、瀬戸内海運の要衝・難波へ注ぎます。
その近くには、南蛮貿易で栄えた堺がありました。おそらく久秀は大和川の水運を利用し、物資や人員を堺に運搬していたのでしょう。それゆえに久秀は、堺と太いパイプで結ばれていました。
つまり信貴山城は、攻略を進める大和の状況を掌握しながら、東アジアはもとよりヨーロッパ世界に通じる堺にアクセス良好な立地であったのです。
一方、多聞城は平城京の外京にあたる標高115メートルの眉間寺山に築かれました。東の山麓には奈良と京都を結ぶ街道が通り、南には東大寺や興福寺をはじめ奈良の町が広がります。
戦国時代、奈良の商人たちは興福寺・東大寺などの大寺院と結びつき、特権的地位である座を結成。高級麻織物の奈良晒(ならさらし)や日本酒、醤油、奈良漬などの製造・販売を行い、裕福な商家がたくさんありました。

久秀が焼き討ちしたとされてきた東大寺大仏殿(Wikipedia)
久秀はそのような大和の富に着目していたようです。当時の寺院の記録には、出兵のたびに商家だけでなく、大寺院にまで徴税を要求する久秀に辟易していた様子が記されています。
ただしこれらは、高い経済力を有する堺と奈良を抑えるべく信貴山城、多聞城を築いたこと、権門である寺社勢力にも遠慮しない態度など、久秀の優秀さを物語る例と言えるでしょう。
多聞城は戦国屈指の文化サロンだった松永久秀と言えば、将軍足利義輝殺害、東大寺大仏焼き討ちなど、戦国時代を代表する悪人というイメージが付きまといますが、現代の歴史研究では否定的な説が多いようです。
それどころか、久秀は戦国を代表する文化人であったことが、その居城である多聞城の様子から伺えます。『柳生文書』によれば、多聞城の主要な建物として「主殿」「会所」「庫裏」がありました。

多聞城復元図。中央の建物群が主殿・会所。伊藤展安「戦国の城」(学習研究社)
主殿・会所は、戦国期の城館や公家屋敷における儀礼の建物です。主殿は主君と家臣、あるいは来賓者を迎える正式の対面行事の場。一方、会所は身分に関係なく連歌の会や宴会を行った、いわば文芸活動のための場でした。
多聞城の主殿・会所の内部は、美しい調度品が用いられていました。柱には彫刻や真鍮製の飾りが施され、赤銅の引き手は京都の著名な金匠(きんしょう)である太阿弥(たいあみ)に依頼。また障壁画は、狩野派の絵師に描かせました。
多聞城の豪華さについては、1565年(永禄8年)に多聞城を訪ねた宣教師ルイス・デ・アルメイダは「御殿の壁には日本と中国の古い歴史物語が描かれている。画のないところは金が施されていた」と記しています。
さらに多聞城内には、「北向きの六畳敷右構え」と「北向き四畳半左勝手」の二つの茶室があったとされます。久秀はここで茶会を開き、「煙寺晩鐘」の軸、「九十九髪茄子茶入」「平蜘蛛茶釜」など天下の名器を用いて、千利休、曲直瀬道三など当代一とされる名士たちを招きました。
まさに茶人・松永久秀の面目躍如というもの。そしてこのような多聞城は単なる軍事拠点ではなく、畿内随一の文化サロンでもあったのです。
いかがでしたか。「梟雄」「悪人」と語られることの多い松永久秀ですが、その実像は、優れた武将であるとともに、戦国の先端文化に通じた教養人・文化人でもありました。
つまり、久秀は武力だけでなく、文化によっても時代に大きな影響を与えた人物だったのです。
次回は、そんな久秀が家臣たちとどのような信頼関係を築いていたのか、その人物像をさらに掘り下げていきます。
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トップ画像:大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより
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