【豊臣兄弟!】市川團子が演じる信長最愛の小姓…18歳で討死した美少年・森乱(森蘭丸)の短すぎた人生

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【豊臣兄弟!】市川團子が演じる信長最愛の小姓…18歳で討死した美少年・森乱(森蘭丸)の短すぎた人生

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。

5月31日(日)は第21話『風雲!竹田城』。このサブタイトル「狙っているとしか思えない!」と、“某番組をご存じの界隈”では大いに盛り上がりを見せています。

小一郎(仲野太賀)は初めて総大将として戦に臨むことに……あの少年漫画のようなノリで夢いっぱいに故郷を出た1話から比べると、ずいぶん立派になったものです。

そんななか、新たに公式から扮装が公開となったのが、市川團子(いちかわだんこ)さん演じる「森乱(もりらん)」(森蘭丸)です。森乱ファンも團子さんファンからも「待ってました!」の声援が。

登場を楽しみにしていた人が多い森乱、どのような人物なのでしょうか。

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大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式Xより

信長に仕えた「森蘭丸」こと「森乱」

森乱は、「森蘭丸」として表現されるケースが多いために、「森乱って誰?」と思う人も少なくないようです。

森乱こと森成利(もりなりとし/森長康とすることも)は、幼少期から織田信長に仕え若くして『本能寺の変』で信長と最後を共にした人物として有名です。

容姿端麗、武芸にも学問にも優れていたという森乱の逸話は数多く残され、忠義心が強く聡明かつ洞察力に長けた森乱に、信長は絶大な信頼を寄せていたと伝わります。

2023年の大河「どうする家康」でも森乱の名前で登場していました。(演:大西利空)

このときは、前髪を下げずになでつけて後ろに流すヘアスタイルで中性的な美少年という雰囲気。四面楚歌状態の信長(岡田准一)が、「お乱!」と一声上げると、すかさず信長の手元に槍を投げて渡す2人のツーカーのシーンは、美しくも妖艶で「お乱呼び、ドキドキする」と評判になっていました。

大河ドラマや映画などで活躍する人物デザイナー・ビューティーディレクターである柘植伊佐夫氏によると、これは「ご本人の精悍さと美しさを見ながら変えた。メイクは怪しさを意識した。すべて信長の美学」だそうです。

今回「豊臣兄弟!」で、森乱を案じるのは市川團子さん。九代目市川中車(香川照之)さんの長男です。2012年に「ヤマトタケル」で五代目市川團子を名乗り初舞台。『義経千本桜』の「川連法眼館」通称「四の切」、澤瀉屋(おもだかや)のなかでも人気演目で、早替り舞踊に挑戦する『獨道中五十三驛』などで、注目度はますます上がり、“歌舞伎界の未来を担う存在”として活躍の場を広げています。

映像の仕事はほぼ初めてとのことで、大河ドラマ初出演。公式サイトのコメントによると……

〜(森乱は)中性的なイメージがあり、信長のために忠義を尽くした多くのエピソードが残されています。信長への並外れた忠誠心と、一挙手一投足についていく明晰さが魅力的な人物だと感じました。

心身ともに美しい蘭丸を演じさせていただくことは大変恐縮ですが、自分の持てる全ての力を出し切りたいです。〜

とのことです。大西利空さんの妖艶な美少年というイメージの森乱とはまた一味違い、市川團子さんの森乱は、キリリとした有能そうな感じで凛々しい雰囲気。美しい凝った衣装も見どころですよね。信長(小栗旬)とのやりとりはどのような雰囲気になっていくのでしょうか。楽しみです。

ただの美少年ではなく有能な家臣だった森乱

「團子さんの森乱楽しみ」「所作が異様にきれいそう!」「森乱がでてくるということはそろそろ本能寺が近い」などと、SNSがざわついた森乱の公式登場。

そんな森乱は、永禄8年(1565)に信長の家臣、森可成(もりよしなり)の三男として美濃国(現在の岐阜県)金山に誕生。天正10年(1582)、わずか17〜18歳という若さでその生涯を終えました。

森乱が誕生した頃は、信長が今川義元に勝ち武将としてその名を上げ始めた頃。息子も父と同様に信長に仕えることとなりました。

一般的にお馴染みの「蘭丸」は幼い頃の名前で、本名は「成利」(長定という説も)。

わずか15歳で、信長の身辺にて諸々の雑用を請け負う小姓として仕え始めたのですが、もともと才覚がある少年で、『信長公記』によると天正7年(1579)頃から、奏者(主君が、家臣に褒賞を与えるときの取り次ぎを行う役目)として重用されていたそうです。

※小姓とは?

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まだ若いながらも、才能豊かな家臣として頼りにされていたと伝わります。

「森乱」の父・可成。NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より)

美濃国岩村5万石を与えられた森乱

天正10年(1582)3月、信長は竹田氏の諸城を次々と攻め落として武田信玄の4男として生まれ、信玄拍子後に家督を相続して20代当主となった武田勝頼を自害に追い込みました。

勝頼が亡くなり武田氏は滅亡。信長は、旧武田領を分割し、美濃国岩村5万石を森乱に与えたのでした。

その後、同年6月、信長は毛利氏と戦っていた秀吉からの援軍要請を受け、その道中で京都の本能寺に宿泊しました。この時、本能寺には森乱のほかに、信長が招いた客人や使用人なども複数いたと伝わります。

本能寺に宿泊した晩、外の騒々しさに目を覚ますと、大量の軍勢が本能寺を取り囲んでいました。森乱は、明智光秀が謀反を起こしたということを大急ぎで信長に伝え、信長を守るために必死に戦いました。

『信長公記』による描写では…

明智軍が本能寺の周りを取り巻いたときに、最初は中間らの喧嘩かなにかの騒ぎだと思った小姓ら。ところが鬨の声をあげた兵が境内になだれ込み、鉄炮が撃ち込まれた。

「これは謀反か。如何なる者の企てぞ」と信長がいうと「明智が者と見え申し候」と答える森乱。

「是非に及ばず」と。信長

というやり取りがあったことが記されています。森乱は信長とともに、18年という短い生涯に幕を閉じたのでした。

「本能寺の変」への因子が着々と溜まっている様子の明智光秀(要潤)(NHK大河「豊臣兄弟!」公式サイトより)

さまざまな逸話が残る森乱

眉目秀麗、頭脳明晰な森乱に関する逸話は数多く存在します。代表的なものをご紹介しましょう。

『太平記英勇伝』における「森蘭丸長康」(Wikipediaより)

▪️信長の愛刀「不動行光」を授かる

信長の愛刀で、刀身に不動明王が彫られている鎌倉の刀工・藤三郎行光作の『不動行光(ふどうゆきみつ)』。信長は折につけ、この刀を自慢していたそうな。

あるとき、信長は不動行光を鞘から抜いて、小姓らに「鍔(つば)に刻まれた菊の花の数を当ててみよと」尋ねます。

皆がさまざまな数をいう中、森乱だけは黙ったまま。わけを尋ねると「既に知っております」。と答えます。常に刀を預かる立場だったので、観察していて知っていたのです。

信長は、森乱の正直さと共に細かいところまで注意深く見ている観察眼に感心。『不動行光』を森乱に与えたのでした。(『名将言行録』)

▪️障子を占める音をわざとたてる

あるとき、信長より「障子を占めてこい」と命じられた森乱。部屋に行ってみるとすでに障子は閉まっていたので、一度障子を開けてから、ピシャッと音を立てて閉めました。

「障子は開いていただろう?」という信長の問いに「いえ、閉まっていました。」と答える森乱。一度わざと開けてから閉めた理由は、

「主君が皆の前で、『障子が開いているから閉めてこい』と仰せになったものを『閉まっていました』と申してはお言葉が間違いになってしまいます。それで、わざと開けて、皆に聞こえるよう音を立てて閉めたのです」と答えたそうです。

信長が間違っていたとは絶対に周囲に思わせない。なかなか気配りに長けている人物ですね。(『名将言行録』)

▪️信長の爪の数を数える

あるとき、信長が自分の爪を切った後に、森乱に「捨ててこい」と命じます。
けれども、森乱は無言で立ちあがろうともしない様子。

不思議に思った信長が尋ねると「切った爪が1つ足りない」とのことでした。結局、よく探すと森乱の袖の上にあった1つ爪が落ちていたそうです。

よく気がつくものだと感心した信長。当人の爪を使えばその人物を呪い殺すこともできるという呪術があったために、森乱は何者かに悪用されるのでは!?と必死に探したのだろうともいわれています。(『老談一言記』『朝野雑載』)

本能寺の変の気配に気がつく

森乱は早い時期から『本能寺の変』の悪い予感があったようです。

あるとき明智光秀が食事をしている様子を観察していた森乱は、光秀が気もそぞろで口の中に入れた飯を噛む様子もなく、箸を取り落とす様子をみて、「何か深く考え込んでいるに違いない。」とピンと来たそう。

信長に、ひょっとして明智殿の様子がおかしいのは「殿への逆心かもしれません」と伝えたそうです。日頃から、光秀の信長への不満が募っていることを察知して忠告したのでした。

さらに本能寺の変の一ヶ月ほど前。

安土に徳川家康を招いて接待する役目を命じら得た光秀。「信長に嫌われている」と思っていた光秀は喜んで、家康の宿所とした大宝院に仮の御殿を造り壁に絵を飾り、柱には彫刻を施し、庭には珍しい草花を植えるなど、精一杯のおもてなしプランを考えて実行しました。

ところが、これが逆に信長の怒りを買うことに。

「こんなに贅沢の限りを尽くすとは不届きな。関東の上客にこれほどのことをすれば、朝廷から勅使を迎えるときにはどうするつもりだ?」と言われ、満座の中で叱りつけます。

さらに、信長は「誰か光秀の頭を打て!」と命じます。誰もが躊躇する中、森乱がたちあがって鉄扇で光秀の頭を打ちました。烏帽子や破れ額からは血を流す怪我を負わせたのでした。

この半月後。『本能寺の変』が起こったのでした。

『豊臣勲功記』本能寺で討ち死にする森蘭丸 (右田年英画)wiki

一生涯「信長ファースト」に徹した森乱

徹底して信長に忠義を尽くし、何がなんでも「信長ファースト」だった森乱。
観察力、心配りに長けながらも、自分の才能を誇示することなく控えめで自分よりも相手を立てるタイプの人だったそうです。

3年という短い間でしたが、信長への無償の愛を感じますね。本能寺で信長とともに炎に包まれ、最後の最後まで信長を守ろうと必死で戦ったのでしょう。

大河ドラマ「豊臣兄弟!」でも、少しずつその時が近づいてきました。

豊臣兄弟とのやりとりとはまた別の雰囲気になるであろう、魔王信長と森乱との関係。どのように描かれるのか楽しみです。

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参考:森蘭丸 澤田ふじ子(著)

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