【豊臣兄弟!】加藤清正や福島正則の陰に隠れた名将…“賤ヶ岳の七本槍” 糟屋武則がたどった生涯

Japaaan

【豊臣兄弟!】加藤清正や福島正則の陰に隠れた名将…“賤ヶ岳の七本槍” 糟屋武則がたどった生涯

賤ヶ岳の七本槍と言えば、大河ドラマ「豊臣兄弟!」にも登場する加藤清正や福島正則ら、秀吉子飼いの若武者たちが活躍した印象が強いと思います。

しかし七本槍の全員が秀吉子飼いではなく、中には他勢力からの鞍替え組もいました。というか、秀吉子飼いと言えるのは清正・正則のほか平野長泰くらいで、新参者の方が多かったようです。

糟屋武則→元別所家臣(調略で寝返る) 片桐且元→浅井旧臣(主家の滅亡) 加藤清正→子飼い(秀吉の又従兄弟) 加藤嘉明→元徳川家臣(三河一向一揆で放浪) 平野長泰→子飼い(父の伝手で仕官) 福島正則→子飼い(秀吉の従兄弟) 脇坂安治→浅井旧臣(主家の滅亡)

※五十音順。

今回は新参者の一人である糟屋武則(かすや たけのり)を紹介。果たしてどんな生涯をたどったのでしょうか。

※「豊臣兄弟!」関連記事:

【豊臣兄弟!】市川團子が演じる信長最愛の小姓…18歳で討死した美少年・森乱(森蘭丸)の短すぎた人生

【豊臣兄弟!】次回「風雲!竹田城」を予習。小一郎(仲野太賀)が総大将デビューで覚醒?激闘の顛末を紹介

武勇と実務能力を兼ね備えた名将

落合芳幾「太平記英勇傳 糟屋内膳正武則」

糟屋武則は永禄5年(1562年)に志村某の子として誕生。幼くして父を亡くしたため、播磨加古川城(兵庫県加古川市)を治めた糟屋朝正(ともまさ)の養子となりました。

朝貞は異父兄にあたり、親代わりとなって武則を育ててくれたのです。

武則が秀吉に仕えたのは天正5年(1577年)、小寺孝高(おでら よしたか。黒田官兵衛)の調略によって、兄弟揃って主君の別所長治(べっしょ ながはる)から鞍替えしました。

秀吉は武則の器量を見込んで小姓頭に取り立て、野口城攻めで初陣を飾らせて以来、中国攻めで武勲を重ねます。

天正7年(1579年)に兄の朝正が討死してしまったため、翌天正8年(1580年)に家督を相続しました。

その後も秀吉に従って活躍し、天正10年(1582年)に織田信長が横死を遂げた際は、秀吉と共に明智光秀を討って仇をとります(山崎の合戦)。

やがて織田政権の主導権をめぐって秀吉と宿老の柴田勝家が対立し、天正11年(1583年)に賤ヶ岳の合戦が勃発しました。武則はここで一番槍の武功を立てて「七本槍」と謳われたのは有名です。

続く天正12年(1584年)には秀吉の前に徳川家康が立ちはだかり、ここに小牧・長久手の合戦が勃発しました。ここでは秀吉の本陣を守備していたと言います。

こうした戦歴の一方、天正14年(1586年)に京都大仏(方広寺)の作事奉行を務めたり、従五位下・内膳正に叙せられたりなど文治方面にも才能を発揮しました。

また天正15年(1587年)の九州征伐では軍船の調達を命じられ、天正18年(1590年)の北条征伐には秀吉の護衛に当たるなど、戦場では後方支援や護衛などディフェンシブな活躍が目立ちます。

武則らがしっかり守っていたからこそ、前線の武将たちは後方を気にせず戦えたことでしょう。

天下一統後も活躍するが……

歌川豊国「賤ヶ岳七本槍高名之図」より、糟屋武則。

北条氏の滅亡によって天下一統が果たされた後は、増田長盛らと共に検地を行ったり、秀吉の代官を務めたりなど文治方面に力を尽くしています。

文禄元年(1592年)の第一次朝鮮出兵(文禄の役)では片桐且元らと目付を務め、海を渡って朝鮮半島に乗り込みました。

そして石田三成らと共に御代官衆の一人として、占領地域の統治に心を砕いたと言います。また第一次晋州城攻めで武勇を奮い、敗れたとは言え日本武士の面目を施しました。

翌文禄2年(1593年)に日本へ帰国すると、また代官を務めたり伏見城の普請に加わったりしています。

やがて文禄4年(1595年)に秀吉の養子である豊臣秀次(三好吉房と秀吉姉ともの長男)が失脚すると、武則はその身柄を一時与かりました。そして高野山へ送られた秀次が切腹すると、武則は1万2千石に加増され、大名となったそうです。

加増の名目は「賤ヶ岳での再評価」ということでしたが、もう十数年も経ってからこの恩賞は違和感が否めません。秀次事件に何か関係があったのでしょうか。

やがて慶長3年(1598年)に秀吉が世を去り、豊臣政権が徳川家康派(東軍)と石田三成派(西軍)に二分され、関ヶ原の合戦につながっていきます。

武則は家康の秘めたる野望(豊臣政権乗っ取り)を警戒して、三成率いる西軍に与しました。が、武運拙く敗れ去り、武則は改易(かいえき。所領を全没収)されてしまったのです。

その後、武則がどんな最期を遂げたかについては諸説あり、はっきりしたことはわかっていません。

終わりに

今回は賤ヶ岳の七本槍に数えられた糟屋武則について、その生涯を駆け足で紹介してきました。

清正や正則に比べて影が薄い印象が否めませんが、高い能力と活躍ぶりからもっと評価されてもいいのではないでしょうか。

果たしてNHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」では誰がキャスティングされるのか、楽しみにしています。

※参考文献:

『加古川市誌 第1巻』加古川市、1953年6月 糟屋正勝『播磨糟谷家の系譜』みるめ書房、1993年6月 高柳光寿ら『戦国人名辞典』吉川弘文館、1981年10月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「【豊臣兄弟!】加藤清正や福島正則の陰に隠れた名将…“賤ヶ岳の七本槍” 糟屋武則がたどった生涯」のページです。デイリーニュースオンラインは、糟屋武則糟屋朝正小寺官兵衛小寺孝高関ヶ原の合戦カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る