『豊臣兄弟!』小一郎が悪辣城主に怒りの鉄拳!まさかの父子共演で描かれた竹田城攻めを史実とともに考察
「家臣の命を何じゃと思うとるんじゃ !」
但馬の竹田城攻めを任され、初めて総大将として戦に臨んだ小一郎(仲野太賀)。
驚くほど自己中な竹田城の城主・太田垣輝延に激怒、思い切り殴り倒しました。
人としての“器”が、おちょこ以下な城主なので、小一郎がぶん殴ったのは、すかっとしましたが。その太田垣輝延を演じていたのは、まさかの仲野太賀さんのお父さんで俳優の中野英雄さんだったとは。
事前予告なしのサプラズ共演は大きな話題に……この父子共演はとても印象に残るストーリーでしたね。
第21回『風雲!竹田城』。
今回は、初総大将の小一郎が見せた戦いぶり、初登場・黒田官兵衛(倉悠貴)と竹中半兵衛(菅田将暉)のせめぎ合い、虐殺現場に佇む秀吉(池松壮亮)の衝撃的な場面など、さまざまな話題が凝縮された回でした。
そこで、小一郎VS悪辣城主のバトルと「両兵衛」のバトルを振り返り考察してみました。
まったくの「無血開城」とはいかなかった小一郎。(NHK大河『豊臣兄弟!』公式サイトより
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ドラマの中でも、家臣たちに「朝靄は昼と夜の暑さと寒さの違いでできるんじゃ」と“百姓時代“の知恵を発揮する小一郎。夜通し篝火を焚き霧の発生を抑制し、朝になったら竹田城を丸見えにして観察する作戦に出たのでした。
小一郎は一滴の血も流さない竹田城『無血開城』を目指すのですが、「さてどうするか」となったとき、竹田城は「どうやって水を調達しているのか?」に気がつきます。
前野長康(渋谷謙人)が、平均視力3.0〜7.0を誇るマサイ族ばりの視力で城を観察し、「城にはいくつか井戸がある。井戸の蓋の上には落ち葉が積もっている」と、井戸水は枯渇していることを見切ります。やはり川並衆なので視力・観察眼もずば抜けているのでしょうか。今回、前野殿は小一郎軍のMVP。
隣にいる藤堂高虎(佳久創)が、長康が話すたびに「まず井戸が見えんわ!」「まず井戸が見えんわ!」と2度も言うのには笑ってしまう場面でした。
そこで「水を調達できぬよう出入り口を囲み、城内に水が無くなる頃に囲みを解き、水を汲みにきた敵兵を説得し降伏させる」策を打ちました。
“百姓時代の知恵“を戦術に反映する小一郎(NHK大河『豊臣兄弟!』公式サイトより
“百姓マインド”が残っているゆえの「水断ち」発想か囲まれたことに怒る城主・太田垣輝延は、城内に水が3日分としかないと聞き、「半分の水はわしの所へ持ってまいれ!家臣が主君を守るのは当然であろう」と驚きの発言。
あまりにも器の小さい発言に、家臣の間にも動揺が走ります。「皆、こいつ(輝延)のデコに退職届を叩きつけ辞めてくれ!」と願った瞬間。
「水」が飲めないと人間は2〜3日で生命維持が困難になるそう。ある意味、血を流す戦いより「水の供給を断つ」のは残酷です。「水」が原因で人は殺し合いに至ることは、“百姓マインド”が残る小一郎は知っているはず。
「水絶ち」なら相手もすぐに降参し斬り合いをせずとも済むとシンプルに思ったのか。
それとも、秀長(小一郎)は「自殺者がでるほど冷酷な財政政策を行う面も持つ」ことへの布石なのか。
いずれにしても、敵の大将は「死んでも戦え!」な人で、水の枯渇では降伏しないとは思わなかったのでしょう。
今回の無血開城は、ドラマならではの創作ストーリーです。
たとえば、『信長公記』においては「岩洲城も落とし、小一郎は城代に」という短い報告程度。
『武功夜話』では、「諸手より鉄砲三百挺先を相揃え打入り候えば、遂に叶わず降参、城を相渡し退き候なり」と、「竹田城なりに抵抗するも三百挺の鉄砲隊に攻撃され、城を明け渡して退散」したとありますが、それ以上の説明は書いていない様子。
いかにも「難攻不落の城」というイメージのある竹田城の石垣は、大田垣氏が没落した後、廃墟になった土地に石垣が積まれたそう。わりと史実はそっけない感じのようです。
敵に囲まれ、自分だけ水を確保しようとした竹田城主・太田垣輝延(NHK大河『豊臣兄弟!』公式サイトより)
驚くほど器が小さい暴君ぶりが際立っていた城主小一郎からの「降伏すれば命は取らぬ」という手紙を「誰が降伏などするものか」と捨てる太田垣輝延。「何とかして水を持ってまいれ!」と命令するも、城内には枯渇死寸前の兵がいることを知る家臣たちはもう無言です。
一方、小一郎軍は高虎が竹田軍の水汲み場を発見。篝火を消し「軍は引いた」ように見せかけ、水を汲みにきた敵兵たちを捕まえます。刃を抜いて戦おうとする竹田城の兵たちに「まずは心ゆくまで水を飲んで」といい、家臣の上垣清重(松本実)に「話を聞いて欲しい。お主たちの命たちを救いたい」とある提案を持ちかけました。
それは、水を汲んで城内に運ぶ竹田軍の兵たちの中に小一郎軍が紛れ込むこと。
そんな作戦には気が付かず、運ばれてきた水に目が眩み、「主より先に飲もうとするな!この無礼者めが」と家臣らに怒鳴る輝延。
正体を明かした小一郎たちは、城内にどんどん水を運び入れ「毒など入ってないので水を飲んでくれ。重症者には飲ませてやってくれ」と叫びます。兵たちはもはや戦う気力もなく、「ありがたい」と水を飲むことに夢中。
「お前ら、敵の施しをうけおって!恥を死れ!」と、自分の水独り占めは棚に上げて叫びまくる輝延。忠臣・上垣清重は、そんな城主をチラ見するもガン無視して、倒れている兵を抱き上げ水を飲ませていました。
「早くこいつらを斬らんか!差し違えてもこいつらを斬らんか!斬れ!斬らんか!それがお前らの役目であろう」と、暴君ぶりを発揮するも、誰一人としてもう見向きもしません。これだけ小さい暴君なら捨てても何の後悔もないでしょう。
暴君ぶりを発揮するも捉えられて呆然とする竹田城主・太田垣輝延(NHK大河『豊臣兄弟!』公式サイトより)
史実による太田垣輝延のその後輝延の態度に激怒した小一郎は「家臣の命を何じゃと思うとるんじゃ」と、思い切りぶん殴り倒しました。
胸ぐらを掴み顔を見て輝延が鼻血を出していることに気がつき、「あ…一滴たりとも血を流さぬつもりじゃった」という小一郎。『ほぼ無血開城』となりました。
敵も味方も笑いに包まれる中、毒気を抜かれ呆然とする輝延に、「お飲みくだされ」と水が入った柄杓を口元に差し出す家臣・上垣清重。
「われらの負けでございまする」と静かに言い聞かせるように伝えます。これ以上、あさましい姿を皆の前で晒さないよう引導を渡したのでしょう。ご立派な家臣ぶりだった上垣殿。今回、竹田城軍のMVP。
史実の太田垣輝延は、知名度の高い武将たちと比較すると、華々しいエピソードなどは見当たりません。生没年は不詳、どのような人物か分かる史料もないようです。けれども、竹田城の運命や但馬が織田に組み込まれていくプロセスを考える上では、重要な人物といわれています。
史料によると、天正5年(1577)、秀長軍が但馬へ侵攻、竹田城を攻略し落城。城主の太田垣輝延は降伏・追放されました。ところが、2年後の天正7年(1579)頃には、毛利元就の次男・吉川元春が竹田城を対織田戦線の重要拠点とした際、輝延は再び竹田城に復帰したそうです。
『信長公記』によれば、天正8年(1580)、織田軍が改めて但馬の制圧に乗り出したとき、毛利方の援軍はなく、竹田城の輝延は抵抗ができないまま降伏。没年などは伝わっていないようです。
「戦いで家臣を死なせたくない」マインドの小一郎と「家臣は俺の犠牲になって当たり前」マインドの太田垣輝延を、演技力の高さに定評のある親子俳優対決でドラマチックに描くのは、大河ドラマというエンターテイメントならではの面白さ。
先週、派手に爆死した松永久秀を演じた竹中直人さんの、『歴史を塗り替えてこそ、真の大河ドラマだと思っています』というインタビューの言葉が蘇りました。
“両兵衛”の静かなバトルも見どころ
今回初登場した、小寺官兵衛尉孝高(のちの黒田官兵衛)。前回、〜近づく竹中半兵衛(菅田将暉)の最期…〜という記事で、黒田VS竹中の人物像・戦略・交渉術・人間性に関するエピソードを比較してご紹介しました。
初出会いが楽しみだったのですが、なかなか火花が散っていたのが評判になりました。
ツヤツヤで若さ溢れる頭の切れる黒田官兵衛が、話すたびにドヤ顔で半兵衛を見るのに対し、色白で儚げ感が強くなった半兵衛がカチン!ときて変顔で対抗するのも面白かった。この二人の今後がどう変化していくのかも見どころです。
さて、ドラマでは天正5年11月、上月城目指し途中で福原城攻めにかかっていたときのこと。わざと戦略に「穴」を作り官兵衛が気づくかどうか試す秀吉と半兵衛。
その「穴」を発見したときの官兵衛のドヤ顔は最高でした。秀吉に「よし、官兵衛の策でいこう」言われ、口を「への字」する半兵衛。官兵衛は自信満々に「おまかせくださりませ」と秀吉に頭を下げたあとに、半兵衛をちらと見やり「ふふ〜ん」とばかりの煽り顔をするのも面白かったです。
「ああも得意気になられると腹が立ちます」という半兵衛に、笑いつつも「…何か急いておるのか」と心配する秀吉。このドラマでは、自分が愛する人(弟とか)の心の機微に敏感です。半兵衛は笑って流すのですが、最後の時間が近づいてきたことを悟り、急いで「秀吉の軍師としてのバトン」を官兵衛に渡そうとしているのでしょうか。
どや顔でちらりと半兵衛を見る官兵衛。(NHK大河『豊臣兄弟!』公式サイトより)
煽る官兵衛に、いちいち反応してしまう大人気ない半兵衛。(NHK大河『豊臣兄弟!』公式サイトより)
最後にほぼ無血開城を終え、ほっと一息ついた小一郎にもたらされたのは、秀吉軍が出向いた上月城では「皆、斬首、女子供も磔、串刺しにされ西との国境にさらされ、それを命じたのが秀吉かも」という衝撃的な知らせ。
そして殺戮現場に立ちすくむ秀吉の横顔のシーン。闇堕ちした!という声があがりましたが、果たして……。
実際、天正5年(1577)秀吉は1万5千ほどの兵を率いて上月城を包囲し12月に落城。秀吉は城内にいた200人ほどの女性を磔、子供は串刺しにして国境に晒したという記録が残っているそうです。
その後、攻略した上月城に尼子勝久・山中鹿介を入城させるも、今度は毛利軍が大軍で上月城を包囲。信長に救援を求めるも援軍は出されず。籠城のすえに降伏し、尼子勝久は自刃、山中鹿介は捕まり誤送途中に殺害されました。この悲劇は秀吉にとって大きな痛手になったと伝わります。
軍記物や講談などで語り継がれる有名な話ではありますが、今までの脚本を見る限り、比叡山では女子供を逃すなど「命を守る」秀吉として描かれてきただけに、いきなり「秀吉が処刑を命じ闇堕ち」は、性急でそのまま過ぎるような。
ドラマでは、命が短い半兵衛の献策、城攻めが得意な官兵衛の策、実は「もはやこれまで」と悟った上月城側の集団自害……など、意外な脚本になるのかもと、あれこれ想像してしまいました。波乱の展開になりそうな次回を見守りたいと思います。
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