散髪もパーマも課税対象!「ぜいたくは敵だ」のスローガン下、戦時中の日本の税制は理不尽そのものだった

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散髪もパーマも課税対象!「ぜいたくは敵だ」のスローガン下、戦時中の日本の税制は理不尽そのものだった

身だしなみの課税

戦時中の日本では、戦費をまかなうために特別行為税という聞き慣れない名称の税が導入されました。

この特別行為税の対象は散髪やパーマ、写真の現像、服の仕立て、書画の表装、印刷製本など、日常のさまざまなサービスです。

ちなみに税率は印刷製本が20%、それ以外が30%と、当時としてはかなり重い負担でした。

とはいえ散髪には一円未満の免税点があり、当時の料金は一円未満が一般的だったため課税されることはほとんどなかったようです。

しかし、料金の高いパーマは「ぜいたくは敵だ」という空気の中で格好の標的となり、課税の中心となっていきます。

次第に戦局が悪化すると免税点は80銭へと引き下げられ、散髪も課税されるケースが出てきました。税率も30〜50%へと引き上げられます。

身だしなみのための行為まで税の対象となったのは、それだけ当時の財政状況が厳しかったということなのでしょう。

理髪店の工夫

さて、上述のように免税点の引き下げによって散髪まで課税されるようになると、理髪店は大きな打撃を受けました。

昭和の雰囲気が残る理髪店

そこで考え出されたのが、料金を細かく分けて80銭未満に収める工夫です。

例えば散髪とセットだった顔そりや洗髪を一つずつ別料金にし、どれも免税点以下に設定することで課税を避けようとしました。

まさに苦肉の節税策であり、当時の理髪店が生き残るために必死で知恵を絞っていたことがわかります。

戦時中の税制は「ぜいたくを抑える」という名目で広がりましたが、実際には日常生活の基本的な行為まで負担を強いるものでした。

今述べたような理髪店の工夫は、厳しい状況の中でもなんとか店を守ろうとする姿勢の象徴だったと言えるでしょう。

課税と標語

この特別行為税は、昭和19年には一億一千万円の税収となり、戦時財政を支える重要な柱の一つとなります。

戦時中の異常な税金と言えば遊興飲食税が挙げられますが、特別行為税はそれほどの規模ではありませんでした。しかし、国が必要とする財源を確保するために、日常のサービスにまで課税が及んだ点は注目すべきところです。

国民生活が苦しくなるのも構わず、政府はあらゆる手段を使って税収を確保しようとしていたのです。

昭和初期のパーマスタイル(1933年頃・Wikipediaより)

ちなみに、戦前に国が国民に節制を呼びかけるようになったのは1937年頃からです。

当時の日本は中華民国と戦闘中で、当時の近衛文麿内閣は国民精神総動員実施要綱を閣議決定。貯蓄や消費節約、日の丸弁当持参などが奨励されました。

とはいえこの時点では、国民生活への影響はそれほどでもありません。だんだんエスカレートしたのは1939年の平沼騏一郎内閣あたりからで、3月に国民精神総動員委員会が設置されると、歓楽を慎んで節約に励むことが国民に通告されます。

そしてその後も、1940年7月には奢侈品等製造販売制限規則が閣議決定され、これがきっかけとなって「ぜいたくは敵だ」の立看板が街のあちこちに立てられることになりました。

覚えやすく、シンプルにしてインパクト十分。「ぜいたくは敵だ」は歴史に残る標語です。

これを最初に作ったのが誰なのかは諸説あり、当時大政翼賛会宣伝局で戦時スローガンの選定に関わっていた花森安治だと考える人もいます。

とはいえこの「ぜいたくは敵だ」というスローガンが用いられた時期は短く、1942年には。耐乏スローガンとして「欲しがりません勝つまでは」に取って代わられるようになりました。

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参考資料:
大村大次郎『脱税の日本史』宝島社、2024年
画像:PhotoAC,Wikipedia

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