鎌倉武士は“脱税集団”だった?源頼朝が見抜いた朝廷支配のほころび〜鎌倉幕府の誕生

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鎌倉武士は“脱税集団”だった?源頼朝が見抜いた朝廷支配のほころび〜鎌倉幕府の誕生

脱税から武装化へ

平安時代の末期、かの源頼朝が率いた東国武士団は、のちに鎌倉幕府をつくり上げる強大な力となりました。

源頼朝(Wikipediaより)

一般的には、彼らは領地を守るために武装した人々として知られています。しかしそれだけでは説明不足で、彼らのルーツを脱税という観点から掘り下げてみましょう。

当時の日本は、名目上は京都の貴族が全ての土地の領主であり、地方の管理は現地の豪族に任されていました。

この現地の豪族たち、すなわち在地領主や名主たちは、最初こそ貴族の命令に従っていましたがやがて不満を募らせていきます。

彼らは次第に租税を納めるのをやめ、自分の懐に入れるようになっていきます。そして実質的な独立を狙い始めました。

特に東国は、朝廷にとって統治が極めて難しい土地だったのでこういうことも可能だったのです。

もともと東国はあまりに反乱が多く徴税が困難で、国も「東国の税金は他地域の半分でよい」と妥協するほどでした。

こうした無法状態の中で、中央のコントロールを無視する在地領主が次々と現れます。

そして、土地をめぐる争いが起きれば力で解決するしかないため、彼らは家人を訓練し、自衛のために武装し、武力を極限まで強めていきました。このサバイバル環境こそが、豪族が武家へと発展した真の理由でした。

平氏や源氏といった軍事貴族は、こうした地方の武士団を統率し、内乱鎮圧を通じて勢力を伸ばしていったわけです。

つまり、彼らはもともと中央政府つまり京都の支配から逃れようともがいていた人々でした。脱税によって富を蓄えて武装化し独立を狙う、いわば脱税集団だったのです。

脱税の合法化

さて、上述のような軍事貴族の中で、源氏よりも先に天下を取ったのげ平家です。有名な平清盛は、武家を朝廷の枠内に組み込み、土地の支配権はあくまで朝廷にあるという姿勢を崩しませんでした。

しかし、伊豆での流人生活を終えて立ち上がった源頼朝は、清盛とは全く逆の方針を取ります。

平清盛『天子摂関御影』の清盛肖像(Wikipediaより)

頼朝は東国武士たちに対し、彼らがこれまで行ってきた脱税行為を、正式な権利として保証することを約束したのです。この方針が、武士たちの支持を集め、頼朝は平氏をしのぐ軍勢を率いることができました。

頼朝は朝廷によるシステムの欠陥を冷徹に見抜いていたのです。

寿永三年の交渉では、武士への恩賞は朝廷ではなく頼朝が直接行うという要求を突きつけました。武士を朝廷の給料システムから完全に切り離したのです。

言うまでもなく、これは武家独自の統治体制を作ろうとする重要な布石でした。

さらに文治元年、頼朝は朝廷から守護・地頭の設置と、兵糧米の徴収権を認めさせることに成功します。

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後者の兵糧米徴収権の実態は独自の税金を徴収する権利であり、収穫量調査などの会計検査権も伴っていました。

こうして地方の財源は実質的に武家のものとなり、頼朝は鎌倉幕府成立の決定的な基盤を握ることになったのです。

さらに守護・地頭を全国に派遣することで、武家は地方支配を強化し、もはや朝廷が口出しできない体制を完成させたのでした。

幕府誕生=構造の変化

そうなるとひとつの疑問が浮上します。なぜ、老獪な後白河上皇は頼朝にこれほどまでの大幅な権限を与えてしまったのでしょうか。

『天子摂関御影』より「後白河院」藤原為信 画(Wikipediaより)

その背景には、平氏への強い警戒心がありました。

上皇はかつて平清盛に幽閉された過去があり、これ以上平氏をのさばらせてはならないという一心で、頼朝への譲歩を重ねたのです。

一方の頼朝は、上皇のこうした焦りや弱みを最大限に利用し、朝廷の権限を一枚ずつ剥ぎ取るように武家へと移し替えていったのです。

源頼朝・北条政子像

こうして、もとは脱税によって独立化した在地領主の集団が、ついに武家政権の中核へと変貌を遂げました。

鎌倉武士は、決して単なる武力集団ではなく、国家の税制のほころびから生まれた時代の落とし子でした。源頼朝はそのほころびを見抜き、「中央の言いなりになりたくない」という武家の悲願を巧みに吸い上げたのです。

鎌倉幕府の誕生は、社会・権力・経済のそれぞれの構造の巨大な変化の結果だったといえるでしょう。

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参考資料:
大村大次郎『脱税の日本史』宝島社、2024年

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