なぜ平安時代は“白い肌”が美人の絶対条件だったのか?平安貴族が“白さ”に取りつかれた本当の理由
現代では、透明感のある肌や立体的な顔立ちが美しさとして語られることが多いでしょう。しかし平安時代の宮廷では、少し事情が違いました。
美しい女性の条件とされたのは、影を感じさせないほど白く、暗がりの中でぼうっと浮かび上がるような顔。
眉を抜き、白粉を厚く塗り、歯を黒く染める――現代の感覚から見ると不思議に思える化粧も、当時の暮らしと住まいを知ると、ちゃんと理由が見えてきます。
なぜ平安貴族たちは、そこまで「白さ」にこだわったのでしょうか。実はその背景には、寝殿造の暗さと、夜を中心にした宮廷生活がありました。
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例えば王朝文学に登場する「匂うような顔」という表現は、花の香りではなく、白い肌が放つ輝きを指します。
また、『源氏物語絵巻』や『枕草子絵巻』に描かれた人物の顔を見ると、影を寄せつけないのっぺりとした「白さ」が強調されているのが分かります。
『源氏物語絵巻』より当時の宮廷の女性の様子(Wikipediaより)
このように「白さ」が重視されたのは、教科書にも出てくる寝殿造という住まいの構造が大きく関わっています。
寝殿造の建物は広いわりに採光が悪く、昼でも薄暗い空間が続く構造でした。
それに加えて貴族の生活は夜型で、宴や遊びの時間が長く、午前中は寝ていることも多かったようです。灯台の明かりだけでは顔の輪郭すらぼんやりとしか見えなかったはずです。
そんな環境では、白い肌だけが暗さの中でくっきりと浮かび上がる存在でした。
だからこそ、地肌が白い人もさらに白粉を厚く塗り重ね、暗闇の中で光るような白さを作り出しました。
白は単なる肌色ではなく、宮廷の薄暗い世界で最も目立つ色だったのです。
白を作る技術白さを際立たせるため、平安の化粧法は徹底していました。まず眉毛をすべて抜き、白粉の乗りを良くします。白粉は亜鉛を成分としたもので、象牙のヘラで厚く塗り広げました。
次に、眉を元の位置より上に描き直します。これは茫膚と呼ばれ、目と眉の距離が遠いほど高貴とされました。
唇も白粉で消し、歯にはお歯黒を施しました。紅は頬に塗るもので、唇に紅を差す習慣はまだありませんでした。『和名抄』にも口紅の語が見えないことから、当時の美意識では唇に色を置く発想がなかったことが分かります。
絵巻物に描かれる人物の顔がのっぺりとしているのは、白さを均一に見せるためです。
彫りの深い顔には陰影が生まれ、白さの輝きが損なわれると考えられていました。
平安美人の顔立ちは、「掘りの深さ」とか「陰影による立体感」を排した平面的な美であり、現代の価値観とは正反対の方向にあったのです。
白い顔に黒髪が流れ、十二単の極彩色が重なると、暗い寝殿造の中で白さがいっそう際立ちます。黒と白の強い対照こそが、平安女性の美の構図でした。
白が絶対になった理由平安朝で白さが絶対視された理由は、単なる好みではありません。暗い住環境と夜型生活という条件が、白を最も映える色として押し上げたのです。
白は光を反射し、暗闇の中で存在感を放ちます。だからこそ、白い肌は美の象徴であり、身分の高さを示す記号にもなりました。
また白は清らかさや高貴さを象徴する色でもありました。仏教の影響もあり、白は穢れのない色として尊ばれました。
こうした精神的価値と、暗い空間での視覚的効果が重なり、白は絶対的な美の基準となったのです。
これはつまり、光の乏しい住環境が生んだ光学的な美学でした。平安の人々は、その効果を直感的に理解し、白を美の中心に据えたのです。
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