『豊臣兄弟!』村重逃亡のその後は?だし処刑・官兵衛改姓・別所滅亡…史料から第24回の名場面を考察

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『豊臣兄弟!』村重逃亡のその後は?だし処刑・官兵衛改姓・別所滅亡…史料から第24回の名場面を考察

大河ドラマ「豊臣兄弟!」戦国時代ど真ん中を駆け抜ける小一郎(仲野太賀)と秀吉(池松壮亮)兄弟の活躍を、皆さんも楽しんでいますか?

第24回「軍師官兵衛!」では、有岡城と三木城における二つの城攻めが描かれていました。

有岡城に立て籠もる荒木村重(トータス松本)は補給を絶たれて万事休し、降伏を申し出るも、トラウマが再燃して逃亡。見捨てられた妻だし(山谷花純)らが処刑されてしまいます。

1年以上の幽閉から解放された官兵衛(倉悠貴)は亡き竹中半兵衛(菅田将暉)の情誼に感じ入り、豊臣兄弟に心服する場面が視聴者の胸を打ちました。

いっぽう三木城では秀吉による過酷な干殺し(兵糧攻め)が行われ、別所長治(下川恭平)が自らの切腹と引き換えに将兵の助命を願い出ます。

今まで叔父たちの言いなりであったが、最期くらいは自分で決める。その立派で潔い態度もまた、視聴者の胸を打ったことでしょう。

それでは今週も、気になるトピックを振り返って参ります!

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第24回「軍師官兵衛!」略年表

三木城を兵糧攻めにする秀吉たち。楽しそうで何よりです。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

天正7年(1579年)

9月2日 村重が有岡城を脱出して尼崎城へ入る 11月19日 有岡城を守備する荒木久左衛門が村重の説得を約束する
同日 有岡城にいた女房らを人質として織田へ引き渡す
同日 官兵衛が解放される
※久左衛門は村重に降伏を説得するが、村重は聞き入れず、有岡城の妻子を見捨てる 12月13日 有岡城の女房ら122名が処刑される 12月16日 荒木一族とだし達が処刑される

天正8年(1580年)

1月17日 別所長治らが自害。三木城が降伏する

劇中では「村重が逃亡したから助命が破談となり、だし達が処刑された」という筋書きになっていましたが、実際にはこうした経緯があったようです。

話がややこしくなってしまうため、こうしたアレンジを加えたのでしょう。

「それでもお慕いしておりました」妻だしの潔い最期

処刑されるだし。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

せっかく助命されそうだったけど、信長(小栗旬)に受けた仕打ちがトラウマとなって村重は逃亡。なおも叛意ありと見なされた以上、有岡城内に残された妻子の処刑は免れません。

『信長公記』にはだしたちの最期が描かれています。

……たしと申車より下様に帯しめ直し髪高々と結直し小袖之ゑり押退て尋常に切られ候是を見るより何れも最後よかりけり……

※『信長公記』巻十二「十八 伊丹城相果たし御成敗之事」より

【意訳】だしと言う(女性は)車から下りて帯を締め直し、髪を高く結い上げて小袖の襟をはだけました。これは首を斬りやすくするための配慮であり、その潔い態度に、火飛び地尾は感心したということです。

彼女は処刑を前に、4首の辞世を詠みました。そのうち2首は「死ぬのは構わないが、遺される我が子が心配だ」という母性愛に満ちたものとなっています。

また1首は浄土思想を詠み、そして残る1首は村重に対する怒り、でしょうか。

木末より あたにちりにし 桜花 さかりもなくて あらしこそふけ

【意訳】季節外れの桜が咲いたが、しょせん実のならない徒花である。かえって見苦しいから、いっそ嵐に吹き散らされてしまえ。

桜の花は村重が起こした謀叛すなわち武士の意地を象徴しているのでしょうか。見苦しく逃げ回らず、潔く散れ。そんな思いが込められているようです。

劇中でも取り乱しただしの様子が描かれていましたが、実際にもあのような胸中だったのかもしれませんね。

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再登場の可能性は?逃亡した村重がたどった晩年

命に代えてもだしを守ると誓う村重。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

「命に代えても守る」と誓った妻だしをも見捨てて、ただ一人逃げ出した村重。

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しかしただ信長を恐れてばかりではなく、尼崎城に半年以上も留まって信長に徹底抗戦しています。

後に一族の荒木元清が守っていた花隈城へ逃げ込み、天正8年(1580年)閏3月2日から7月2日の約5か月間にわたりなおも抗戦しました。

しかし摂津で最後の城であった花隈城も攻め落とされてしまい、毛利輝元(濱省吾)を頼って中国地方へ落ち延びていきます。そして尾道(広島県尾道市)で隠居し、武将生命に幕を下ろしたのでした。

しかし信長が本能寺の変で横死を遂げるとひょっこり堺へ移り住んだらしく、天正11年(1583年)には津田宗及(マギー)の茶会に顔を出しています。

その時の名乗りは道薫(どうくん)。道端に薫りを発する存在、と言えば聞こえはいいですが、要するに道端の排泄物です。そのため道糞(どうふん)と号したとも言われますが、これは俗説で、これを裏づける一次史料は見つかっていません。

妻子一族を捨ててしまった後悔があったのか「自分はとんでもない◆ソ野郎だ」という呵責があった可能性も考えられますね。

そしてあれほど恐れた信長に続くこと4年後、天正14年(1586年)5月4日に道薫こと村重は52歳の生涯に幕を下ろしたのでした。

キャラクターは好きだったので、再登場してほしいです。

官兵衛が小寺から黒田に改姓した理由は?

織田信忠に物申す官兵衛。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

半兵衛に対する恩義とリスペクト?から、豊臣兄弟に心服した官兵衛。ここで有名な黒田官兵衛と名乗るようになりました。

天正8年(1580年)1月の三木城陥落によって主君であった小寺政職(まさもと。官兵衛の義外祖父)が毛利領へ逃亡≒主家が滅亡したことが、官兵衛が黒田に改姓したキッカケと考えられています。

黒田姓の初見は天正8年(1580年)7月に秀吉が官兵衛に姫路城の普請を命じた書状とされ、以来黒田官兵衛として活躍しました。

ちなみに黒田とは父祖伝来の苗字であり、近江国伊香郡黒田村(滋賀県長浜市)に由来すると言われています。

小寺の苗字は近習として仕えた政職から与えられたもので、官兵衛が初陣を飾った17歳から名乗るようになりました。

養子にとったわけでもなさそうですが、よほどこの利発な孫を可愛がっていたのでしょうね。

ともあれ小寺から黒田と改姓した官兵衛は、その後も秀吉の天下一統を助け、戦国史上に大きな役割を果たすのでした。

半兵衛から受け継がれた志を胸に、今後ますます軍略を駆使してくれることでしょう。

別所長治らの立派な最期

生まれて初めて?賀相に立てついた長治。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

三木の干殺しと呼ばれた過酷な籠城戦の末、ついに降伏を決断した別所長治。劇中では見苦しく強制退場となった叔父の別所賀相(田中美央)らと共に自害しました。

自害したのは長治・賀相・別所友之(ともゆき。長治弟)とその妻子たち。秀吉から贈られた餞別をもって別れの宴を開き、壮絶な最期を遂げます。

今はただ うらみもあらじ 諸人の
いのちにかはる 我身とおもへば

【意訳】覚悟を決めた今となっては、もう誰を怨むようなこともない。我が命と引き換えに、将兵らの命が助かる喜びにただ逝くだけだ。

こちらは長治が詠んだ辞世、死力を尽くして耐え抜き・戦い抜いた若武者らしい潔さが表れていました。

ちなみに『信長公記』には長治(小三郎)夫妻と友之(彦進)夫妻、そして賀相(山城)の妻そして三宅肥前入道の辞世合計6首が記されています。しかし賀相自身の辞世だけが記されていません。

これは意図的に載せられなかったのか、あるいは辞世を詠む猶予すらなかったのか、疑問が残るところです。一体どういう理由があったのでしょうか。

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第25回放送「変事の予兆」

第25回放送「変事の予兆」。秀吉がヒゲを生やす模様。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK

信長(小栗旬)の新たな城・安土城が完成。祝宴の場で信長は、家臣たちに相撲を取るよう提案し、若き近習・森乱(市川團子)の相手に、なぜか林秀貞(諏訪太朗)や佐久間信盛(菅原大吉)、安藤守就(田中哲司)ら長老格の重臣を指名する。余興と思いきや、あえなく敗北した3人に、信長は問答無用で追放を言い渡す。小一郎と秀吉(池松壮亮)がその理不尽な行動の理由を探ると、光秀(要潤)が信長の真意を語りだす。

※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。

さて、ラストで「本能寺の変まであと2年」とカウントダウンが始まりました。ちょっと早くない?(カウントダウンが2年って長すぎない?)と思いましたが、視聴者の意表を衝く展開が用意されているでしょう。

さて来週は信長が古参の家臣たちを追放する「暴君ぶり」を発揮します。舅を追放されてしまった小一郎は、どういう態度をとるのかが気になるところです。

次週から本能寺に向けて物語がより一層加速していくことでしょう。これからも、目が離せませんね!

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