江戸時代にも“パパ活”があった!生活苦が生んだ複数契約「安囲い」という女たちの現実
安囲いとは
江戸の町では、現代の感覚で援助交際・パパ活(そろそろこれも死語でしょうか?)のような関係がありました。安囲いと呼ばれるものです。
安囲いは、一人の女性が三~四人の男性と同時に契約を結び、生活費の足しにしていたのです。
安政の頃の妾の相場は高ければで月三~五両ほどで、安いところでは三分~一両でした。これでは暮らしが成り立たず、安囲いのような複数契約の形態が広まったと考えられます。
江戸には地方から出てきた武士や町人が多く、単身で暮らす人々も多くいました。そこで、安価で女性との関係を求めるケースも少なくなく、安囲いはその需要に応える形で広がったのです。
こうした安囲いの対象となったのは、貧民層の女性のみならず、商家の娘など普通の家庭の娘も多くいたようです。下女奉公に出るよりも収入が良いという理由で自ら望む例もあったとか。
華やかに見える江戸の町も、実際には不安定な経済の上に成り立っており、生活の不安がこうした関係を生み出したと考えられます。
経済不安と風紀安囲いが増えた背景には、江戸の経済の不安定さがありました。
寛文改革、天和改革、寛政改革などが続き、そのたびに貨幣価値が大きく変動。一両の価値が倍になったり半分になったりするような状態では、まじめに働いても将来が見えず、生活への不安が広がります。
こうした不安は風紀のゆらぎを生み出す要因になりました。
幕府は市中の金を吸い上げる政策を続け、下級武士や庶民の暮らしはますます苦しくなりました。倹約と蓄財が生活の中心となり、日々の暮らしに余裕がなくなります。
小さな商家の娘が安囲いに身をゆだねるのは、こうした時代背景があったからだと考えられます。生活を守るための選択肢として、安囲いが現実的な手段になっていたのです。
安囲いよりさらに安い契約もありました。月々米一斗五升や米一斗という契約で、なかには米八升という例もありました。これは半囲いとよばれ、月に六日ずつ男性の家に通う形でした。
女性の器量によって値段が決まるという厳しい世界でしたが、正式に女性を囲いにくい立場(僧侶など)の男性には都合が良かったようです。
生活のために選ばれた現実的な手段「安囲い」安囲いは妾でも遊女でもない、江戸独特の関係でした。複数の男性が費用を出し合い、女性がそれぞれの男性の相手をするという構図は、まさに現代の援助交際です。
こういう方式は、実は江戸時代にすでに行われていたのです。
これが幕末になると、妾に小商いをさせて収益を得る例もあり、関係はさらに商業的な色合いを帯びていきました。
江戸の町は華やかに見えますが、その裏には不安定な経済と複雑な人間関係がありました。安囲いはその象徴ともいえる存在で、生活のために選ばれた現実的な手段だったと言えるでしょう。
参考資料:樋口清之『日本史探訪 もう一つの歴史をつくった女たち』ごま書房新社、2025年
画像:Wikipedia
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