なぜ江戸時代の屋台には車輪がなかったのか?蕎麦・寿司・天ぷらも“担いで売った”商人たちの意外な事情

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なぜ江戸時代の屋台には車輪がなかったのか?蕎麦・寿司・天ぷらも“担いで売った”商人たちの意外な事情

江戸時代の街を彩る屋台。蕎麦にはじまり寿司や天麩羅など、彼らは江戸っ子たちの多彩な食文化を支えてきました。

ところで江戸時代の屋台を見ると、そこには車輪がついていません。

現代でもお祭りで見かけるような仮設小屋スタイルはもちろんですが、蕎麦屋など担いで移動する独特なスタイルの屋台もあります。

江戸の蕎麦屋台。担いで移動するタイプ。江戸東京博物館にて筆者撮影

いずれも車輪がついていれば、楽に移動する出来そうなのに、と不思議でなりません。

そこにはちゃんと理由があったそうで、今回は江戸時代の屋台に車輪がついていなかった理由などを、わかりやすく紹介したいと思います。

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なぜ車輪に税金がかけられた?

お江戸の街並み。多くの人で賑わっているが、車両の姿は見当たらない?江戸東京博物館にて、筆者撮影

結論から言うと、江戸時代の都市部では、車両に税金がかけられていたからです。

現代の自動車税や重量税などに当たるもので、これが商売の利益を圧迫していました。

であればわざわざ車輪などつけず、担いだり現地で組み立てたりすればいい、となったのでしょう。

まったくお役人どもは商人たちをいじめてけしからん。と思わなくもありませんが、行政当局にもやむを得ない事情がありました。

江戸時代以前の車両と言えば牛車(ぎっしゃ)や大八車(だいはちぐるま)が主流で、これらは荷重を支えるため、太い車軸と大きな車輪がついています。

大きさに比例して重量が増し、またサスペンション(緩衝部)などもありませんから、これが道路や橋を傷めてしまうのでした。

傷んだ道路や橋の修繕は、規模や地域によって行政や地縁コミュニティの負担となり、これが財政を圧迫するのです。

だから道路や橋を傷める車輪(車両)に重い税をかけて、少しでも負担を軽くしようと努めました。

行政には行政の都合があり、商人にも商人の都合があったから、江戸時代の屋台には車輪がついていなかったのですね。

車輪が民間に普及した明治時代

車輪が街中で大活躍した明治時代。江戸東京博物館にて、筆者撮影

やがて明治時代に入ると、鉄の車軸と鉄の箍(たが)をはめた車輪が登場しました。これらは強度が高く、車両の小型化や軽量化を実現したのです。

すると道路や橋にかかる負担が軽減され、また行政当局も車両にかかる税金を軽くしたことから、馬車や人力車などが普及していきました。

納税者が増えれば一人あたりの税負担は軽くすむので、より税を軽くでき、車両を活用する税負担者が増えるという好循環が生まれます。

一般庶民も物資の運搬に荷車(箱車、手車)が利用するようになり、日常生活が便利になったことでしょう。

ここで人力車をひく車夫たちの体力を支えるため、屋台が活躍するのでした。

車夫が一人でお客を乗せて、坂を上り下りするのは大変です(※馬車の馬だって大変でしょうが、本題からそれるので今回は割愛します)。

坂の手前には「立ちん坊」と呼ばれる助手がたむろしており、人力車を押したりひいたりしながら手間賃を稼いでいました。

そんな車夫や立ちん坊ら交通労働者の栄養補給を担ったのが、屋台の存在です。

ちょうど疲れた頃合いや場所を狙って出店し、彼らに各種のスタミナ食を提供していました。

明治時代の屋台あれこれ

多くの人々が行き交う東京の街。江戸東京博物館にて、筆者撮影

おでん 煮込(モツなど) 大福餅 いなり寿司 のり巻き すいとん 蕎麦がき 雑煮 茹で小豆 焼鳥 茶飯 あんかけ飯 五目飯 うどん 汁粉 甘酒 燗酒……など。

当時の焼鳥は鶏肉ではなく鶏モツを使ったもので、やがて牛や豚、馬などのホルモンも提供するようになります。

東京では特に豚モツ焼きを「焼鳥」と呼ぶこともあったそうで、初めて注文したら面食らってしまいそうです。

お客「おい、俺は焼鳥を注文したんだ。何で豚モツを出すんだ?」

主人「ん?焼鳥って言やぁお前ぇ、豚モツに決まってンだろうが」

なら焼豚と言ってくれよ……そんな会話が繰り広げられていたのかもしれませんね。

終わりに

江戸スタイルの天ぷら屋台。江戸前のキスは、さぞ美味しかったでしょうね。江戸東京博物館にて筆者撮影

今回は江戸時代の屋台に、車輪がついていなかった理由について紹介してきました。

現代の自動車税と同じような理由でしたが、現代とは比べものにならないほど重い負担だったのでしょうね。

こういう庶民文化や社会史などを調べると、人々の思いや暮らしぶりが垣間見えて、とても興味深く感じました。

一度お江戸スタイルの蕎麦屋台で、蕎麦を食ってみたいですね。

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※参考文献:

庄野新『「運び」の社会史』白桃書房、1996年4月 近代食文化研究会『焼鳥の戦前史』Kindle版、2020年5月 服部誠一『東京新繁昌記初編』奎章閣、1874年 野口孝一『明治の銀座職人話』青蛙房、1983年4月 乾坤一布衣『最暗黒之東京』講談社学術文庫、2015年2月

※トップ画像:近世職人尽絵詞 鍬形蕙斎筆 [出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/)]

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