【豊臣兄弟!】本能寺の変1年前、織田信長が京都で見せつけたド派手すぎる軍事パレード『京都御馬揃え』とは?

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【豊臣兄弟!】本能寺の変1年前、織田信長が京都で見せつけたド派手すぎる軍事パレード『京都御馬揃え』とは?

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」第25話『変事の予兆』

いよいよ、織田信長の新たな城・安土城が完成します。

近代城郭の原点といわれる安土城は、築城から約3年の天正7年(1579)に天主が完成しました。城郭全体が完成したのは1581年(天正9年)頃です。

その祝賀の意味もあったのか、史実では、信長は同年2月28日に『京都御馬揃え(きょうとおうまぞろえ)』という、着飾った家臣や一族たちが名馬に乗って行進するイベントを行いました。

あの本能寺の変(天正10年/1582)の1年前のことでした。

どのような目的で行われた、どのようなイベントだったのでしょうか。

『千代田の表目録』完全武装した武者馬行列。豊原周延

京都御所東門外で行った軍事パレード

『京都御馬揃え』は、天正9年2月28日(1581年4月1日)、織田信長が京都で行った、大規模な観兵式・軍事パレードです。

5代将軍足利義昭を追放して、室町幕府崩壊に成功した織田信長は、その後、長年敵対していた大坂(石山)本願寺とも和解します。そして、近隣の抵抗勢力といえば、毛利家や武田家くらいとなり、信長天下統一は目前に迫っていました。

信長は、京の内裏東側に会場となる馬場を築きます。サイズについては諸説ありますが、縦・南北の長さは約436〜872 m、幅・東西は約109〜163mほどだったそうです。

そして、仮の宮殿を建て正親町天皇を招待し、近衛前久ら馬術に通じた公家は、パレードへの参加が許されたのでした。

畿内および近隣諸国の大名・小名・武将たち、丹羽長秀や柴田勝家をはじめ織田軍団の各軍が総動員。

皆、着飾って駿馬に乗って行進しました。『信長公記』によると、信長は、このとき明智光秀京における馬揃えの準備を命令したそうです。

指揮を取る織田信長(小栗旬)(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

守備よく務め信長に褒められた光秀

明智光秀は、『京都御馬揃え』の前にも、天正9年(1581)の正月に、安土城下で催された『左義長(さぎちょう)』という小正月に行われる火祭り行事の準備にあたっています。(左義長は、「どんど」「どんど焼き」のルーツとも)

左義長が終わった後、正月23日付の明智光秀宛の信長朱印状(「士林証文所収文書」など)には、

「先度は、爆竹諸道具こしらへ、殊きらびやかに相調え、思ひよらずの音信、細々の心懸神妙に候」

とあります。意訳すると……

「今回の『左義長』では、爆竹や小道具などの準備を見事に整え、非常に華やかな催しにしてくれた。さらに、思いもよらない趣向まで凝らし、細かなところまでよく気を配ってくれたことに大変感心した。」という感じでしょうか。

かなり、光秀の手腕に満足しているような褒めっぷり。

信長の馬廻りの家臣たちは馬に乗って城下に繰り出し、“火薬入りの竹筒を束ねた爆竹”を鳴らしながら走りまわったそう。

「見物群集をなし、御結構の次第、貴賤耳目を驚かし申すなり」(『信長公記』)

見物客は相当驚いたようです。

この安土での『左義長』は大受けで大評判になり、気をよくした信長は「これを京都でもやりたい!」と言い出し、2月に行われる京都御馬揃えに繋がったそうです。

さらに、

「正月廿三日、維(惟)任日向守に仰付けられ、京都にて御馬揃なさるべきの間、各及ぶ程に結構を尽し罷出づべきの旨、御朱印を以て御分国に御触れこれあり」

と記されています。

意訳すると、「1月23日、維任日向守 ( 明智光秀)に命じて京都で御馬揃えを行うので諸大名・武将たちにできる限り参上すべきであると、信長の朱印状によって、各領国に通知が出された。」というような内容でしょうか。

安土の左義長を取りしきった手腕を認められた光秀は、京都御馬揃えの総括責任者に任命されたのでした。

行事やパレードの準備をする手腕を認められた明智光秀。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

『京都御馬揃え』を行った理由は?

信長が『京都御馬揃え』を行った理由に関しては諸説あるようです。

▪️前述のように、織田の家臣たちの“わかやいだ姿”を京の民たちに見せつけたかった
▪️正親町天皇に織田軍団の威容をみせつけ、朝廷に対し何らかの圧力をかけたかった

など。

さらに、近年では「誠仁親王の生母・新大典侍が天正8年(1580)12月29日に亡くなり、世の中が停滞ムードになっているために朝廷が信長に依頼した」という説があります。

『信長公記』では

「天下(=畿内)において馬揃えを執り行い、聖王への御叡覧に備える」

と記されています。

「天下(=畿内)が治まりつつある状況で、正親町天皇と誠仁親王に馬揃えを奉仕の一環として叡覧に供した」ようです。

結果、「このようにおもしろい遊興を正親町天皇がご覧になり、喜びもひとしおで綸言を賜った」ともあり、正親町天皇が大喜びだったようです。

正親町天皇像(京都・泉涌寺蔵)wiki

謀反人の息子・織田信澄をファミリーとして評価

さて『京都御馬揃え』の順列はどのようなものだったのでしょうか。『信長公記』によると……

▪️一番〜四番手は、丹羽秀長秀・摂州衆(高山重友、中川清秀、池田元助ら)・若州衆(粟屋勝久、武田元明ら)・明智光秀など。

▪️次に織田一門(織田家の血筋に連なる人々)で、筆頭はすでに家督を継いでいた長男・織田信忠の80騎と美濃衆と尾張衆、次いで、次男・織田信雄の30騎と伊勢衆、信長の弟・織田信包(のぶかね)の10騎、三男・織田信孝の10騎、一門衆の五番目は信長の甥・織田信澄の10騎が努めました。

注目は織田信澄。謀反人の織田信勝(信長の弟)の嫡男です。信長の甥とはいっても謀反人の子なのに助命され、柴田勝家のもとで育てられました。

【豊臣兄弟!】裏切りか不幸な濡れ衣か?信長の甥・織田信澄(緒形敦)「本能寺の変」で迎える悲劇的な最期

『京都御馬揃え』で五番手を務めるほど、若い頃から信長の信頼を得ていたそう。信長の趣味・相撲興行でも奉行を務めるなど活躍していたのですが……本能寺の変に巻き込まれ悲劇的な運命を迎えてしまいますが、またそれは別の話。

織田一門の後は、公家衆・旧幕臣衆・九番部隊・十番部隊・十一番部隊……と続きました。

ちなみに、この一大騎馬パレードは参加人数が多過ぎて書ききれないのですが、羽柴秀吉は戦況上の理由で中国地方から離れられず参加できませんでした。

秀吉は悔しがり、長谷川秀一に宛てた書状で、「せめて当日の内容や雰囲気だけでも知りたい」と書いていたそうです。

派手好きな秀吉、さぞかし参加したかったでしょう。

悲劇的な最期を迎える織田信澄( 緒形敦)(NHK 「豊臣兄弟!」公式「X」より)

武将らも華やかで豪華で派手な装いを

スケールが大きい『京都御馬揃え』は、想像するだけで華やかな行列が眼に浮かぶようです。

皆の大トリを務めたのはもちろん、織田信長。数多の名馬を先行させ、自分は「大黒(おおぐろ)」という名馬に乗っていました。

派手好きの信長の衣装も、かなり派手なものだったようです。

梅の花を飾った冠を被り、紅梅模様と桐唐草紋様の着物、袖口に金糸の刺繍が施された着物、紅色の肩衣と袴、白熊(ヤクなどの毛)の腰蓑という装い。

さらに、金銀飾りの太刀と脇差、鞭、白革に桐紋を入れた弓懸(弓を引く時に使う手袋)に、真紅の毛織物の靴……

という、文字だけでも素晴らしくド派手なコーディネートだったようです。

ノブの姿を想像すると、さぞかし見栄えがしただろうなと思います。(『信長公記』)

ほかの参加者の衣装も豪華壮麗で、それは見事なものだったそうです。

『京都御馬揃え』に参加した武将は約700名、見物人は約20万人も集まりました。

これだけのスケールのイベントを見せられたら、誰でも織田家の威光の前にひれ伏したくなるかもしれません。

織田信長 小林清親 public domain

山内一豊も名馬で参加して出世のチャンスを掴む

ちなみに皆が豪華な衣装に身を包み、名馬を披露した『京都御馬揃え』では、織田信長に仕え始めた山内一豊が、出世のきっかけを掴んだという逸話があります。

馬売りに東国一の名馬を勧められたものの、お金がなくて買えなかった一豊でしたが、妻の千代がへそくりの10両を差し出したため購入できました。一豊はその名馬で「馬揃え」に参加できたそうです。

信長は、わざわざ名馬を入手したことももちろんなのですが、織田家の家臣が貧乏で名馬を買えないという不名誉な事態を回避させたことを評価。一豊は1,000石を与えられ、出世していきました。

(「天下統一を目前にした信長の家臣らは、そこまで貧乏だったわけはない」という説も)

山内一豊(小林清親)public domain

最期に……

文章だけでも、その壮大なスケールと華やかさや賑やかさが想像できる『京都御馬揃え』。

以前、ドラマの中で、織田信長(小栗旬)が将軍足利義昭(尾上右近)のために、二条御所と称される将軍御所を建てたとき、庭に『藤戸岩』を運び入れたときを思い出します。

藤戸石を綾錦で包み花を飾り、大綱もつけて運びつつ、笛・太鼓・鼓の音曲でにぎわいを演出していました。

「豊臣兄弟!」では、『京都御馬揃え』のパレードはどう描かれるのでしょうか。

参考:現代語訳 信長公記(太田 牛一 )

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