明治の武家娘がアメリカで大ベストセラーに!なぜ杉本鉞子の『武士の娘』は海外で愛されたのか
読者の皆さんは、杉本鉞子(すぎもと えつこ)という名前をご存じでしょうか。
現在では広く知られた人物とはいえないかもしれませんが、杉本鉞子は、かつてアメリカでベストセラーとなった『武士の娘(A Daughter of the Samurai)』の著者として知られています。
明治時代の日本で育った一人の女性が、自らの体験を英語で書き残し、多くの海外読者に日本の文化や暮らしを伝えました。その足跡をたどると、日本とアメリカの二つの国を結んだ興味深い人生が見えてきます。
武家の娘として育つ鉞子は1873(明治6)年、現在の新潟県で生まれました。
父は旧長岡藩の重臣・稲垣平助。明治維新によって武士の時代は終わりましたが、家庭には武家の伝統や価値観が残されていたといわれています。そのような中、鉞子も礼儀作法や裁縫、漢学などを学びながら成長しました。
後に出版される『武士の娘』には、そうした幼少期の暮らしが数多く描かれています。季節ごとの行事や家族との関わりなど、当時の武家の日常を知ることができる記録としても興味深い内容です。また、鉞子は英語を学ぶ機会にも恵まれました。当時の女性としては珍しいことでしたが、この学びが後の人生を大きく変えることになります。
結婚を機にアメリカへ
1898(明治31)年、鉞子は結婚のためアメリカへ渡りました。夫となった杉本松雄は、オハイオ州シンシナティで日本の骨董品を扱う商人でした。現在なら海外で暮らすことは特別なことではありません。しかし19世紀末の日本では、女性が異国へ移り住むこと自体が大きな挑戦でした。
アメリカでの生活は順調に始まり、夫婦には二人の娘も生まれます。ところが夫の事業が思うようにいかなくなり、一家は帰国します。さらに帰国後まもなく松雄が亡くなり、鉞子は幼い娘たちを抱えて生活を支えなければならなくなりました。
苦難の中から開けた道夫を亡くした後、鉞子は日本で、英語教師などの仕事に就きました。女性が働いて家計を支えることが今ほど一般的ではなかった時代です。それでも彼女は英語力を生かしながら生活の基盤を築いていきました。1916(大正5)年、鉞子は子供たちの教育環境などを考え、再びアメリカへ渡る決断をします。
二度目の渡米は、その後の人生を大きく変える出来事となりました。ニューヨークに住み、日本の家庭生活や文化を紹介する記事を、新聞や雑誌に寄稿するようになりました。鉞子の記事は、多くの読者の関心を集めました。
そこに描かれたのは、海外から見た日本ではなく、日本で暮らした日本人が語る本当の日本の姿。当時のアメリカ人は、鉞子の書く日本人の暮らしや考え方に、大きな感銘を受けたのでした。
『武士の娘』の成功1925(大正14)年、鉞子は、とうとう『武士の娘』を出版しました。この作品は自伝的な内容で、日本で暮らした幼少期の様子からアメリカでの生活までが描かれています。
当時の欧米では、日本について紹介する本はあっても、日本人女性自身が自らの人生を語る機会は、そう多くありませんでした。本書の中には、武家のしつけや家族との思い出、年中行事の様子などが登場します。
読者は遠い国の文化を知るだけでなく、一人の女性の成長物語としても作品を楽しみました。『武士の娘』は各国語に翻訳され、やがて、鉞子の名前は海外で広く知られるようになります。
日本文化を伝えた教育者鉞子は作家としてだけでなく、日本文化を紹介する活動にも力を注ぎました。アメリカではコロンビア大学で日本語や日本文化を教えています。
当時、アメリカ人が日本について学べる機会は限られていました。そのことを考えると、日本で生まれ育った人物から直接話を聞けることは、学生たちにとって貴重な経験だったはずです。鉞子は、着物姿でキャンバス内を歩き、教壇にたったようです。
当時のアメリカで着物姿の日本人女性を見る機会は多くありませんでした。その姿は学生たちの記憶にも残ったと考えらえます。
帰国後の執筆活動1927(昭和2)年、鉞子は日本に帰国しましたが、その後も創作活動を続けました。『成金の娘』『農夫の娘』『お鏡お祖母さま』などの作品を発表し、日本の暮らしを海外へ紹介しています。
これらの作品に登場するのは、著名人ばかりではありません。農村で働く人々や家族の日常など、ごく身近な風景が数多く描かれています。そうした何気ない日常こそが、海外の読者にとって日本社会を理解する手がかりになったのです。
鉞子が生きた時代、日米関係は少しずつ緊張を深めていきました。その一方で、人や文化の交流は続いていました。日本で生まれ育ち、長年アメリカでも暮らした鉞子は、両国の社会を実際に経験した数少ない存在でした。
彼女の著作には、日本人だからこそ分かる価値観や習慣が数多く記されています。同時に、海外の読者が何に興味を持つのかも理解していました。だからこそ、その文章は文化の違いを越えて読まれたのかもしれません。
杉本鉞子は1950(昭和25)年6月20日、77歳で亡くなりました。彼女の名前を知る人は決して多くありません。しかし、『武士の娘』を開けば、明治から昭和初期にかけての日本人の暮らしや価値観に触れることができます。
日本の地方で育った一人の女性が海を渡り、自らの言葉で日本を語った。その歩みは、近代日本が世界へ開かれていった時代を映す一つの記録でもあります。派手な経歴で語られる人物ではありませんが、杉本鉞子が残した著作は、今も当時の日本を伝える貴重な資料として読み継がれています。
参考文献
多田建次『学び舎の誕生―近世日本の学習諸相』玉川大学出版部、1992年 杉本鉞子著、大岩美代訳『武士の娘』筑摩書房、1994年 多田建次『海を渡ったサムライの娘 杉本鉞子』玉川大学出版部、2003年日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan