『豊臣兄弟!』史実ベースで本能寺の変「織田信澄黒幕説はアリか?」を考察!光秀の婿に残された疑惑 (2/4ページ)
もし「どうしても父信勝の仇を討ちたい!」と言うなら、信長を討つ機会はいくらかありました。
例えば天正9年(1581年)の伊賀攻め後や、天正10年(1582年)の甲州征伐などで、信澄は信長の近くで仕えています。
もし信澄に翻意があるなら、少なくとも本能寺の変よりは信長を討つ好機でした。
「いや、信澄は自身の安全を確保しつつ、確実に信長を討ちたかったはず。だから光秀をそそのかして信長を討たせたのだ!」
仮にそう主張しても、やはり信澄は本能寺の黒幕とはならなかった(なり得なかった)でしょう。
本能寺の当日は?
偽の密書を握りつぶす光秀。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
本能寺の変が起こった天正10年(1582年)6月2日時点で、信澄は四国遠征軍の一員として摂津国におり、織田信孝や丹羽長秀(池田鉄洋)らと共に出撃待ちでした。
京都で信長が横死を遂げたと聞いた寄せ集めの将兵らは、蜘蛛の子を散らすように逃亡します。
混乱の中で疑心暗鬼に陥った信孝と丹羽長秀は、大坂城にいた信澄を攻め滅ぼしました。