朝ドラ『風、薫る』りんのモデル・大関和が解任された本当の理由…今井医師のモデル・佐藤三吉が引き留めないわけ

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朝ドラ『風、薫る』りんのモデル・大関和が解任された本当の理由…今井医師のモデル・佐藤三吉が引き留めないわけ

NHK朝ドラ「風、薫る」。第15週のテーマは『差し出せぬ手』でした。

主人公の一ノ瀬りん(見上愛)も大家直美(上坂樹里)も、患者の “死”に直面して何もできなかった自責の念で「助けるって何?」と悩む週でした。

余命短い患者の「家に戻りたい」という懇願に負け、外に連れ出したりん。ところが、病院に戻った途端に、急変して亡くなります。

“患者の最期の望みは叶えた”けれど“命は救えなかった”という現実に追い詰められ、日常の看護業務に支障をきたすようになったりん。

外科・内科看護婦取締を勤める直美は、りんに「看護婦をやめな」と伝えます。「あなたの事情は患者さんには関係ない」。

外科教授・今井益男(古川雄大)は「君は医者の判断より、患者の気持ちに従った。医療に携わる者として失格だ。命を助けることを何よりも優先せねばならない」と忠告しました。

ただ、「だが…もし私が患者の立場なら、命より重んじるものがあることを否定しない…あるいは君が患者の友人なら分からなくない」と個人的な見解を付加えます。

この今井教授は実在した外科医で、東京帝国大学医科大学(現在の東京大学医学部)教授・帝大医科大附属医院長などを歴任した人物・佐藤三吉がモデルといわれています。

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ドラマ同様、史実でも、りんの実在のモデル・大関和は「ある出来事」が原因で、勤めてから2年で、帝国大学医科大学附属第一医院(現・東大病院)を辞めています。

「大関は僕の友人である」というほど、和の能力や人間性を評価していた佐藤ですが、悩んだ末にりんの取締役を解任。和も信念は曲げず退職しました。

けれども、三吉は、和を第二の看護婦人生に導く役割も果たしたのです。

りんこと和が病院を去った本当の理由は?そして、今井教授こと三吉が変えたりんの看護婦人生は?を探ってみました。

トラウマで看護業務に支障をきたすりんに、直美は「辞める」ことを勧める。NHK「風、薫る」公式サイトより

看病婦の過酷な労働環境改善に働きかけた和

原案伝記小説では、大関和が病院を去った最大の理由として『医師との軋轢』が描かれています。

「女性が働き自立する」ことが難しかった明治時代。女の人が自分の力で生活できるだけの収入を得る仕事は限られていました。

そんな社会背景の中、大学病院では「女中扱い」されていた従来の“看病婦”たちは、白いユニフォームで颯爽と働く大関和や、大家直美のモデル・鈴木雅たちトレンド・ナースに憧れるようになったのです。

「このままでは年を取ったら使い捨て。正式に看護を学びたい」と。(まさにドラマでは院長らは看病婦を減らす計画をしていましたね)

日本に「看護」という意識がなかった時代。病院でさえ、医師らは“看病婦” “看護婦”に対して“下女”くらいの認識しかなかったとか。

長年、そんな環境で過酷な労働に耐えてきた“看病婦”たちは、給料を上げるためにも「看護を学びたい」と思ったそうです。

そこで和は、医師の瀬尾原始(ドラマでは黒川勝治/平埜生成)らに依頼し「看護講習」を実現します。けれども、皆日中の仕事量が多過ぎ、個人で勉強する時間を作ろうとすると、夜寝る時間を犠牲にするしかありません。

真面目でやる気のある“看病婦”ほど疲労が溜まり、日中の仕事にも支障をきたしてしまいました。そこで和は、外科の医局へ“看病婦”の待遇改善を訴えるも黙殺されたため、外科教授の佐藤三吉に直接『建議書』を提出しました。

このとき、和の脳裏に浮かんだのは『進歩のない組織で持ち堪えたものはない』というナイチンゲールの言葉だったとか。

確かに。現代社会も同じですね。

仕事と講義と勉強で寝る時間もなく、ふらつきミスをおかしてしまう看病婦・ツヤ(東野絢香)。 NHK「風、薫る」公式サイトより

はっきり物申す和を嫌っていた男性医師ら

大関和の「建議書」は巻紙に長文の達筆で書いたもので、“異様な迫力が溢れていた”そう。(原案小説より)

「謹んで書を医科大学第一医院外科監督佐藤教授閣下に呈す 妾熟々惟るに……」で始まった建議書は

▪️看病婦は過剰な労働で疲弊している
▪️看病婦の人数を増やし交代制にし睡眠時間を確保させる
▪️看病婦を「婦人矯風会」(※)「婦人衛生会」に参加させる

※婦人矯風会:近代日本における廃娼運動を担った女性団体

などと書き連ねてありました。ごく普通に考えれば、“看病婦”の人数を増やし交代制にして十分に休養と睡眠がとれるように改善したほうが、それだけ「看護」の勉強もはかどるはず。

現場経験のある“看病婦”が学んで知識を得て“看護婦”になれば、病院にとってもプラスになることなのですが。

ところがこれに激怒したのが、医局の男性医師たちでした。自分たちに何の相談もなく勝手に和が外科教授の佐藤三吉に渡したことで「許せん!」となったのです。

もともと、男性医師たちの中には「女で看護婦のくせに、男の医師に物申す」和を嫌う人もいました。

顔色をうかがわず、はっきりと物申す和が「気に入らない」と無視する男性医師もいたとか。

こういうことは令和の現代でもありますよね。和もかなりやりづらかったことでしょう。

結局は、和と男性医師の間には不協和音が生じるようになってしまったのです。

佐藤は和の看護婦能力を高く評価していたものの「医師とソリの合わない看病婦取締を病院には置いておけない」と悩んだすえに解任。和は頭を下げればいち看護婦としては働くことはできましたが、それをせずに病院を去りました。

結局、和の退職後、鈴木雅も桜川里い(ドラマでは玉田多江/生田 絵梨花)も三ヶ月後に病院を退職します。

男性医師のメンツを重んじ和を辞任に追い込んだ第一医院ですが、その後、新聞に「看病婦の質が下がった」という投書があったり、女性誌に「和の解雇劇」記事が掲載されたりして、慌てて看護講習の見直しを図るようになったそうです。

結果的に、和は第一医院の体質改善に大きな役目を果たしたのです。

頭を下げれば看護婦を続けられたけれど、自ら辞めるりん。 NHK「風、薫る」公式サイトより

建議書のほかにも「医師が和を嫌う」理由が

ドラマの中では、最初は患者として登場した「チュウ」こと丸山忠蔵(若林時英)は、実は『新宿中村屋』の創業者・相馬愛蔵がモデルとされ、史実ではりんのモデル・大関和と、長い友情の絆で結ばれた間柄でした。

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その愛蔵の妻、相馬黒光も和とは交流がありました。彼女の随筆『穂高高原』によると、佐藤三吉は「大関和は僕の友人である」と語っていたそう。

三吉は、器械だし・術後管理に優れた和の能力の高さを認めるだけではなく、人柄も重んじていたようです。

そして、ドラマでは描かれないようですが、実は男性医師らが和を嫌う理由は「建議書」以外にもあったのです。

原案伝記小説や『穂高高原』によると……

▪️「和はなかなか美人だったので医師からも好意を寄せられた」ことも少なくなかったそう。けれども、和は恋愛感情には無頓着な反応だったため、プライドが傷つけられた医師もいた

▪️和は熱心なクリスチャンで「好みの男性は信仰の話ができる」人だった。鹿鳴館時代が終わり国粋主義が高まるなかキリスト教への風当たりは強く「和がクリスチャンだというだけで毛嫌いする医師」もいた

思わず「器が小さいっ!」と言いたくなるような理由ですね。

これらの下地があったうえに、「生意気な大関和が外科教授に直訴した」ことで、男性医師らの不満が爆発したのかも……。

今でも、同じように職場においての女性VS男性の軋轢はあるもの。140近く年月が経っても、変わりませんね。

りんのモデル・大関和も、外科看病婦取締としてピカイチの手術介助の腕前を持っていた。NHK「風、薫る」公式サイトより

高田で瀬尾原始と運命的な再会

佐藤三吉は、辞めていく和に次の看護人生に導くアドバイスをします。

〜いずれにせよ、正義感の強い和にしてみれば、自分が女性であることなどは度外視して建議書提出の行動に出たのだった。佐藤は考えた末、和に越後高田の知命堂病院に行ってみないか、と話を切り出したのだった。〜(『穂高高原』)

「知命堂病院」と瀬尾原始が父親の後を継いで院長になった病院です。

けれども、退職した直後、鈴木雅が桜井女学校と附属看護婦養成所の設立者メアリー・トゥルーのもとを訪ね和の再就職先を斡旋を頼んでくれたおかげで、女学校に務める話が舞い込み、そちらを受けることにしました。

(ドラマでは、直美が大山捨松(多部未華子)にりんの再就職先を依頼していましたね)

そして、明治23年(1890)11月に和は正式に第一医院を退職、越後高田女学校寄宿舎の舎監として赴任したのでした。

「私共の精神が当時の医局に容れられず、空しく貴重の歳月を送らん事を悲し」
(『婦人新報』第一四一号)

と無念の思いを残した和。

ところが、不思議な運命の巡り合わせか、和は高田に赴任してからしばらくして、以前佐藤三吉にアドバイスされた知命堂病院長となった瀬尾原始と運命的な再会をします。

瀬尾に「父の古い病院を新築工事して最新の医療設備を整えた病院をオープンする。そこの看護婦長になってくれないか?」と依頼され、和は高田女学校を退職し新たな第二の看護婦人生をスタートすることになりました。

もし、病院であのまま働き続けていたら看病婦取締以上の仕事はさせてもらえず、「日本のナイチンゲール」大関和は、誕生しなかったかもしれません。

高田に赴任し、女学生たちとの交流、廃娼運動との出会いなどの経験を積み、瀬尾原始と再会でき、以前佐藤三吉から勧められていたこともあり瀬尾原始の病院で働くことを決め……そんな巡り合わせから、和の二度目の看護人生は始まったのです。

もともと瀬尾は、病院時代、風当たりがきつい医師も少なくない中で最期まできちんと接してくれた医師でした。

大学病院のやり方に疑問を抱いている様子の黒川医師(瀬尾原始のモデル)NHK「風、薫る」公式サイトより

第一医院解任で第二の看護婦人生がスタート

ドラマ「風、薫る」もいよいよ後半。舞台は第一医院から越後高田女学校へと移り、りんも直美も大関和や鈴木雅のように、いち看護婦としてだけではなく、日本の看護の発展や女性の社会進出への道を築き上げていくという偉業を成し遂げていきます。

今は、3月末にドラマが始まって以来、りんも直美もこんなに辛い涙を流すのは初めてといってもいいくらい、精神的に厳しい状態になりました。

けれど、まったく性格も考え方も違う二人の生涯続いた絆のワケが見えたような気がします。(原案小説の和や雅と、ドラマのりんと直美が、どんどんシンクロして見えるように)

バーンズ先生の問い「What is nursing?」(看護とは何か)の答えを模索中のヒロインたちですが、この葛藤から、現代の「看護」が育まれてきたのかと思うと、感慨深いものがありますね。

※朝ドラ「風、薫る」関連記事:

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参考:

田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』
亀山美知子『大風のように生きて: 日本最初の看護婦大関和物語』
相馬黒光『穂高高原』

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