『豊臣兄弟!』鯉に毒は本物?武将たちはどこにいた?本能寺の変の生還者たち…第27回の気になる描写を考察
織田信澄(緒形敦)から謀叛の野心を打ち明けられた明智光秀(要潤)は、織田信長(小栗旬)からの度重なる仕打ちに堪忍袋の緒が切れます。
しかし心のよりどころとしていた足利義昭(尾上右近)から拒絶されてしまい、とうとうキレて単独で挙兵しました。
「敵は本能寺にあり!」
果たして信長はこれまで殺してきた者たちの亡霊に苛まれながら、羽柴兄弟の姿に苦笑いしつつ自害します。
燃え盛る本能寺を前に、小一郎(仲野太賀)は備中高松にいる兄・秀吉(池松壮亮)の元へ走るのでした。
それでは第26回放送「本能寺の変」今週も気になるトピックを振り返ってまいりましょう。
本能寺の当日、小一郎はどこにいた?
中国大返しの予行演習?NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
劇中では上様をお迎えするため、わずかな側近たちと共に安土へ駆けつけたという小一郎。しかし実際には秀吉と共に備中高松城攻めの陣中にいました。
数百から数千単位の軍勢を率いる大将が戦線を離れることがあれば、将兵に与える動揺ははかり知れません。
下手をすれば「大将は我らを見捨てて逃げた」なんて噂が流れ、部隊が崩壊するリスクも容易に考えられます。
小一郎が信長に対して「到底かなわぬ兄を持った弟の気持ち」を語るのはよいと思いますが、このタイミングは少し無理があるのではないでしょうか。
本能寺の当日、お市はどこにいた?
劇中では一時期を除き、信長のそばにべったりだったお市(宮崎あおい)。
彼女は浅井滅亡後、織田信包(のぶかね。信長弟)が治める伊賀国(三重県北西部)に引き取られたとも、織田信次(信長叔父)が治める尾張国守山城(愛知県名古屋市)で保護されていたとも言われます。
これまでの作品では夫の浅井長政(中島歩)を殺されたことから、信長に敵意を持ち続けている描写が多いようですが、本作のお市はレアケースでした。
夫の仇である兄が非業の最期を遂げたと聞いて、彼女は何を思ったのでしょうか。
そのとき、あの人々はどこにいた?
本能寺の変当日、あの人はどこにいた?NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
公式サイトで、天正10年6月2日時点における各部将の所在地を示す図が紹介されていました。
織田信孝(結木滉星)と丹羽長秀(池田鉄洋)そして信澄は四国攻めの準備、秀吉は中国戦線、柴田勝家(山口馬木也)と前田利家(大東駿介)は北陸戦線にいます。
また徳川家康(松下洸平)は堺の街を観光中でした。
せっかくなので、織田家重臣または有力家臣でありながら、所在が割愛されてしまった武将たちの所在地も確認しておきましょう。
佐々成政(白洲迅)……柴田勝家らと北陸戦線 滝川一益(猪塚健太)……関東戦線・上野国(群馬県) 池田恒興(堀井新太)……中国戦線援軍・摂津国(兵庫県) 細川藤孝(亀田佳明)……丹後国(京都府) 筒井順慶(永沼伊久也)……大和国(奈良県)果たして信長亡き後、彼らがどのような動きを見せるのか、各人の思惑がどのように描かれるのかが注目です。
安国寺恵瓊と黒田官兵衛の和睦交渉
秀吉から酒を受け取る恵瓊。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
劇中では黒田官兵衛(倉悠貴)から和睦の条件として備中・備後・美作・伯耆・出雲の5か国を提示、安国寺恵瓊(立川談春)がこれを渋る場面がありました。
実際には5か国割譲を毛利方から提示しており、さらに水攻めに苦しんでいた備中高松城の将兵を助命することを要請しています。
しかし秀吉はこれを拒否し、5か国割譲+城将・清水宗治の切腹を要求したため、交渉は一度決裂しました。
毛利方は宗治に対して降伏すべきことを伝えましたが、宗治は「自分の命で毛利家と城兵が助かるなら」と降伏を拒否して和睦するよう訴えます。
そんな中で本能寺の変が起こり、速やかな和睦が必要となった秀吉は、和睦条件を備中・美作・伯耆の3か国と宗治切腹に譲歩しました。
鯉に毒は入っていた?
信長の饗応を受ける家康主従。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
劇中では鯉料理に盛られた毒を徳川家康が見抜き、光秀が信長にリンチを受けています。
この失態により光秀は饗応役を解かれ、秀吉の援軍として中国戦線に派遣されることとなったのでした。
この「魚料理に問題があった」という描写は『川角太閤記』が元ネタで、魚が腐っていたと信長が言いがかりをつけています。
……夏故用意のなまざかな、殊の外さかり申し候故、門へ御入被成候とひとしく、風につれ悪き匂い吹来候……
※『川角太閤記』より
【意訳】夏のことだったので、用意していた鮮魚が傷んでしまい、門へ入ると同時に風に乗って悪臭がただよってきた。
その後さまざまな創作が加えられ、例えば近江名物の鮒寿司(ふなずし。美味だけど匂いが強い郷土料理)にアレンジされていました(1996年『秀吉』)。
逆に京風の上品な味つけにしたことで不興を買ったとする作品(2014年『軍師官兵衛』)もありますが、毒が盛られていたというのは珍しいアレンジでしょう。
本能寺の変から生還した者たち
明智光秀の軍勢に取り囲まれて絶体絶命!みんな殺されてしまったのかと思いきや、実は生き延びた者も少なからずいました。
例えば女性たちは信長の指示によって積極的に脱出しており、また誠仁親王(さねひとしんのう。正親町天皇第一皇子)や公家たちについては明智光秀との協議によって脱出しています。
本能寺の変と聞くと、それこそ有無を言わさず攻めかかった印象がありますが、意外と理性的だったのかもしれません。
他にも博多商人の神屋宗湛(かみや そうたん)や島井宗室(しまい そうしつ)らも脱出、明らかな非戦闘員については見逃されたのでしょうか。
いっぽう織田信忠(小関裕太)が横死を遂げた京都妙覚寺では、織田長益(源五。信長の弟)が自害しようと準備していたら、周りに敵がいないからと逃げ延びました。
この長益は信忠に対して早く自害して敵の手にかからぬよう勧めておきながら、自身は生き永らえるという振る舞いを人々から批判されています。
ほかにも信長に仕えていた黒人の弥助(やすけ)は明智勢に降伏し、捕虜となり釈放されました。
第28回放送「急げ!秀吉」
第28回放送「急げ!秀吉」。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
弟殺しの罪業に苛まれながら、信長は本能寺の劫火に消えていきます。信長の前に現れた亡き弟・織田信勝(中澤元紀)の「ろくな人生じゃありませんでしたな」という言葉は、信長の本心だったのでしょうか。
そして秀吉と最後に交わした「上様が創った天の国を照らす太陽になる」という約束?を、是非もなしと締めくくっています。
これはどういう意味だったのか、解釈が分かれそうですが、おおかた「後は頼んだぞ」くらいの意味だったのでしょう。
果たして信長の悲報を聞いた秀吉は、悲しみから一転、天下人への階段を駆け上がっていくのでした。
信長の死によって大きな時代の転換点を迎えた戦国乱世を、これからも見届けていきましょう!
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