国税局査察部(マルサ)はなぜ生まれた?税務署員が命を落とした時代の脱税摘発史

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国税局査察部(マルサ)はなぜ生まれた?税務署員が命を落とした時代の脱税摘発史

強制調査の誕生

マルサ国税局査察部あるいは国税査察官の隠語・俗称で、映画によって有名になりましたね。

戦後の日本で、脱税摘発の象徴として知られるマルサが誕生した背景には、二つの税務調査の形がありました。

一つは、納税者の同意を得て行う任意調査。国税当局の調査の九割以上を占める、ごく一般的な方法です。

もう一つが、裁判所の許可状に基づき、同意なしで行われる強制調査。ドアを破って入ることも天井や床下を調べることも可能で、脱税の全貌を明らかにするための強力な手段でした。

この強制調査を専門に担う部門として、昭和23年に発足したのがマルサ(国税局査察部)です。

当時の日本は終戦直後で、国も激しいインフレと税収不足に悩んでいました。

しかも横行する闇取引がインフレを加速させており、税収を確保しなければ国家の再建も進まない。そんな状況で、強力な摘発機関が必要とされていたのです。

新橋にあったヤミ市(Wikipediaより)

密造酒の現場

発足当初のマルサが、最大のターゲットとしていたのは密造酒でした。

もともと酒税は戦前から国税収入の上位を占める重要な税目で、終戦直後は酒の値段が高騰。酒税を納めずに酒をつくる密造が全国で急増しました。

1947年、闇市の屋台でカストリ酒(密造酒)を飲む人々(Wikipediaより)

そこで、例えば農村では村ぐるみで密造酒をつくり、見張り番を置いて税務署の摘発に備えるほどでした。

他にも、ある地域では摘発に来た税務署員が威嚇されて拉致されそうになったり、あげく暴行を受けて命を落とす事件まで起きています。

今でも南米の麻薬密造地域といえば国の権力者すらも恐れさせると言われていますが、まさにあんな感じだったのです。ちなみに上記の殉職事件は今も語り継がれており、東京国税局では毎年殉職者の命日に慰霊祭を実施しています。

さて、こうした事件もあり、より強力な摘発チームとしてマルサこと国税局査察部が必要とされました。

発足当初のマルサは情報収集能力が十分ではなく、脱税情報の多くをタレこみに頼っていました。

貧富の差が大きかった時代で、嫉妬や恨みによる通報も多く、元従業員など内部者からの情報も多かったのです。

さらに、通報者に報奨金を支払う第三者通報制度まで存在し、タレこみは摘発の重要な武器となっていました。

変わる標的

しかし戦後の混乱が落ち着くにつれ、タレこみに依存した摘発手法は問題視されるようになります。

昭和29年には第三者通報制度が廃止され、国税当局はより公正で透明な情報収集を求められるようになりました。

これを境に、マルサのターゲットは闇業者から、正規の経済活動において脱税を行う人々へと移行していったのです。映画『マルサの女』で描かれた世界にだんだん近づいていったんですね。

こうして、企業や富裕層の脱税を強制調査で暴くという現在のマルサのイメージが形づくられていきました。

税金を管理する現在の東京国税局

こうして見ていくと、戦後の脱税摘発の流れは、意外と危険と隣り合わせでもあったことが分かります。戦後直後の闇業者の摘発が主な任務だった頃は、マルサは職務内容によっては殉職することもあったブラックな職業でした。

しかし酒税に関して言えば、戦後はだんだんと国税収入の上位を占めるほどの水準ではなくなっていき、密造酒を作って商売にするメリットもなくなっていきます。

こうした時代の変化と制度の成熟によって、マルサは次第に「ホワイト化」していったのです。

参考資料:
大村大次郎『脱税の日本史』宝島社、2024年
画像:PhotoAC,Wikipedia

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