朝ドラ『風、薫る』りんが赴任した高越女学校のモデルは実在した━━新潟で待つ“運命の再会”につながる史実

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朝ドラ『風、薫る』りんが赴任した高越女学校のモデルは実在した━━新潟で待つ“運命の再会”につながる史実

「風、薫る」第16週のテーマは『新風吹くころ』

ヒロイン・一ノ瀬りん(見上愛)は、帝国大学医科大学付属第一医院(現、東大病院)を
辞任。次の職場、新潟の女学校目指して旅立ちました。

「トレインド・ナースの仕事を手放し、病院を辞任する」理由は、ドラマと史実ではまったく異なります。

ドラマでは、りんが患者の死に衝撃を受け看護業務に支障をきたしたから。
史実では、病院に「看病婦の労働改善」のため建議書を提出、医師らの反感を買ったから。

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いずれにしても、新潟県の『女学校の舎監』に再就職したのは同じです。

りんの実在のモデル・大関和は、女学校寄宿舎の舎監として1年ほど働いた後、“運命的な再会”を経て、第二の看護婦人生を歩むようになります。

今回、りんが赴任した『高越女学校』のモデルとなった学校はどこ?“舎監”とはどのような仕事?新しい人間関係は? ……などを、史実と比較しつつご紹介しましょう。

新風に吹かれ、りんこと大関和は次のステージに進む。(NHK「風、薫る」公式「X」より

新天地にも存在した差別や偏見「看護婦なんか」

りんの新天地・新潟にも、相変わらず明治時代らしい差別や偏見はナチュラルに存在していました。

新しい「束髪」スタイルのりんに会い、早速「気に入らない女認定」した大地主羽田家の奥様・テツ(横澤夏子)は、話を大袈裟に盛って話す面倒くさそうなタイプ。

「束髪」に憧れ若い娘らしくキャッキャッしつつも、「束髪にしたら親戚になんて言われるか!」と、世間の目を気にして、新しいことには挑戦しない保守的な感じの女学生たち。

悪意はないようですが、りんのことを「離婚して看護婦なんかになって、今度は、単身で女学校で舎監なんてかわいそう〜」と言います。

『看護婦なんか』。

ドラマで何度も登場するお馴染みの言葉です。「看護婦なんかになるなんて」「看護婦?下女風情が」「看護婦ごときが生意気」 ……「学びの意識」を持つ女学生でも「なんか」と差別する言葉が普通に出てくるようです。

昔のりんのように、「女性も仕事をして自立する」という発想はなく、「奥様になることが女性の「あがり(すごろくの)」だと考えているのかも。

原案の伝記小説では、和が新潟に来てから地元の人々や女学生らと揉めたというような場面はないようなのですが。

東京から来た若い女性の先生に好奇心いっぱいの女子学生たち。(NHK「風、薫る」公式サイトより)

「女性ができる仕事」としての女学校の舎監

原案伝記小説によると、大家直美(上坂樹里)のモデル・鈴木雅は、和に職を斡旋してもらおうと、和や雅が通った桜井女学校附属看護婦養成所の設立者メアリー・トゥルーのもとを訪ねます。

桜井女学校は新栄女学校と合併し『女子学院』となり、看護婦養成所の所長・矢嶋楫子(ドラマでは梶原敏子先生/伊勢志摩)が初代校長になっていました。

系列の学校として、新潟と栃木に新しい女学校が開設され人手が足りないときでした。
そこで「高田女学校の舎監」を勧められます。

舎監とは、寄宿舎で生活する生徒の生活指導や健康管理、規律の維持などを担当する役職です。この時代の女学校は寄宿舎を備えるところも多く、“舎監”は欠かせない仕事でした。

ドラマでは、大山捨松(多部未華子)が、りんに新潟の「高越女学校の舎監」の仕事を紹介。「人に何かを教えるのは不安だ」というりんに、「無理に何かを教えようとせずともよいのです」と捨松。

「看護」という仕事を切り開いていくりんの姿そのものが「何より手本になる」と。

「男性がやっていた仕事を女性もやるという事象はある。けれども、日本では未知の『看護』という仕事は、『女性』が始めたもの。女性が自ら新しい仕事を作ることに意義があります」と。

ナイチンゲールも『女性も男性と同じように、社会に貢献する能力を持っている』という言葉を残しています。

実際、アメリカで教育を受け優秀な成績を収め、語学堪能、看護婦資格を取得したにもかかわらず、帰国しても旧態然とした日本では「女性が活躍できる仕事」がなく愕然とした捨松。

ドラマの捨松のセリフは、実物の捨松そのものの言葉に聞こえます。

日本における「看護の普及」とともに「女子教育普及」を夢とし、古い日本のシステムと戦う“ファイター・捨松”は、りんに夢を託したのでした。

自分の夢でもある「女子教育」の夢をりんに託す捨松。(NHK「風、薫る」公式「X」より

「高越女学校」のモデルは「高田女学校」

さて、ドラマに登場する「高越女学校」は、架空の学校ですが、大関和も明治23年(1890)から新潟県「高田学校」の舎監として1年間在籍しています。

モデルとされる「高田女学校」(現・新潟県上越市)は、高田盲学校を設立した大森隆碩ら、教育熱心な地元の名士たちが、メアリー・トゥルーに協力を依頼して誕生した学校です。

大森隆碩は、高田藩の医師の息子として生まれ、15歳から眼科について学び医学と英語を身につけた人。

明治24年(1891)に「私立高田盲学校」を設立、私財の多くを学校の運営にあてた人です。隆碩はクリスチャンでもあり、地元の「廃娼運動の主導者」的な存在でもありました。

ドラマ内では、高越女学校の校長先生は、望月勘治(関智一)という人物です。

公式サイトによると、「女性にとっていちばん幸せなのは、良縁に恵まれることだと信じている。」人物だとか。

望月はりんと初対面の挨拶時に、「大地主羽田家の奥様のご機嫌はとにかく損ねないように」と釘を刺していました。

話を盛って話すテツの性格は理解しているようですが、揉め事はおこしたくないタイプなのかもしれませんね。

「高田盲学校や「高田女学校」の創立に尽力した大森隆碩校長と、ドラマ内の望月校長は今の時点では共通点は感じられませんが……この後どうなるのでしょうか。

実際、高田女学校の寄宿舎には、女学生が約30人いたそうです。もともと看護婦養成所でも共同生活だった和は、女子ばかりの共同生活に特に違和感はなかったそうです。

ドラマでは、りんは、女子学生たちに食事を提供したり、掃除の仕方を教えたり、お裁縫や英語を教えたりして馴染んでいるようでした。

窓の拭き方の雑さを生徒に注意する場面は、バーンズ先生に掃除方法の雑さを指摘されていた看護婦養成所時代を思い出しますね。

女学校の校長・望月と、彼が「機嫌を損なうな」とりんに伝えた大地主の妻・テツ。(NHK「風、薫る」公式「X」より)

突然出会った「社会運動」のビラ

新潟に到着したりんの目の前に、突然差し出された1枚のビラ。

「『自由政談大演説会』〜富者の優遇を廃し選挙権の拡張求む〜」という、傍聴自由の演説会のお知らせでした。

りんこと大関和が新潟に赴任したのは明治24年(1891)です。この頃は選挙権を得ることができたのは「満25歳以上の男性で直接国税を15円以上納めている人」という、かなり偏ったルールでした。

(その後、大正14年(1925)に「満25歳以上の男性全て」に選挙権が認められ、ようやく女性にも選挙権が認められたのは昭和20年(1945)。)

テツ奥様は、ふんっ!とばかりにそのビラを乱暴に手で払っていました。「富者の優遇」を得ている側だからでしょうか。

テツの夫・羽田 銀次(西堀亮)は、お店の前にできる行列に突然割り込むような礼儀知らず。りんにその行為を注意されても、「それがどうした」とふんぞり返る小さい人物のようです。

その時、新聞記者の横沢公輔(井上祐貴)が「異議あり!」と声をかけました。

この後、横沢はりんに大接近する様子。横沢のモデルは、実在の人物で新聞記者・社会運動家、木下尚江かも?という説もあります。シマケンこと島田健次郎(佐野晶哉)も、モデルは木下尚江か鄭永慶(ていえいけい)か……といわれていますよね。

もし、横沢が尚江がモデルだとしたら、「チュウ」こと丸山忠蔵(若林時英)の実在のモデル『新宿中村屋』の創業者・相馬愛蔵「尚江が和にプロポーズしたことに大反対した」という、和にとってキモになる史実のエピソードは描かれるのでしょうか。

今後の展開がどうなるのか楽しみです。(『べらぼう』ファンにとっては「ふんどし野郎」こと松平定信の再来が嬉しい)

りんが揉め事になりそうな時に声をかけて割って入った横沢公輔。(NHK「風、薫る」公式「X」より)

「廃娼演説会」での騒動を「歌の力」で和ませる

原案伝記小説では、りんが高田で見たのは「存娼会 新年会のお知らせ」の張り紙です。

存娼会とは、「廃娼運動」に対抗したもので、遊郭があることで利益を得る貸し座敷、飲食店の主人などから成り立っていたそう。

和は、「存娼会」があるということは「廃娼運動」も盛んかも?と思い、クリスチャンで廃娼運動に熱心だった大森隆碩に聞き、教会で開かれた「廃娼演説会」に女学生たちと参加するのでした。

廃娼演説会では「娼婦の廃止」を訴える弁士に対し「廃娼したら町の商売がたちいかないだろ!」妨害する存娼側の暴徒が乱入し大荒れになりました。

和と生徒らは、事前に大森と予定していた通りに壇上で「さあ、共に生きよう」という讃美歌を合唱。会場内を感動に包みます。

生徒たちに「危険な目に合わせてごめんなさい」と謝る和でしたが、生徒たちには「楽しかった」「廃娼運動を知らなかったけれど、目を逸らしてはいけない問題だと思った」と口々に感謝の言葉を伝えられます。

その後、高田で慈善音楽会を開き募金運動を行うなど、廃娼運動活動に燃えた和ですが、胸の中にあった『看護の仕事への渇望』は消えることなく持ち続けます。

和と生徒たちの讃美歌は人々を感動で包んだ。讃美歌のイメージ。photo-ac

最後に…

舞台が新潟に変わり、りんを取り巻く人間関係はがらりと変化。

なかなかクセの強そうな人が多く、りんも苦労しそうですね。今後、どのように関係性が変わっていくのでしょうか。

新潟は、りんにとっても大関和にとっても人生の大きな転機となった場所です。新しい環境や人間関係の中から、また再び「天職」である看護の道に戻る日が楽しみです。

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