【豊臣兄弟!】「上様の気持ちがわかった」…明智光秀(要潤) が『本能寺の変』で犯した最大の誤算とは
天正(1582)年6月2日の昼過ぎ頃。
黒煙がくすぶる本能寺の焼け跡で、座して手を合わせ黙祷を捧げる明智光秀(要潤)。その後、吹っ切ったように立ち上がり「早急に織田信長の首級を見つけ出せ」と斎藤利光(内藤剛志)に鋭く命じました。
ドラマでは、本能寺の変の3日後。6月6日に安土城に入った明智光秀。
信長を亡き者にした後、新しい政権を構築しようと早急に動きますが。
絶対に「味方になるはず」と確信していた諸将から次々と裏切られ、光秀は少しずつと焦燥感に包まれていきます。
「上様の気持ちがわかった」と呟く光秀……なぜ、光秀は四面楚歌になっていったのでしょうか。
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次々と味方になってくれると思った武将から断られる光秀。(NHK大河「豊臣兄弟!」
背中を押したのは公方様の「わしを巻き込むな」明智光秀が織田信長に謀反を起こした理由は謎で、さまざまな説が展開されていますが、いずれも確たる明確な説はないようです。
そのためか「背後に黒幕がいた」説もあり、長宗我部元親・朝廷・足利義昭・実は豊臣秀吉……などの名前が挙げられています。
「豊臣兄弟!」では、以前は相思相愛だった公方様こと足利義昭(尾上右近)から「信長を討て」という花押付きの文をもらった光秀は、かなり動揺しました。
心の底にあった思いが、公方様の文で急激に浮上した感じ。
けれども、それはまさかの織田信長(小栗旬)の甥で光秀の娘婿・信澄(緒方淳)の捏造でした。信澄……酷なことをする。
なぜそんなことをと問い詰める光秀に、信澄は「信長は父の仇。もう20年以上も命を狙っていた」と隠しもしません。光秀は信澄に協力を仰がれるも、きっぱり断りました。
後世の創作といわれる、かの有名な『安土饗応』(家康饗応)の場面では、「毒入り鯛」が発覚。
信澄がやったと内心思っている光秀の心を見透かしたかのように、信長は「犯人を知って庇っているだろう」と疑い、激しい空中蹴りを入れます。
これで光秀の怒りメーターはMAXになったかと思いきや……それでも、理性で抑えます。
さまざまな要因が重なり、信澄に圧をかけられ、信長に体が飛ぶほどの蹴りを入れられ、“謀反”の谷に落ちるギリギリの縁に立っていた光秀。
背中をドン!と押したのは、まさかの、愛する公方様でした。
公方様にお伺いをたてようと斎藤利光を使いに出したものの、返ってきたのは「もう、わしを巻き込むな」。
突き放すような言葉に、光秀の最後の堤防が決壊しました。
唖然とした表情から慟哭に変わり「敵は本能寺にあり」……もうほかに選択肢はないという、変化していく光秀の心情が鮮やかに描かれていましたね。
今まで、公方様のために心を殺し比叡山での大量虐殺をし、上様の理不尽な暴力に耐えてきたのに。公方様にも上様にも信澄に振り回されてきた光秀がほんと、不憫でした。
まさかの公方様の言葉が光秀を「謀反の谷」へと突き落とすとは。(NHK大河「豊臣兄弟!」
小一郎は「明智を討つ」覚悟・細川藤孝は「明智から離れる」覚悟ドラマでは、京都にいた小一郎(仲野太河)は、明智光秀と親戚関係にある細川藤孝(亀田佳明)と密談します。
この密談では、お互いに、“正直どうしていいのかわからん”気持ちでした。
小一郎は迷いを捨て「明智を討つ」決断を、藤孝は親しかった「明智を捨てる」決断をする……そんなを表現したストーリーとなりました。
「謀反は許せん!」けれど、ずっと一緒に戦ってきた光秀をなんとか救える手段はないものか、「どうしたらいんじゃ」と、小一郎はどストレートな言葉を投げかけます。
これに対して藤孝は…
「救おうなど、お主のうぬぼれ。光秀は一時の情の迷いで謀反を企てるような浅はかな男ではない。」
「全身全霊をもって織田を討ちにくるぞ。今のままでは討たれるのはお主ら」
と諭します。
そこに「秀吉、姫路に到着!」の一報が届きました。
小一郎は、「兄者なら走り続けると思った。細川殿のおかげで目が覚めた。」と、明智光秀を討つ覚悟を決めます。
兄弟の実行力に「この先やるかも!」とふんだのでしょうか。藤孝は、親しい明智とは手を組まずに距離を置き、自身は剃髪して家督は忠興に譲ることを決めました。
爆速で戻ってきた秀吉たち。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
「主君殺しは大罪」明智につかぬほうがいいと判断したか細川藤孝がなぜ「親しく縁のある光秀を助けなかったのか?」には諸説あります。
史実では、光秀と藤孝は、共に幕臣として足利義昭を支え、信長と義昭の橋渡し役もしていました。
さらに、共に信長の家臣となり、数々の戦いで藤孝は光秀の与力を務めてもいます。しかも、長男・細川忠興と光秀の三女・玉(のちの細川ガラシャ)が結婚したことで、親戚関係だったのです。
光秀は、親しく信頼していた藤孝は、必ず味方になってくれると信じていたことでしょう。
『細川家文書』によると、光秀は「細川父子は味方になってくれると思っていた。改めて味方になって欲しい」という覚書を送っています。
戦国の世とはいえ「主君殺し」は大罪。
▪️どんな理由があっても、光秀は非難されこそすれ歓迎されるわけはないと考えた
▪️秀吉の「中国大返し」の行動力に驚き、すぐさま当時大阪にいた信長の三男・信孝と手を組み「光秀征伐」に乗り出す可能性が高いと考えた
などで、光秀の味方になっては不利になると判断した……という説が有力ともいわれています。
密談でお互いに『覚悟』を決めた、小一郎と藤考。(NHK大河「豊臣兄弟!」公式サイトより
頼りにしていた筒井順慶も味方せずそして、もう一人、光秀が頼りにしていた人物がいます。
「豊臣兄弟!」では、信長に反旗を翻した松永久秀に代わって大和国を任された人物として描かれた、筒井順慶(永沼 伊久也)です。
史実でも、大和国を支配して光秀の与力として行動を共にすることが多かったといわれています。光秀とは茶席をともにするなど、個人的にも親しい間柄だったそうです。
天正10年(1582)、本能寺の変で順慶は大きな選択を迫られることになりました。
「順慶は洞ヶ峠まで出陣し、光秀と秀吉のどちらが有利かを見極めてから、どちらに付くかを決めようとした」という、いわゆる『洞ヶ峠の順慶』という逸話が残っているのですが、現在では後に脚色された俗説とみなされています。
実際は…
▪️自分の一存で決めることはできず、一族や重臣などと協議した末に、「秀吉につく」と決めた
▪️光秀について、長年かけて手に入れた(取り戻した)大和国を危険にさらすようなことはせずに守りたかった。
という説が強いようです。
武将でありながら歌人・古典学者として名高かく文武両道だった細川藤孝(のちの幽斎)は、いち早く「生き残るためには誰につくかを見極めた」武将。
武将であると同時に、教養人としての側面を持ち謡曲や茶湯を好んだ筒井順慶は、当初は親しい光秀に味方する動きをとったものの「迷い続けた」武将。
この二人の武将の判断が、光秀の敗北を招いたのでした。
光秀の与力でもあった筒井順慶(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より
光秀の味方になった二人の武将とはドラマで描かれている明智光秀像は、愛する公方様のために己を殺し信長に仕え、公方様に疑いの目が向かないように心を鬼にして比叡山で虐殺を行いました。
けれど、その結果公方様「お前はそんな人間だったのか!」と叱責されてしまいます。気持ちの行き場がなさすぎる。ひとりぼっちで座敷で打ち伏していた孤独な光秀の姿は忘れられません。
信長に仕えるも、「公方の犬」呼ばわりされ、脅され、時々暴力を振るわれつつ、我慢し続けた挙句、甥にはめられたうえに謀反を起こすようにそそのかされ。
公方様には「巻き込むな」と突き放され。
謀反後は親しいと思っていた人々には背中を向けられ。
…そんな四面楚歌の明智光秀のもとに駆けつけた武将もいました。
一人は、若狭後瀬山城を本拠としていた若狭武田氏の9代当主・武田元明。8代当主・武田義統の妹が、光秀の母・おまきの方であったといわれています。
元明が家督を継いだときには、若狭武田氏の勢力は衰え勢いを取り戻せずに苦しい立場にいました。
本能寺の変を聞き、元明は義兄の京極高次とともに光秀に味方し、近江では佐和山城を攻略するなどの働きをします。
けれども、山崎の戦いで光秀が秀吉に敗れ、丹羽長秀に殺害されたと伝わります(諸説あり)
そして、もう一人は京極高次です。かつて近江守護を務めた名門の京極氏でしたが、武田元明と同様、高次の代にはすでに勢力が衰えていました。
本能寺の変後は、元明と共に明智側の味方として働くも、山崎の戦い後は主を失ってしまいます。
けれども京極高次の妹・竜子が秀吉の側室になっていたことで、竜子の懇願により命拾いし、秀吉に仕えることになりました。
秀吉は明智を討ち「上様の思いを継ぐ」覚悟を…
ほかにも、高山右近や中川清秀ら味方についてくれると思っていた人々も、明智側にもつかなかったのが誤算でした。
ことがうまく運ばず、頼りにしていた人々にも裏切られ。
「上様の気持ちがわかった」と、いまだ「上様」と呼びつつ呟く光秀が切ない。
以前、光秀は秀吉に
「たまたま明智の家に生まれ、たまたま家督を継いだだけの、ただそれだけの男。
食うこともままならず、妻や娘に惨めな思いをさせることしかできぬ無様な己れに何の値打ちがあるのかと。
私は何のために生まれてきたのか、何のために生きているのかと。
考えることすらやめようとしたその頃、あのお方(公方様)と出会おうたのじゃ。」
という告白が印象に残っています。救ってもらった公方様にまた捨てられ、味方には裏切られ、“ただそれだけの男”に戻ってしまうのでしょうか……。
常識人で律儀で真面目だった要・光秀、悲しすぎる。「価値ある人物」だったからこそ、450年近くの時を経てもその名を歴史に刻んでいるのに。
これから、戦いは1582年(天正10年)6月13日、明智軍と織田・羽柴連合軍は、山崎の地で真っ向から対峙することになります。
いよいよ、息子の織田信雄でもなく織田信孝でもなく秀吉が台頭していきます。
信長が夢見た「空のように『境目のない世』」を叶え、「その空をわたしが太陽となって照らす」を実現するために、天下取りの道へ一歩を踏み出すのでしょうか。
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