朝ドラ『風、薫る』「日本のナイチンゲールになる」生田絵梨花が演じる玉田多江の実在モデル・桜川里以の史実

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朝ドラ『風、薫る』「日本のナイチンゲールになる」生田絵梨花が演じる玉田多江の実在モデル・桜川里以の史実

7月22日(水)放送の『歴史探偵』は、「『風、薫る』コラボ 明治ナース誕生秘話」として、日本のナース誕生の裏側を紹介し、ゲストに看護婦の玉田多江を演じる生田絵梨花さんが登場。

明治時代の「日本初の看護婦」が、差別や偏見と戦いつつ偉業を成し遂げたことがもっと広まるといいですね。

「風、薫る」の第15週『差し出せぬ手」では、多江のセリフが注目されました。

「私はずっと辞めないから。」

「ここで出世して、看護婦総取締っていう役職作って、この病院の…いいえ、この国の看護のトップになって日本のナイチンゲールになる。その時は私の力でまた雇ってあげるから。その気になったら言って」

かっこいい。漢気ある多江さん。

病院を辞めるヒロイン・一ノ瀬りん(見上愛)に贈ったはなむけの言葉でした。

同僚のりんの能力の高さを認めているからこその悔しさ、りんを解雇に追い込んだ病院経営陣に対する憤りが含まれているように感じました。

「梅岡女学校付属看護婦養成所」時代から共に学び、帝都医科大学附属病院の実習を経てそのまま就職。

病院側から「看護取締」という重荷を押し付けられた「ナース4」こと四人の看護婦たちは、紆余曲折を経てここまで至っています。その仲間が辞めざるおえないのは、多江にも忸怩たる思いがあったでしょう。

玉田多江は、実在の人物・桜川里以(りい)をモデルにしています。

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実は、多江を演じる生田さんは、この作品に出会うもっともっと昔から「ナイチンゲールとの縁」があったとか。

そこで、玉田多江というキャラクターの成長を振り返りつつ、実際の桜川里以の活躍をご紹介しましょう。

病院を辞めざるおえなくなったりんも、直美も多江もトメもみんな悔しい。(NHK「風、薫る」公式「X」より)

ドラマの時代設定に合わせて「看護師」ではなく当時のままの「看護婦」と表記しています。
※本記事では登場人物のモデルとされる実在人物を紹介していますが、ドラマ上の人物設定や物語展開は創作を含むため、実在人物の生涯・経歴とは異なる場合があります。

医師の父・兄弟にコンプレックスがあった玉田多江

「風、薫る」第5週『集いし者たち』で、初登場となった玉田多江。上質なお召し物の多江は、いかにも“いいとこのお嬢様”という感じでした。

それもそのはず、「江戸時代には奥医師をしていた家に生まれ、身近に医療がある環境で育つ。優等生気質で意識が高い。」というキャラクターでした。

自己紹介の時も「日本の医療の向上に看護婦が欠かせないと考えてこちらに来ました」と堂々と学ぶ動機を述べました。

志は立派なのですが、そのプライドの高さゆえ「圧」が強く、別の意味で気が強い大家直美(上坂樹里)とはバチバチモードに。

「英語を学問として学んできた」多江と、「教会で会話を宣教師に教えてもらった」直美は、翻訳でぶつかります。

生真面目な多江は、「The very alphabet of a nurse」の翻訳に困惑しますが、会話中心に学んできた直美は「つまり、看護婦のいろは。看護婦の基本てことでしょ」といいます。

演じる生田さん曰く「「自分は医者になれない」という劣等感を隠すための気の強さなのではないかと想像しています。」とのこと。

確かに、医師である父や兄弟に対するコンプレックスを抱いていたようでした。

最初はピリピリムードだった玉田多江。(NHK「風、薫る」公式「X」より)

大関和に看護婦の道を勧めた植村牧師に出会う里以

玉田多江のモデル、桜川里以は実在の人物で、慶応2年(1866)年、水戸藩の儒学者・水野豊九郎の娘として生まれました。

ちなみに一ノ瀬りんのモデル・大関和と、大家直美のモデル・鈴木雅は安政4年(1858)生まれなので、里以は彼女たちよりも8歳年下になります。

原案伝記小説では…

〜20歳の桜川里以である。父は著名な儒学者で、築地にある海岸女学校(現青山学院)で漢籍を教えている。長兄が植村正久と知己であることから、看護学校の開校を知り、入学を決めた。〜

とあります。

史実でも、慶応4年(1868)に鳥羽伏見の戦いで旧幕府軍が新政府軍に敗れ、明治になったために、里以の父は「桜川小晦(こかい)」と名前を改め、一家は上京。植村正久と出会いキリスト教に入信したのでした。

ちなみに、植村正久は、日本の牧師で思想家。大関和は正久に正規の看護婦になることを薦められています。(ドラマ内では植村正久をモデルにした吉江善作牧師(原田泰造)が登場しています。)

正久が熱心に勧めたのは、宣教師のマリア・T・トゥルーが設立した桜井女学校(現女子学院)附属の看護婦養成所でした。(ドラマ内では、宣教師のメアリー(アニャ・フロリス)として登場)

もしかしたら、植村正久は和に勧めたように里以にも「苦しむ人を救う看護の道はキリスト教の博愛精神にかなう」と勧めたのかもしれませんね。

日本に看護婦を誕生させた一人。植村正久(wiki)

「看護」は医者なんかにやらせてあげられない仕事

第6週『天泣の教室』

ドラマでは、看護婦養成所西洋のナイチンゲール方式の看護を教えてくれるバーンズ先生(エマ・ハワード)が来ます。

そして、看護の基本は「まずは衛生から」と掃除・換気・シーツの敷き方ほか、油で固めた日本髪は不潔なので束髪にして「皆さん自身が清潔であること」を学びます。

最初は、「シーツの敷き方が看護になるのですか?」と反発していた多江。勉強への意欲が高いゆえに、“雑事”ばかりに思えて物足りなかったのでしょう。

けれども、自身が風邪で寝込んだとき、この“雑事”こそ大切なことに気がつきます。

「シーツにシワがあると、背中にもぞもぞ当たる」「喉が痛くて声が出ない患者は、表情を見ることが大切さ」など、患者目線になり「看護の基本」の重要さに気がついたのです。

養成所で倒れてしまった多江。(NHK「風、薫る」公式「X」より)

「女は結婚しろ」な古い父にはっきり考えを述べた多江

ドラマでは、せっかく清潔であるために束髪にした多江は、実家に戻るときに日本髪に戻します。

父はこの時代にありがちな「女は結婚して夫に尽くすのがベスト」な古い考え方で、無理やり縁談を決め「医師である夫を手伝えばいい」な考えの持ち主でした。束髪にしたら何を言われるかわからないと遠慮したのでしょう。

そして看護養成所を退学させようとします。そんな父に対して、

私、看護婦になります。看護婦には大したことはできません。診断、治療は医者の仕事です。
でも、病に苦しむ患者を近くで観察して、シーツを替え、窓を開けて換気をして、回復する環境を整えて、水を飲ませ、時に手を握ってそばにいることは、医者なんかにやらせてあげられない仕事です。

私が看護婦として働くのを認めてくれない人とは、結婚はしません。」

りんや直美同様、多江も「女に学問は必要ない」「女は自立するな」な明治時代、親や周囲の“保守的・男尊女卑的な圧力”と戦っていたのでした。

びしっと、自分の考え方を自分で述べる多江。かっこよかった。

実際に、桜川里以と父の間にこのような確執があったかはわかりません。

けれども、その後の里以の看護婦としての活躍ぶりをみると、芯が強く自分の考えは堂々と口にだす女性だったような気がします。

自分の進む道を自分で決めて生きる。玉田多江。(NHK「風、薫る」公式「X」より)

帝大病院退職後は看護や廃娼運動に励む

実際、明治21年(1888)に、桜川里以は、大関和や鈴木雅らと共に養成所を卒業。トレインドナースとして帝大医科大第一病院(現在の東大病院)に勤めるようになります。

ドラマでは、最初は7人だった看護学生のうち、残ったのはりん・直美・多江・工藤トメ(原嶋凛)の4人でした。

そして病院の都合で、新人看護婦なのに皆「看護取締」を命じられました。多江は「婦人科取締」。

もともと病院に勤めていた“看病婦”とはうまくいかないし、医師は「看護婦の仕事」を理解していないし、看護婦を下女だと思っている患者はいるし……逆風の中で働くうちに、4人の間の結束は高まっていきました。

そして、りんが病院側から辞職に追い込まれたとき、多江は冒頭でご紹介したように「この国の看護のトップになって日本のナイチンゲールになる。」と宣言。

りんの実力を大いに評価し、同僚ながらリスペクトしていた多江ならではの、名セリフでしょう。

実際は、明治23年(1890)11月に正式に大関和が帝大医科大第一病院を退職した3ヶ月後に、鈴木雅と桜川里以も同病院を退職しています。

原案伝記小説によると、

里以は、麻布の聖慈病院に移るとともに、近代日本における廃娼運動を担った女性団体「婦人矯風会」の活動にも積極的に参加、娼妓の廃業を手伝ったりその後の生活の面倒を見るなどの廃娼運動活動に励みます。

以前、里以は「廃娼運動はいいけれど、現場も知らずにただ娼妓の仕事を辞めさせるだけなら偽善。廃業した娼妓たちのその後の生活も考えるべき」と、手厳しく鈴木雅にいわれています。その言葉が胸に刻まれていたのではないでしょう。

その後、明治29年(1896)、宣教師のマリア・トゥルーが亡くなります。

葬儀で、大関和や鈴木雅らと顔を合わせた桜川里以。

桜井女学校附属看護婦養成所が閉鎖になってしまった後、「もう一度、看護学校を再開したい」というマリアの遺志を継ぐために皆で奔走します。その結果、翌年『衛生園看護婦養成所』が開設されました。

里以は、熱心なクリスチャンであった姉の紹介で知り合った婚約者で、ホノルルで働いている医師・三沢杢二郎と結婚するためにハワイに渡ります。

結婚後は一女を授かりましたが夫が結核で早逝したために、日本に帰国。里以は看護婦として働きながら娘・みねをオルガン奏者として育てあげました。

実際の看護婦養成所の卒業写真とそっくりの、ドラマ内での卒業写真。多江は後列の左。(NHK「風、薫る」公式「X 」より

ナイチンゲールゆかりの病院で生まれた生田さん

「この国の看護のトップになって日本のナイチンゲールになる」宣言をした玉田多江のセリフがネットでも話題になっていましたが。

桜川里以こと玉田多江を演じている生田さん自身が、ナイチンゲールゆかりの病院で誕生したことにも驚きでした。

生田絵梨花さんはドイツで生まれですが、この「風、薫る」の出演が決まったとき母親から「あなたはナイチンゲール病院で生まれた」と聞かされたそう。

ナイチンゲールが看護指導を受けていた、ドイツのカイザースヴェルトにある病院だったそうです。

「ナイチンゲール病院で生まれた自分が、ナイチンゲールの教えを受け継ぐ看護を学ぶ人物を演じるからには、と自然と使命感が芽生えてきました。」そうです。

明治時代、数々の偏見や風当たりのなかで看護婦の仕事を貫き通すのは、大関和も鈴木雅も桜川理似も、なみなみならぬ強い意志があったことでしょう。

ドラマでは、大関和こと一ノ瀬りんは高田女学校を経て再び看護婦に戻り、鈴木雅こと大関直美は「訪問看護」の道を切り開いていきます。

まっすぐで知的な瞳が印象的な生田さん演じる、桜川里以こと玉田多江が、今後どのように描かれていくのか楽しみですね。

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参考:明治のナイチンゲール 大関和物語 田中ひかる

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