『豊臣兄弟!』10代で散った小一郎と慶の嫡男・与一郎(大西利空)。豊臣家の跡継ぎを襲った悲劇
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第28回『急げ!秀吉』。
「本能寺の変」に衝撃を受けつつも、速攻で事後策を急ぐ羽柴小一郎(仲野太賀)と、「上様はまだ生きておられる!」と一縷の望みを抱き、備中から急ぎ戻る羽柴秀吉(池松壮亮)。
秀吉は、以前「殿が生きておられる限り、われらは何度でも蘇りまする!」と宣言していたほど織田信長(小栗旬)を愛しているので、絶望させないようにしなければなりません。
そこで小一郎は、森乱(市川團子)から直接聞いた「上様を助けられなかった」という言葉は隠し「至急戻れ」の文を出しました。
尼崎城で再会した豊臣兄弟。ボロボロになって戻ってきた秀吉は「上様の死」を受け入れません。真実を知らせる小一郎と、本気の殴り合いになります。
そんな兄弟を仲裁し冷静さをとり戻させたのは、あの幼かった羽柴与一郎(大西利空)でした。
ドラマでの与一郎は、妻・慶(吉岡里帆)の前夫の子で、小一郎とは血のつながりのない義理の息子です。
第29回『天下への道』の予告を見ると、与一郎は明智軍が放った矢に射抜かれて倒れてしまったよう。
ネットやSNSでは「与一郎の天命が…」「長生きして」「あぁ~、来週の天王山の戦い(山崎の戦い)で…」などの悲鳴が上がりました。
実際、羽柴与一郎の人生は短く、10代で亡くなってしまう運命でした。史実ではどのような人物だったのでしょうか。
ドラマでは、慶と元夫との間の子、羽柴与一郎。(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より)
「本能寺の変」の天正10年に命を終えた与一郎史実では、小一郎こと羽柴秀長(豊臣秀長)は、兄の秀吉同様に、あまり子宝には恵まれず、実子は与一郎と娘(名は不明)の二人だけでした。
羽柴与一郎の情報は少なく、実名・生年・人物像は不明。亡くなったのは、天正10年(1582)とされています。
母親の慈雲院(ドラマでは慶)も実名は不明。ドラマの慶という名前は、高野山奥之院の五輪塔に「慈雲院芳室紹慶」とあることから「慶」の一字を取ったそうです。
与一郎が亡くなったとされる、天正10年は…
・6月2日に本能寺の変
・6月13日に山崎の戦い
・6月15日に安土城天守が炎上
・6月27日に清洲会議が開催
・12月20日に秀吉が織田信孝がこもる岐阜城を攻略
と、織田の天下から明智の天下、そして豊臣の天下へ……と、激しい濁流に流されるかのように、歴史が塗り替えられていく年でもあります。
そんな天正10年に命を落とした与一郎。13歳〜15歳ごろだったと推測されています。
高野山奥之院の参道にある『豊臣家墓所』の案内板。(撮影:高野えり2026.3)
高野山奥之院の参道にある『豊臣家墓所』。(撮影:高野えり2026.3)
「与一郎」の名が出てくるのは江戸時代の文献のみ羽柴与一郎については、江戸時代に成立した文献『森家先代実録』と『高山公実録』でその存在が伝えられる程度だそうです。
『森家先代実録』とは、赤穂藩主森家が編纂した森家の家史で、それによると与一郎は那古野因幡守の娘の岩を妻とし、岩は与一郎の死後、秀長の養女となり、文禄3年(1594年)に森忠政に嫁いだ……と記述されているそうです。
『高山公実録』(藤堂高虎の一代記)の「郡山城主記」には秀長の「御実子」が早世、天正10年(1582年)丹羽長秀の三男・千丸(後の藤堂高吉)を秀長の養子にした、そして、“早世した秀長の実子”が与一郎……と記述されているそうです。
基本的に与一郎の名前は、同時代の史料には見当たらず、前述の江戸時代に編纂された二つの書物に記されているのみ。ドラマでは、“慶の前夫の子で小一郎が祖父の元から取り戻した”というアレンジでしたが、これもありだったと思います。
「豊臣兄弟!」の時代考証を務める歴史家の黒田基樹氏によると、この二つの文献からも、与一郎は秀長の実子であったのは間違いないと述べているようです。
祖父に復讐心を吹き込まれて育った与一郎
「豊臣兄弟!」では、与一郎は小一郎の妻・慶と前夫・堀池頼広との子どもでした。
かつて主家であった美濃の斎藤家が織田軍に攻め滅ぼされ、仕えていた頼広は戦死し、堀池家は没落。
西美濃三人衆として斎藤家に仕えていた慶の父親・安藤守就(田中哲司)は、小一郎に調略され織田家に仕えることになりました。
頼広の父・堀池頼昌(奥田瑛二)は織田に寝返った守就の娘である慶を憎み家から追い出し、与一郎と引き離したのでした。
そこで、慶は使者に依頼して陰ながら与一郎の成長を見守っていたのです。けれども、使者から“頼昌の与一郎に対する扱い”を聞き、耐えきれずに小一郎に事情を打ち明けたのでした。
事情を聞いた小一郎は、与一郎を返してもらうべく、慶とともに頼昌に会いに。
実は、頼昌は、息の命を奪った織田憎しで「復讐」だけを心の支えに、与一郎に「毒」を吹き込むモラハラ祖父と化していました。
そんな頼昌に慶は「与一郎に恨みを晴らさせることはやめてくれ。」と頭を下げたのでした。
幼い与一郎に厳しく弓を教えながら、人型の的を「織田の人間だと思って、真ん中を狙って矢を放ち殺せ!」と命じる祖父。
自分の憎しみを孫の与一郎にぶつけ、孫の苦痛の表情にはおかまいなしの毒爺。
けれど、与一郎は、この毒爺に従ってはいるものの、魂までは侵されていないのを感じました。
意味深なタイトルだった『過去からの刺客』そんな頼昌は、興奮して頭を下げている慶を斬ろうとしたとき。
妻・絹(麻生 祐未)は、頼昌が心の拠り所にしている亡き息子の鎧を床にガッシャ〜ンとばかりになぎ倒しました。
「これは、頼広などではありませぬ!あの子は優しい子だった」と叫び、復讐心にとらわれ過ぎた夫の目を醒まさせたのでした。(ほんと、絹さん最高でした)
絹のおかげで我を取り戻した頼昌は、小一郎と慶に与一郎を返しました。
羽柴家に来た与一郎は、まだ遠慮している様子。
けれども、「実の子ではなくても一緒に暮らしているうちによう似てくるから心配するな」といい、父となる小一郎にいわれて笑顔を見せていましたね。
ちなみに、この回のタイトルは『過去からの刺客』。
信長がずっとトラウマとして抱えていた、弟・信勝(中沢元紀)の息子で甥の織田信澄(緒形敦)が初登場した回でもありました。
幼い頃から、祖父より「織田への憎しみ」を日々植え付けられて育った与一郎。
幼い頃から、母親より「信長を殺せ」と日々呪詛のように教え込まれた信澄。
「過去からの刺客」という意味深なタイトルで初登場した二人でしたが……そんな与一郎も、信澄も「本能寺の変」後、天正10年に命を落とすとは。このときは思いもしませんでした。
祖父の呪縛から離れ、小一郎と母・慶と暮らせるようになった与一郎。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
情報が少ないためオリジナルキャラとして設定「豊臣兄弟!」のチーフプロデューサー松川博敬氏によると、慶や与一郎については情報量が少な過ぎるので、ドラマでは「正妻の慈雲院殿と別妻の摂取院光秀という2人がいた」という史実の上で、オリジナルキャラクターを設定。
「秀長と慈雲院殿の間に与一郎という嫡男がいた」ことに基づいて、ストーリーを練ったそうです。
モラハラ化した祖父の元で育てられつつも、与一郎が優しい子に育ったのは、きっと祖母・絹が愛情を注いでいたということでしょう。
ちなみに、幼い頃の与一郎を演じた高木波瑠くんは、大河『べらぼう』で蔦重の幼少期を演じた子役さんだったのも感慨深かったですね。(『光る君へ』では、一条天皇の幼少期)
そして、いきなり成長した姿を見せてくれた与一郎を演じているのは大西利空さんですが、大河『どうする家康』のときは、妖艶な森乱を演じていました。
同じ役者さんが、また別の役で魅せてくれるのも、大河ドラマの面白いところです。
宝物の「草履」で兄弟喧嘩を仲裁した与一郎立派な若武者となった与一郎。
本能寺の変後、長浜城に「明智光秀が向かってくるから逃げろ!」と伝えに来た、寧々(浜辺美波)の妹の夫・浅野長吉(大地伸永)の言葉には従わず、「父上の元に行きたい」と申し出ます。
「こんな時に」という母・慶に対し、「こんな時だからこそ、父上の力になりとうございます。」……与一郎、大人になっていて感慨深い。小一郎がこの場面を見たら絶対に泣いちゃうでしょう。
家族と逃げず、父の元に馳せ参じた与一郎が、大喧嘩の真っ最中だった小一郎と秀吉の仲裁に入り取り出したのは、以前、兄弟が信長にもらった「草履」でした。
たぶん、長吉から本能寺の変の知らせを聞いた慶は、信長の死によって、「兄弟がかなり大きな衝撃を受けるであろう」と想像したのではないでしょうか。
「今こそ、上様にもらったこの草履を見て、初心に戻って兄弟の絆を強くしなさい!」という思いを込めて、息子に持たせたような気がします。
上様からもらった「草履」を見て、新たな決意を固めた兄弟。(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)
「山崎の戦い」が初陣となるが…次回7月26日(日) 、第29回『天下への道』。
公式サイトでは「秀吉は、山崎において明智軍と対峙、与一郎は初陣を果たす」とあります。
予告では、与一郎は敵方の矢に射抜かれ倒れています。
史実では、与一郎は天正10年に亡くなったので、ドラマでは、本能寺の変を引き金に起こった「山崎の戦い」で命を落としてしまうのでしょうか。
山崎の戦いでは、織田信孝は中国方面から急いで引き返してきた秀吉と合流し、明智光秀を打つのですが。実際には主導権を握っていたのは秀吉だったと伝わります。
成長した姿を見せたばかりの与一郎。(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より)
最後に…前回、登場シーンは短かったものの、慶の聡明さと小一郎の思慮深さを併せ持った好青年の与一郎。
「史実の与一郎」は情報量が少なく、人物像の輪郭もぼんやりとしていてよく見えてきません。一方「ドラマの与一郎」は、実子ではないものの、父・小一郎の役に立ちたいと志願し、初陣を迎えるしっかり者の長男として描かれています。
この与一郎がこれから迎える運命が、どのように小一郎・慶夫婦や羽柴家に、そして「豊臣家の後継」に影響を及ぼしていくのか。見守りたいと思います。
参考:
「羽柴秀吉とその一族 秀吉の出自から秀長の家族まで」黒田 基樹
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