自転車を持つだけで税金? 昭和まで続いた「自転車税」の意外な歴史と脱税が横行した理由
自転車はぜいたく品
かつて日本では、自転車を持つだけで税金を払わなければなりませんでした。
この自転車税は明治期に国税・府県税として課税が始まったもの。自転車に「自転車鑑札」というナンバープレートがつけられ、税率は市町村ごとに決めていたそうです。
昭和二十五年に地方税法が制定されて地方税の内容が整理されると、自転車税は一台につき年 200 円として標準税率が設定されます。
さらに昭和二十九年には自転車税と荷車税が統合されて自転車荷車税となり、昭和三十三 年に廃止されました。
明治時代に制度化され、長い間続いた自転車税。それだけ当時は自転車が特別な存在だったのでしょう。
自転車は今のような日用品ではなく、所有そのものがステータスだったのです。
実際、明治二十五年の税額は国税三円、地方税もほぼ同額で合計六円ほど。これは当時の物価から見ても軽い負担ではなく、自転車所有者は“裕福な層”と見なされていました。
明治二十九年に国税部分は廃止され地方税となりましたが、負担はほぼ変わりません。さらに大正八年には三円以上の納税者に選挙権が与えられ、自転車税を払うことが政治参加の条件の一つにもなっていたのです。
大正後期から昭和初期にかけて自転車が普及すると、税額は徐々に引き上げられ、地方によっては十円に達した地域もありました。
当時は一流企業の初任給が七十円ほどでした。それで十円の税は重く、負担感は相当なものだったことでしょう。
不満と財政この自転車税へ不満を持つ層が黙っているはずもありません。自転車が一般家庭にも広がるにつれ、この税の負担は社会問題となっていきました。
特に税額が高い地域では廃税運動が起こり、新聞でも議論が巻き起こります。
しかし時代は戦争へ向かい、地方財政は慢性的な不足に悩まされていました。自転車税は自治体にとって大きな収入源で、簡単に手放せるものではありません。
そのため制度への不満が高まっても廃止には至らず、むしろ徴収の強化が進められました。
自転車には鑑札と呼ばれる小さなプレートを付ける義務があり、現在のナンバープレートのような役割を果たしていました。
ただし、税金を払っていなくても自転車に乗れなくなるわけではなく、取り締まりも十分とは言えません。
このユルさが、後に大規模な脱税を生む土壌となっていきます。
広がる抜け道さてその脱税方法ですが、とても簡単なものでした。要は「申告しなければいい」のです。
自転車税は、所有者が自ら役所に届け出る申告制でした。未申告でも実質的な不利益は少なく、鑑札を付けていなくても走行自体は可能だったのです。
このため、自転車の普及とともに「申告しないだけ」という非常に簡単な脱税が急増しました。
取り締まり記録によると、個人だけでなく会社単位での脱税も多かったとされています。
当時の企業は社員の移動手段として多数の自転車を保有していましたが、まとめて申告をせず、鑑札を付けないまま使用するケースが目立ちました。
組織ぐるみの脱税は珍しくなく、自治体は取り締まりに苦労したようです。
制度のこのような抜け道が広く知られていたため、脱税は社会全体に広がり、自転車税の信頼性は大きく揺らぎました。
こうした状況を背景に、戦後の税制改革の中で自転車税は廃止されます。今では想像しにくい制度ですが、当時の社会や財政事情を映し出す興味深い歴史です。
自転車税の歩みは、税制度が社会の変化とともに姿を変えることを示す好例と言えるでしょう。
参考資料:
大村大次郎『脱税の日本史』宝島社、2024年
画像:PhotoAC
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