あの装飾は「炎」ではない?縄文時代の国宝・火焔型土器、5000年前の人々が刻んだ謎とデザインの秘密

Japaaan

あの装飾は「炎」ではない?縄文時代の国宝・火焔型土器、5000年前の人々が刻んだ謎とデザインの秘密

縄文土器と聞くと、多くの人が思い浮かべるのが、燃え上がる炎のような装飾を持つ「火焔型土器」ではないでしょうか。

教科書や博物館でもおなじみのその姿は、まさに縄文文化のシンボル。一度見たら忘れられない圧倒的な存在感があります。

ところで、あの炎のような形は、本当に「炎」なのでしょうか。そして、なぜ縄文人は、あれほど複雑な土器を作ったのでしょうか。

その謎を、「国宝 火焔型土器」から探ってみましょう。

※合わせて読みたい!:

鋭すぎる縄文人の美意識──遮光器土偶のルーツを探ると見えてくる縄文の祈りの形

犬は7000年前から“家族”!老犬も見捨てない…縄文人の犬への愛情が想像以上に深かった

縄文文化はなぜ“東高西低”だったのか?西日本を襲った「巨大噴火」と「森の植生」の違い

火焔型土器はどこで生まれた?

火焔型土器が作られたのは、約5000年前の縄文時代中期。現在の新潟県 信濃川流域を中心とした限られた地域だけで見られる、極めて地域色の強い土器です。

1936(昭和11)年、長岡市の馬高遺跡で、ひとつの不思議な土器が発見されました。その燃え上がる炎を思わせる口縁部の造形から、考古学者によって「火焔土器」と名付けられました。

その後、信濃川流域の各地で同じ特徴を持つ土器が次々と見つかり、現在では、この仲間全体を「火焔型土器」と呼ぶようになりました。

「火焔型土器」国宝指定番号1 出典:Wikimedia Commons

「国宝 火焔型土器」は、十日町市の笹山遺跡から出土しました。笹山遺跡は約1000年間存続した大きなムラの跡と考えられ、炉跡112基のほか、配石、土抗、埋がめなどが発見されました。そしてここから出土した14点の火焔型土器を含む、土器57点が国宝に指定されたのです。

あの「炎」は、本当に炎なの?

実は、「火焔」と名付けられているものの、あの突起が本当に炎を表していると証明されたわけではありません。

もちろん、燃え盛る炎を表しているようにも見えます。しかし研究者の間では、それだけではないさまざまな説が唱えられています。

例えば、4本足の動物を表しているという説。

あるいは、水面を跳ねる魚や、水の流れを表現したという説。

生命力や自然への畏敬の念を形にしたという考え方もあります。

縄文人は文字を残していません。そのため、本当の意味は今も分かっていないのです。5000年前の人々がなにを思ってこの形を生み出したのか。それを自由に想像できる余地があることも、火焔型土器の大きな魅力といえるでしょう。

デザインには細かなルールがあった

自由奔放に作られたように見える火焔型土器ですが、よく観察すると、ある一定の決まりに従って作られていることが分かります。

まず目を引くのが、口縁部に4つ並ぶ大きな突起です。これは鶏のトサカに似ていることから「鶏頭冠(けいとうかん)突起」と呼ばれ、それぞれには小さな尾のような突起が添えられています。

その4つの突起をつなぐように巡るのが、ギザギザした「鋸歯状(きょしじょう)突起」です。

さらに頸部には、目玉のような円形の突起。その周囲にはS字文や渦巻文が隙間なく組み合わされ、土器の下半分には縦方向のラインや渦巻文が巧みに配置されています。

基本となる構成は共通していますが、細部の文様はさまざまです。まるで同じルールの中で、それぞれの作り手が個性を競い合っていたかのようです。

500年かけて磨かれた造形美

火焔型土器が作られた期間は、およそ500年と考えられています。

近年の研究では、その間にデザインが少しずつ変化したことも分かってきました。

最初は比較的シンプルな姿でしたが、時代が進むにつれて装飾が増え、やがて私たちがよく知る豪華な火焔型土器へと発展していきました。

「火焔型土器 」国宝指定番号14 出典:Wikimedia Commons

また、同じ地域では「王冠型土器」と呼ばれる土器も作られました。

こちらは火焔型土器のような鋸歯状突起はなく、口縁部には王冠のような短冊状の突起が並びます。この土器も火焔型土器と同様に、時代とともに形を変えながら発展していきました。

普段使いだった?縄文人が残した「永遠の謎」

土器というものの、これほど派手な装飾を見ると、「本当に使っていたの?」という疑問が湧いてきます。

ところが、火焔型土器の中には、内側に煮炊きによって付いた炭化物、いわゆる「おこげ」が残っているものがあります。

つまり、実際に調理に使われていたことは間違いないようです。

一方、あまりにも手の込んだ装飾から、祭りや儀式など、特別な日に使われた土器だったという説もあります。

火なのか、水なのか、動物なのか。それとも、縄文人が自然に抱いた畏敬の念そのものなのか。

一見すると奇抜で不思議な形。しかし、そのひとつひとつには、地域の文化や人々の知恵、そして受け継がれてきた美意識が凝縮されています。

火焔型土器は、見るたびに新しい発見がある、まさに縄文が残した「永遠の謎」と言えるのではないでしょうか。

※合わせて読みたい!:

鋭すぎる縄文人の美意識──遮光器土偶のルーツを探ると見えてくる縄文の祈りの形

犬は7000年前から“家族”!老犬も見捨てない…縄文人の犬への愛情が想像以上に深かった

縄文文化はなぜ“東高西低”だったのか?西日本を襲った「巨大噴火」と「森の植生」の違い

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「あの装飾は「炎」ではない?縄文時代の国宝・火焔型土器、5000年前の人々が刻んだ謎とデザインの秘密」のページです。デイリーニュースオンラインは、火焔型土器考古学土器縄文人縄文時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る