実はGHQが発端?よく見かける「〇〇ホールディングス」誕生のヤバすぎる裏歴史
財閥の封じ込め
戦前の日本では、財閥が経済の中心に立ち、まるで王族のような生活を送っていました。
しかし敗戦とともに状況は一変します。ご存じの通り、GHQは占領政策の柱として財閥解体を掲げました。
これは多くの財閥系企業が軍需生産に関わっており、富の集中が国民の不満を高めて戦争につながったと判断されたためです。
昭和二十年十一月、GHQは三井・三菱・安田・住友の四大財閥の資産を全面凍結。土地や建物、預金、有価証券などあらゆる財産の処分が禁じられ、生活費の引き出しにも政府の許可が必要でした。
財閥家は経済的に完全に封じ込められたのです。
その後の調査で、日本に存在していた14財閥の合計資産は約16億円、現在の価値で10兆円規模だったと見られています。
それら資産の中心は株券でした。16億円のうち11億円が有価証券だったのです。このことからも、財閥の力はグループ企業の株式支配にあったことがわかります。
富の消失GHQは、財閥家が保有する株式を強制的に市場へ放出させました。形式上は「売却」でしたが、実質的には財閥支配の解体でした。
1946年、財閥の株券差し押さえを行うアメリカ軍(Wikipediaより)
しかし売却代金は財閥家の手には残りません。昭和24年に導入された財産税によってほぼすべてが徴収されたためです。
この、一度だけ課された財産税の最高税率は90%に達し、財閥家のほとんどがこの最高税率の対象となりました。結果として財閥の富は国家に吸収され、経済的基盤は失われました。
さらに、財閥家の人々は解体後の企業で役員に就任することが事実上禁止されました。
また財閥の司令塔だった持ち株会社も「弊害の象徴」とされ、独占禁止法によって禁止されます。
持ち株会社は財閥構造の中心であり、これを禁じることで財閥の再生を防ぐ狙いがあったのです。
こうして戦前の巨大財閥は、制度的にも経済的にも完全に崩壊していきました。
法制の変化さて、GHQによるこうした持ち株会社禁止は、占領終了後も長く続きました。財閥の再結集を防ぐため、戦後の日本では持ち株会社という形態そのものが封じられていたのです。
しかし経済環境の変化とともに規制は見直され、平成九年にようやく持ち株会社が解禁されました。
これをきっかけに、多くの企業がグループ再編の手段として持ち株会社方式を採用し、現在の〇〇ホールディングスという企業名が一般化していきます。
つまり、現代の〇〇ホールディングス企業は、戦後の財閥解体における厳しい規制と、その後の解禁という流れによって生まれた存在なのです。
振り返れば、GHQの占領政策は財閥を解体しただけでなく、日本の企業構造そのものを大きく変えたと言えます。
皆さんも「〇〇ホールディングス」と聞けば、何かひとつくらいは身近な大企業の名前が思い浮かぶことでしょう。それが実は、戦前の財閥の台頭から戦後のGHQによる財閥解体、そしてその再編という長い歴史の延長線上にあったのです。
参考資料:
大村大次郎『脱税の日本史』宝島社、2024年
画像:Wikipedia,PhotoAC
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