南北朝の異端児!「ばさら大名」佐々木道誉とは──派手なパフォーマンスで権力を制した知略と実像【前編】 (2/2ページ)
こうした振る舞いこそが、道誉が「ばさら大名」と呼ばれる理由でした。 策略に長けた武将
派手な人物として語られることの多い道誉ですが、政治や軍事の世界では非常にしたたかな人物でもありました。
1335年から1336年にかけて起きた建武の乱では、足利尊氏の側に属して戦います。しかし一時は新田義貞に降伏し、その後、箱根・竹ノ下の戦いで再び足利方に戻ります。
軍記物『太平記』では、この離反と再合流が新田軍の崩壊を招き、尊氏軍の勝利につながった知略として描かれています。
また青野原の戦いでは、兵を川を背にして布陣する「背水の陣」を用いたと伝えられています。これは中国史に由来する戦法として知られていますが、日本での実例として語られることもあります。ただし、この点は軍記物に基づく伝承であり、確実な史実とは断定されていません。
それでも、道誉が戦術と政治の両面で優れた能力を持っていたことは、多くの史料からうかがえます。
参考文献
佐々木哲『佐々木六角氏の系譜』 (2006 思文閣出版) 林屋辰三郎『佐々木道誉―南北朝の内乱と「ばさら」の美』(1995 平凡社) 森茂暁『佐々木導誉』 (1994 吉川弘文館) 渡辺守順『京極道誉―バサラ大名の生涯』(1994 新人物往来社)日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan