『豊臣兄弟!』互いに譲れぬ覚悟!秀吉とお市の板挟みで苦悩する小一郎を描いた第31回放送を振り返り
『豊臣兄弟!』お市の秀吉への抵抗は史実?清須会議破棄の知られざる真相
『豊臣兄弟!』互いに譲れぬ「覚悟」秀吉とお市の板挟みで苦悩する小一郎を描いた第31回放送を振り返り!
清須会議で重臣たちを出し抜き、天下人然と振る舞う羽柴秀吉(池松壮亮)。その野望を阻止するため、柴田勝家(山口馬木也)と結婚したお市(宮崎あおい)は、諸大名と連携しつつ羽柴兄弟の行く手を阻みます。
そんな中、小一郎(仲野太賀)は秀吉の野心とお市の誇り、双方の譲れぬ覚悟の板挟みとして苦しむ様子が描かれていました。
最早避けられぬ両者の対決、既に趨勢は秀吉へ傾きつつあるようですが、果たして小一郎は悲劇を止められるのでしょうか。
という第31回放送「これで、お別れにございます」今週も気になるトピックを振り返りたいと思います。
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信長の百箇日法要を営むお市と勝家たち。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
6月27日 清須会議 8月20日 お市と柴田勝家が結婚 9月11日ごろ お市と勝家が信長の百箇日法要 10月11~15日 秀吉が大徳寺で信長の葬儀 10月16日 柴田勝家が秀吉の専横を非難 10月中 秀吉が清須会議の決定を破棄今週は清須会議からおよそ4ヶ月間の出来事が描かれていました。亡き信長(小栗旬)の志を継ぐのは、果たして秀吉か、それともお市か。
ほとんどの戦国ファンが結果を知っている場面なので、いかに視聴者の胸を打つかが今後の見どころとなってくるでしょう。
ちなみにこの間、秀吉・勝家のみならず、諸大名がどちら(あるいはどこ)につくかを模索していたことは言うまでもありません。
信長という強大なカリスマ亡き後、再び天下が戦国乱世に逆戻りする可能性もあった訳で、どの勢力にとっても難しいかじ取りが迫られたようです。
勝家と結婚したお市の覚悟
勝家とお市。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
「兄上の志は、私が継ぐ」
増長する羽柴兄弟と対抗する力を持つため、お市は勝家との結婚を選択しました。他の宿老たち(丹羽長秀・池田恒興)は秀吉の息がかかっており、勝家一派(前田利家・佐々成政)を除けば、秀吉に対抗できる力を持っていなかったからです。
名目上は織田家臣である秀吉に対抗するために他の勢力(毛利輝元・上杉景勝など)と連携するのはさすがに本末転倒ですから、やはり勝家がほぼ唯一の選択肢だったと言えます。
もう後がないお市は、言わば織田家と添い遂げるために、勝家を後ろ盾に選んだのでした。
お市を結婚させた秀吉の覚悟
お市ごと勝家を滅ぼす気満々の秀吉。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
清須会議で勝家とお市の縁談を提案した秀吉の目的は、お市を通じた勝家の篭絡、そして隙を見せた勝家の討滅に他なりません。
小一郎はともかく、秀吉は既にお市を勝家攻略の道具と見なし、最後はお市ともども滅ぼす覚悟を固めていたのでした。
実際の秀吉がそこまで読んでお市との縁談を勧めたかはわかりませんが、清須会議の時点ですでに勝家を討つことは視野に入れていたことでしょう。
名前で初登場!千宗易とは?
今井宗久と小一郎。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
大徳寺の法要が実現できたのは、千宗易(吉岡秀隆)が口利きしてくれたお陰。そんなことを今井宗久(和田正人)が言っていました。
ご存じ茶人としてその名を知らぬ者はない千利休(せんの りきゅう)を指しますが、この時点でも小一郎はその存在を知らなかった設定になっています。が、実際にはそんなことはありません。
千宗易は永禄12年(1569年)ごろに今井宗久や津田宗及(マギー)ら堺の豪商と共に信長の茶頭(茶の湯師範)として召し抱えられ、茶の湯を嗜むなら知らない者はいない存在となっていました。
独自に茶会を開く許可を与えられていた秀吉の弟である小一郎が、千宗易の名すら知らないというのは、いささか不自然です。
また秀吉は天正10年(1582年)8月に千宗易を訪ねて茶室を作るよう命じ、翌年3月に待庵(たいあん。妙喜庵)を作り上げました。次回当たりお披露目されるのでしょうか。
滝川一益は刺客を放ったのか?
秀吉の暗殺に失敗した一益と信孝。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
大徳寺で秀吉を暗殺するべく、刺客を放った滝川一益(猪塚健太)ですが、秀吉に寝返ってしまった刺客たちに憤慨する場面が描かれていました。
今回の「滝川一益が秀吉の暗殺を謀った」というエピソードを裏づける史料や記録は、現在のところ確認されていないようです。
当時の一益は、関東戦線での敗退と徳川家康(松下洸平)による甲斐・信濃奪取により勢力を大きく損なわれてしまいました。
信長の最も信頼できる有能な重臣として、敵中(実際の敵はもちろん、従えている者たちも信用できない状態)に放り込まれた一益は、本能寺の変(信長の死)によって一番の貧乏くじを引かされた形になっています。
所領の伊勢国へ逃げ帰った一益は失陥した所領の再分配を求めますが、その要求は通りませんでした。一益は秀吉を恨み、賤ヶ岳の合戦では勝家に与することになったのです。
「これで、お別れにございます」
信長の後継者(内心)として、敦盛を舞う秀吉。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
信長の霊前で幸若舞「敦盛」を舞い、家宝にしていた草鞋を奉納した秀吉は、信長との別れすなわち織田家を滅ぼす覚悟も固めたのでした。
すでに少なからぬ織田家臣たちを調略しており、丹羽長秀(池田鉄洋)や池田恒興(堀井新太)らも既に秀吉へ屈服している様子が描かれています。
当然、劇中で秀吉が言及していた「新しき世、面白き世」などという綺麗ごとで心服させたのではなく、アメとムチ(利権と脅迫)をもって従わせていったのでしょう。
実在した小一郎がその際にどれほど関与したのかはわかりませんが、秀吉の補佐役として、多大な貢献を果たしたことが考えられます。
破棄された清須会議
小一郎とお市の決別。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
劇中でも描写された通り、織田信孝(結木滉星)は三法師(清水伊織)を岐阜城に留め置いて放さなかったため、秀吉はこれを「謀叛」として清須会議を破棄しました。
そして丹羽長秀・池田恒興と共に織田信雄(山脇辰哉)を新たな織田家当主として担ぎ上げ、信孝そして背後にいる勝家らと対立したのです。
これはもちろん?「神輿は軽い方がいい(担ぎ上げる者は頭の軽い方が好都合)」というもので、用済みとなればお払い箱にされるのは言うまでもありません。
前回は三法師の拉致疑惑がかかっていた信雄ですが、そんなことにお構いなく担ぎ上げた秀吉の非情さが描かれていました。
第32回放送「賤ヶ岳(しずがたけ)の決闘」
第32回放送「賤ヶ岳(しずがたけ)の決闘」……決闘?決戦じゃなくて?NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
信雄(山脇辰哉)を味方につけた秀吉(池松壮亮)は信孝(結木滉星)との戦に圧勝、三法師(清水伊織)を奪還する。勝家(山口馬木也)が雪解けを待ちつつ秀吉との戦の準備を進める中、利家(大東駿介)のもとを、思わぬ人物が訪ねてくる。やがて春が訪れ、羽柴・柴田両軍は賤ケ岳で対峙。にらみあいが続く中、信孝が岐阜で再び挙兵したという知らせが! 秀吉は小一郎(仲野太賀)に後を任せ、岐阜へ向かうが・・・
※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
かくして織田家を守るために「生きる力」を取り戻したお市は、勝家と共に秀吉との決戦に臨みます。
サブタイトルは「賤ヶ岳の決闘」。こういう場合は決戦と書くのが一般的だと思いますが、誰かが一対一で決闘でもするのでしょうか。もしかして、小一郎とお市が?まさか……ねぇ?
果たして賤ヶ岳の合戦では、どのような激闘が演じられるのでしょうか。
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