【豊臣兄弟!】三法師には弟が!キリシタンとなり豊臣家滅亡を見届けた織田信忠の次男・織田秀則の生涯
本能寺の変で落命した織田信忠(小関裕太)の嫡男として生まれ、羽柴秀吉(池松壮亮)に担ぎ上げられた三法師(織田秀信)。その後も秀吉の野望に翻弄され続けた三法師には異母弟がいました。
今回はそんな織田秀則(おだ ひでのり)を紹介。果たしてどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。
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織田秀則は天正9年(1581年)に信忠の次男として誕生しました。幼名は吉丸(きちまる)、生母については詳しくわかっていません。
※吉丸の吉は祖父・信長の幼名「吉法師」からもらったのではないでしょうか。
本能寺の変が起こった天正10年(1582年)時点でまだ2歳の幼児ですから、恐らく異母兄の三法師とともに保護されていたのでしょう。
やがて元服して通称を左衛門尉(さえもんのじょう)と名乗りました。諱は秀則のほか織田秀利(ひでとし)とする史料もあります。
後に従四位下(じゅしいのげ)・侍従(じじゅう)に叙せられ、そのため御吉侍従ともあだ名されていたそうです。
ちなみに織田家とゆかりの深い津田家を継いで津田忠信(つだ ただのぶ)と称した説もありますが、全くの別人説もあって定かではありません。
ともあれ秀吉に仕えて大坂(大阪府大阪市)に住み、秀吉の計らいで羽柴秀勝(秀吉の姉ともの次男で養子。小吉秀勝)の娘を妻に迎えます。
秀吉としては、織田家の男児を他家に担がれないよう、抱え込んでおきたかったのでしょう。
秀則と彼女の間には一人娘(小笠原因幡守側室)が生まれています。
キリシタン「パウロ」となる
やがて思うところあったのか、秀則は慶長元年(1596年)ごろに洗礼を受けてキリシタンとなりました。洗礼名をパウロと言い、同時期に兄の秀信も洗礼を受けています。
宣教師ルイス・フロイス(フェルナンデス直行)は秀則に対して「素性を知らずに彼と少し話した場合、その品格によりドイツの貴族と判断してしまう」と評しました。
ドイツ貴族がいかなるものかは詳しくわかりませんが、恐らく秀則は気品と威厳を兼ね備えた人物だったのでしょう(ドイツに対するイメージ)。
ただしフロイスはキリスト教に入信するなど好意的な≒自分たちに都合のよい人物をベタ褒めする一方、棄教した人物をボロッカスにこき下ろす傾向が見られます。
そのため、いくらかのリップサービスが含まれている可能性は否定できません。
かくしてキリシタンとなった秀則ですが、完全に仏教と絶縁する原理主義者ではなく、慶長3年(1598年)に見性院(けんしょういん)を創建しました。
見性院は父・信忠が亡くなった京都妙心寺の塔頭であり、桂春院(けいしゅんいん)として今日まで現存しています。
関ヶ原では西軍に与する
慶長3年(1598年)に秀吉が世を去り、豊臣政権が東西に二分されると、秀則は兄の秀信と共に石田三成(松本怜生)率いる西軍に与しました。
そして慶長5年(1600年)に関ヶ原の合戦が始まると、兄の居城である岐阜城に立て籠もり、東軍を迎え撃ちます。
『江源武鑑(こうげんぶかん)』によると秀則(織田左衛門)は織田兵部(ひょうぶ)や津田藤右衛門(とうえもん)らと共に武勲を立てたそうです。
しかき本書は偽作の可能性が指摘されており、また他の史料に記録がないため、確かなことかはわかりません。
ともあれ奮戦むなしく徳川家康(松下洸平)率いる東軍に敗れ去った秀信と秀則兄弟は、刃向かった罰として改易(所領を全没収)されてしまいました。
行く先もないので秀則は豊臣家を頼って大坂へ舞い戻ます。旧主の血筋ということで、いくばくかの俸禄に与っていたのでしょう。
豊臣家の滅亡を見届ける
しかし慶長19年(1614年)に大坂の陣(冬の陣)が勃発し、翌慶長20年(1615年)に豊臣家が滅ぼされてしまいました(大坂夏の陣)。
秀則は追手を逃れて京都へ移り住み、出家して宗爾(そうじ)と号します。
異説として津田信益(のぶます)と改名したとも言われますが、別人の可能性もありハッキリしません。
晩年は京都で静かに暮らし、寛永2年(1625年)10月27日に45歳で世を去りました。戒名は拾松院英厳雄公(じゅうしょういん えいげんゆうこう)とのことです。
織田秀則・基本データ 生没:天正9年(1581年)生~寛永2年(1625年)10月27日没(45歳) 両親:織田信忠/生母不詳 兄弟:織田秀信(三法師、異母兄) 改名:吉丸→秀則→宗爾(出家)→英厳(戒名) 別名:織田秀利、津田忠信、津田信益(諸説あり) 霊名:パウロ 通称:左衛門尉、御吉侍従 官位:従四位下、侍従 主君:羽柴秀吉→織田秀信→豊臣秀頼 終わりに今回は織田信忠の次男で三法師(織田秀信)の弟である織田秀則について、その生涯をたどってきました。
兄と共に織田政権の再興を夢見ながら豊臣政権に呑み込まれ、その豊臣政権もまた徳川政権に滅ぼされる世の無常を痛感させられたことでしょう。
果たして大河ドラマ「豊臣兄弟!」には織田秀則が登場するのか、多分割愛されると思いますが、画面のどこかにはいるかもしれませんね。
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結城了悟『キリシタンになった大名』聖母文庫、2004年5月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

