朝ドラ『風、薫る』りんの「手」が佳枝(相田翔子)の心を解く…史実に残る“最善を尽くす”派出看護婦の心得とは

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朝ドラ『風、薫る』りんの「手」が佳枝(相田翔子)の心を解く…史実に残る“最善を尽くす”派出看護婦の心得とは

新潟で黒川医師(平埜生成)らとともに、赤痢が発生した村の避病院での防疫活動を終えた後、1年間、黒川病院で看護婦として働きつつ看護婦を育成する役目も請け負った一ノ瀬りん(見上愛)。

1年が経ち役目を終え、東京に戻って大家直美(上坂樹里)が立ち上げた派出看護婦の会『恵風看護婦会』を手伝うことになりました。

看護養成所、帝都医科大附属病院とずっと一緒のコンビだったので、やはり二人揃って看護婦として活躍する姿を見ると、なんだかホッとします。

直美は、裕福な家庭から看護料をもらい、貧しい人には無料で看護を提供するポリシーで「恵風看護婦会」を運営。

そのため、裕福な依頼人を増やすことも大切なので、りんを会の看板看護婦にすると伝えます。

人の家庭の中に入る派出看護婦は、「身元の確かな人を」と望む依頼人にとっては、りんの元後家老の娘という出自は重要だということでした。

りんは、帝都医科大附属病院の木村文平医師(前野朋哉)の紹介で、在宅看護を望む、男爵夫人の宮川佳枝(相田翔子)の担当を受け受けることに。

大学病院とは異なり、常勤の医師がいるわけではなく、医療機器があるわけでもない、一般家庭に出向いて看護を行う派出看護婦はどのようなことを行っていたのでしょうか。

ドラマの場面と、りんのモデルとされる大関和の著作に書かれた派出看護の方法や心得などと合わせてご紹介しましょう。

※ドラマの明治時代に合わせ、現代の「看護師」ではなく当時の「看護婦」という表記を用いています。

お金のない家庭からは料金を取らず、派出看護に奮闘する直美(NHK「風、薫る」公式「X」より )

明治初期に東京と京都の養成所が始めた派出看護婦

ドラマの中で、直美はりんを手助けに行った赤痢患者を入院させる避病院で東京から来た患者・柳生藤次(中村倫也)と出会います。

柳生は、内務省衛生局の役人でした。自身も感染してしまうなか、直美の的確な指示や物おじしない行動力に感銘を受けたのか新潟での事例の報告書を上にあげてくれ、「お上のお墨付き」となった『恵風看護婦会』。

これで、裕福な家庭の利用者が増えて利益がでれば、その分を無料で看護する貧しい人々への経費に回せます。

実際、明治18年(1885)に設立された『有志共立東京病院看護婦教育所』が改称し『東京慈恵医院看護婦教育所』となり、明治20年(1887)には、正式に教育を受けた看護婦による派出看護を実施しはじめました。

また、同志社の創立者・新島襄が日本初の看護婦養成機関として創設した『京都看病府学校』でも、ナイチンゲールのもとで近代看護を学んだ指導者リンダ・A・リチャーズが、訪問看護(当時は、巡回看護)の先駆け的な指導をしていたそうです。

京都看病婦学校 wiki

裕福な人から看護料をもらい貧乏な人は無料

大家直美のモデルである鈴木雅が、東京の本郷にて民間の『慈善看護婦会』(のちの東京看護婦会)を創設したのは明治24年(1892)。

派出看護会を立ち上げて、ドラマの中で描かれているように看護婦を派出する仕事を行い、明治29年(1896)には『東京看護婦講習所』を開いて派出看護婦の養成も行いました。

ドラマの中での直美は、以前から「金持ちしか病院にかかれない」「貧乏人は医者にも診てもらうお金がない」という現場に何度も遭遇しています。

そんな辛い経験が、彼女の中の「自分の看護を家庭に届けたい」という思いをふくらせませていったのでしょう。

直美が立ち上げた「恵風看護婦会」の名前は、父親代わりでもある吉江善作牧師(原田泰造)が名付けました。

恵風とは、「万物を成長させるめぐみの風」という意味。

「風、薫る」というドラマの名前にもリンクしますし、「貧しい人々に『看護の手』を届ける」という会の趣旨にもピッタリな、温かみと希望を感じる名前だと思います。

「温かい手」で患者を癒す

さて、りんが向かった宮川家は、お手伝いさんもいるし西洋式の調度品も揃い、シャンデリアや燭台も飾られている明治時代のハイカラで裕福な男爵家という雰囲気でした。

そして佳枝は「Rheumatismus(独:ロイマチス)」、今でいうリウマチを患っていました。

さっそく、りんが佳枝に今日の病状のヒアリングをすると「今日も昨日もよくないわ……明日も明後日も…」と寂しそうに、諦めたようにつぶやきます。

「体の一部が痛い状態が続く辛さ」や、「毎日痛みを我慢する人を見守る辛さ」を経験している身としては、この佳枝の言葉は胸に刺さりました。

毎日毎日痛みに苦しめられ一生治らない人生より、痛みが消え健康体になれるなら、貧乏長屋暮らしの人生になりたい……と、思うのではないかなと勝手に想像して切ないものを感じました。

佳枝にとっては、「頑張れ」とか「きっと治るよ」などのポジティブな言葉は辛いだけでしょう。

問診しながら、りんがもらした「お辛いですね」の一言は、胸に温かいものが沁みたのではないでしょうか。

直らないけれども、そばに寄り添い苦しさを訴えられる存在がいるのは心強いと思います。

痛みを和らげるため、両手をお湯で温めて優しく拭いてくれたりんの「手」を「あなたの手は温かい」いう佳枝は、少し気持ちが和らいだのでしょう。

改めて、バーンズ先生(エマ・ハワード)が、看護婦見習いたちに告げた「あなたたちの『手』はたくさんの人を救う『手』」という言葉が蘇ります。

少し痛みが和らいだのか微笑みが浮かぶ宮川佳枝(NHK「風、薫る」公式「X」より

どんな時もいかなる時も「最善を尽くす」

実際、大関和の著作物『派出看護婦心得』初版明治32年刊行)、『実地看護法』( 初版1908明治41年)には、実に事細かに看護の方法などが記されています。

『実地看護法』のほうは、さまざまな病状の看護方法から食事や病室の換気や清潔方法などが記されているとともに、「患者に接するときは慈愛と忍耐を持つこと」というような心のあり方まで書かれています。

さらに、看病のために病室に赴くことは「軍人の戦場」と同じとして、仮眠をとる、病室では飲食は禁止、自分たちも清潔に努める……なども記されています。

大関和 著『実地看護法』,新友館,大正15. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/921870 (参照 2026-08-19)

現代のように、患者の様子やデータをPCで管理したり便利で衛生的な看護用品があったりしても大変な仕事なのに、いかに大変な仕事だったかを感じます。

『派出看護婦心得』のほうも、患者宅に向かう看護婦の心得や、患者宅での部屋・衣服・便所の消毒や、流動食の調理法などを詳しく記載。

もちろん、電子レンジなどはない時代。蒸す・煮るなどの流動食のメニュー(しかも洋食も)が具体的に書いてあるのも驚きでした。

大関和 著『派出看護婦心得』,看護婦会,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/935171 (参照 2026-08-19)

そして、最後の項目『市立病院派出看護婦の心得』

「どこにあっても如何なる場合に於いても最善をなす可き事」

最後の一行に、ドラマでの過去の場面が蘇って、静かに胸がじんとする思いでした。

手術前夜、眠れない和泉千佳子侯爵夫人(仲間由紀恵)に一晩付き添ったこと、かつて暮らした長屋の大家さんの病状が急変して最期まで看取った夜、心中事件で担ぎ込まれた女郎の夕凪(村上穂乃佳)を守ったこと、

そして、自らも恐怖にさらされながらも、赤痢の感染が広がった村の避病院での防疫活動の大奮闘……

そんな、大変な場でも「最善をなす可き事」と肝に銘じて活動した人々がいたのかと思うと、短い一行ながら心に残る言葉だと思いました。

大関和 著『派出看護婦心得』,看護婦会,大正8. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/935171 (参照 2026-08-19)

戦争によって変化していく「看護婦」への評価

鈴木雅が「慈善看護婦会」を設立した明治24年頃も、まだトレインドナースの存在や「看護」という認識は不足していました。

けれども、日清戦争(※)をきっかけに、はじめて日赤の看護婦が陸海軍の病院に招集されて活躍をしたことが世間に知られ、看護婦に対する認識はガラッと変わっていったといわれています。

※日清戦争:明治27年(1894)7月25日〜明治28年(1895)4月17日にかけて、日本と清国の間で勃発した戦争

ドラマでは、りんとシマケン(佐野晶哉)の距離が近づいたり(また離れ離れになりそうではありますが)、「恵風看護婦会」も順調に経営ができたり、直美が小川吾郎(甲斐翔真)と結婚したり、しのぶ(木越明)がおめでただったりと、日常でさまざまなことが起こっています。

「恵風看護婦会」を立ち上げてから1年以上は経過しているので、今は明治25〜6年くらいのことでしょうか。日清戦争まではすでにあと1年ほどです。

それぞれの日常生活が激変していくのでしょうか。暗雲が待ち受けるようで胸騒ぎがしますが、この先を見守りたいと思います。

参考:
・慈恵大学「東京慈恵医科大学130年 歴史」
・環境再生保全機構 大関和に学ぶ看護師誕生の歴史
・大関和 著『派出看護婦心得』
・大関和 著『実地看護法』

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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