『豊臣兄弟!』千利休(吉岡秀隆)が登場!国宝茶室「待庵」わずか二畳に凝縮された“わび茶”の美学
器をしげしげと見つめながら、「前よりずっとええわな」とつぶやく男。
そうです、みなさん。『豊臣兄弟!』に、千利休がやっと登場しました。
『豊臣兄弟!』第32回「賤ヶ岳の決闘」の最後に流れた、第33回「北庄城の別れ」の予告場面です。
前回は「千利休はいかにして侘び茶を大成したのか」と題して、茶の湯の歴史について紐解きました。↓
『豊臣兄弟!』千利休(吉岡秀隆)ついに登場!なぜ信長や秀吉は「茶の湯」にここまで傾倒したのか?本稿では、利休がつくったとされる茶室のうち、唯一現存する貴重な茶室「待庵」を紹介しましょう。
ついに姿を現した千利休 NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
千利休がつくったと伝わる国宝「待庵」日本には数えきれないほど多くの茶室がありますが、国宝に指定されている茶室は、わずか三つしかありません。
それは、「密庵」(京都府・大徳寺龍光院)、「如庵」(岐阜県・犬山城下有楽苑)、そして「待庵」(京都府・大山崎妙喜庵)で、国宝茶席三名席とも呼ばれています。
このうち「待庵」は、千利休がつくったと伝わる貴重な茶室なのです。
『豊臣兄弟!』第29回「天下への道」を思い出してください。
本能寺の変を知った羽柴秀吉(池松壮亮)は、急ぎ毛利家と講和し、「中国大返し」の末に京都盆地の南西端、大阪府との府県境に位置する大山崎へ帰ってきます。
ここで秀吉軍は、織田信長(小栗旬)を討った明智光秀(要潤)と激突します。世にいう「山崎の戦い」です。
戦いは、兵数で圧倒する秀吉軍が光秀軍を圧倒。敗れた光秀は、居城の一つである坂本城を目指して脱出しますが、先回りした秀吉の手勢に襲われ、命を落とすことになります。
そしてドラマでは、捕らえられた光秀が連れてこられたのが、秀吉が茶を点てている茶室でした。ここで光秀は最期を迎えたと思われるのです。ただし、これはあくまでドラマの演出です。
光秀と秀吉 NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
この茶室について、劇中では詳しく触れられていませんでしたが、室内に仏像が置かれていたことから、おそらくは大山崎のどこかの寺院の一室と思われます。
もしかしたら、山崎の戦いの際に秀吉が本陣を置いた宝積寺なのかもしれませんが、これは推測するしかないでしょう。
この後、秀吉は大坂城を築くまでの間、天下の趨勢(すうせい)を見極めるためか、天王山に山崎城を築き、ここを居城としました。
大山崎に滞在していた秀吉は、利休を呼び寄せると茶室を建てさせました。これが「待庵」とされるのですが、実は史学的には、本当に利休によるものだと断定できる確証はありません。
しかし、1606年(慶長11年)の図絵を見ると、現在の妙喜庵の場所に茶室があり、その近くには利休の屋敷が描かれています。
また、「待庵」には利休好みとされる意匠が随所に組み込まれていることから、利休作である可能性が高いと考えられているのです。
わずか二畳。「待庵」に凝縮された利休の美意識「待庵」は、妙喜庵という寺院のなかにあります。同寺は山号を「豊興山」といい、「妙喜禅庵」とも称する臨済宗東福寺派の寺院です。
妙喜庵の寺号は、宋の大慧禅師の庵号からつけられたもので、連歌の祖である山崎宗鑑が住んでいたとの説もあります。「待庵」は、重要文化財に指定されている書院の南側に接して建っています。
では、ここからは「待庵」の構造を紐解いていきましょう。
まずは屋根です。切妻造り柿葺き(こけらぶき)で、利休好みの草庵茶室らしい素朴な自然さを感じさせます。
続いて、茶室の出入り口である躙口(にじりぐち)。その寸法は、高さ約2.6尺(約79cm)、横幅約2.3尺(約70cm)でここをくぐると、いよいよ茶室のなかです。
躙口は時代が進むと、高さ2尺2寸5分(約68cm)、横幅2尺1寸(約64cm)と、さらに小さくなります。そこから「待庵」の躙口は初期のものと推察され、ここからも同庵が現存最古の茶室遺構であることがうかがえるのです。
そして、しつこいようですが、「待庵」はわずか二畳の広さしかありません。
その内部を見ると正面に床の間、向かって左隅に炉が切られ、点前畳の脇には襖(ふすま)があります。さらに一畳板入りの次の間、そして一畳の勝手間が付いています。
床は天井、脇壁すべてを壁で塗り回した室床(むろとこ)で、天井は場所によって異なる構造になっています。
実は、この天井にも驚くような意匠が込められています。
床前と点前座は平天井、そのほかは掛込天井にして、中央部に高い部分をつくることで圧迫感を解消。わずか二畳の空間でありながら、実際以上の広がりを感じさせる工夫が施されているのです。
また、壁に設けられた下地窓(したじまど)と連子窓(れんじまど)を併用し、室内に効果的なほの暗さと、ほのかな明るさを生み出しています。
この明暗の分布という演出効果が、たった二畳という狭く静かな空間だからこそ生まれる緊張感と精神性を際立たせているのです。
利休の秘伝書とされる『南方録』には、「二畳の小座敷、草庵一向の住まいなるべし」という言葉があります。
この言葉に照らして考えれば、「待庵」こそ利休が目指した茶室の究極の形であると考えてもよいのではないでしょうか。
千利休 NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
わずか二畳という、極限まで削ぎ落とされた空間。しかし、そこには陰と陽、高低差、素材の質感など、利休が追い求めた茶の湯の美意識が見事に凝縮されています。
「待庵」が利休の手によるものかどうかは、今なお断定できません。しかしながら「待庵」は、まさに千利休が追い求めた茶室美学を現代に伝える、かけがえのない遺構といえるのではないでしょうか。
※参考文献
神津朝夫著 『千利休の「わび」とはなにか』 (角川ソフィア文庫)
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
