【風、薫る】バーンズ先生の“6つの種”は生きていた!ツヤとヒデ11年ぶり再会で見せた予想外の姿と伏線回収

Japaaan

【風、薫る】バーンズ先生の“6つの種”は生きていた!ツヤとヒデ11年ぶり再会で見せた予想外の姿と伏線回収

NHK朝の連続テレビ小説、第25週のテーマは『風媒花』(ふうばいか)。
読んで字のごとく、“風の力”で受粉する植物のことです。

昆虫に花粉を運んでもらう『虫媒花』は、鮮やかな色や香りで虫を誘惑しますが、“風”が運ぶ『風媒花』は目立たず地味だそう。

その代わり、花粉は軽く大量に風に乗って運ばれ、たくさんの命を紡いでいきます。

明治時代、「看護」という認識すらなかった社会に、看護婦という職業の偏見や誤解を解き広めるため、地道な努力と苦労を重ねてきた主人公の一ノ瀬りん(見上愛)や小川直美(上坂樹里)のようです。

彼女たちが営む派遣看護婦業『恵風看護婦会』は軌道に乗り、世間の評判も上々。けれども派遣看護業に金儲けの匂いを感じ、看護の知識を持たない女性を派遣するインチキ業者も乱立してしまいます。

りんも直美も、トレインド・ナースの誇りにかけて、そんな現場を放置するわけにはいきません。

「内務省衛生局」の柳生藤次(中村倫也)への陳情に足を運ぶとともに、正しい“看護”の知識を持つ看護婦の育成に乗り出すことに。

そんなとき、以前帝都医大学病院に新設した看護科でりんや直美が授業を担当していたときの「第二の生徒」、ツヤ(東絢香)と土居ヒデ(池田朱那)に再会します。

なんと驚くことに、ツヤは11年間も看護婦の勉強を続け、ヒデは医者になっていました。

ツヤもヒデも、以前りんや直美が“看護の種”を蒔いた二人ですが、枯れることなくちゃんと新芽を出し成長していたようです。

そろそろラストが近づきつつある、このドラマ。テーマ『風媒花』の意味や、「看護婦養成所」の設立だった伏線などを考察しつつ、史実もご紹介したいと思います。

※下記記事:

『風、薫る』看護の実用書執筆へ!ついにフィナーレ最終週(9月21日〜)あらすじ&場面写真、相関図が公開

看護婦への夢を持ち続けたツヤと、看護婦は辞めて医師になったヒデ。(NHK「風、薫る」公式サイトより)

※明治時代のドラマに合わせて「看護師」ではなく「看護婦」と表記しています。

自分たちで“train(訓練)”し看護婦を育てる決意

久々に、梅岡看護婦養成所の卒業式で撮影した、バーンズ先生(エマ・ハワード)と生徒たちとの記念写真が登場した『風媒花』の今週。

覚えていますか?

バーンズ先生が卒業のときに生徒たちに言った言葉。

「今、ここに看護婦が6人います。私は6つの種を蒔きました。それが60人、600人、6000人に増えた時、私の夢が叶う。みなさんよろしくお願いします。」

この言葉が、今週につながりましたね。バーンズ先生が蒔いた種は、着実に増えています。

以前、帝都医大病院の“看病婦”だったものの、ミスを犯しクビになったツヤが「看護の仕事をさせて欲しい」と、恵風看護婦会を訪れて来たのです。

ツヤは文字を学び、りんからもらった『Notes on Nursing(看護覚え書)』の原本を、11年もかけて読んで独学していたのでした。りんが教えていた頃の「看護婦になる夢」を捨てていませんでした。

トレインド・ナースになるには、定められた養成所で学び卒業しなければなりません。

けれども、“看護婦” になるために大切なのは、「どこで学ぶかじゃなくて、なにを学ぶか」……と気が付くりんと直美。

「自分たちが“train (訓練)”すればいいのだ」と考えて、ツヤを一人前の“看護婦”に育てることを決意しました。

彼女は教わる側から、バーンズ先生のように看護の種を蒔く立場になったのです。

11年間も独学で看護婦の勉強を続けて来た、努力家のツヤ(NHK「風、薫る」公式サイトより)

史実でも看護婦養成に貢献した大関和と鈴木雅

史実では、直美のモデル・鈴木雅もりんのモデルである大関和も、看護婦の養成に貢献しています。

⚫︎鈴木雅…東京看護婦講習所を開設

「慈善看護婦会」を開業した。この会は明治29年(1896)に「東京看護婦会」と改称され,東京看護婦講習所も併設した。講習生は 20 歳から 40 歳の者で,3 年間家事を主体的に行う必要がない者とされ,明治32年(1899)時点で 50 名以上が在籍していた。

修業期間は 1 年間で,最初の 6 ヶ月間は学科を学び,残りの期間は実習を行った。続く研究期間が 2 年間で,この時期の講習生は派出看護を担当した。

(派出看護婦会の存続と転換 山下麻衣)

⚫︎大関和…大関看護婦講習所を開設

和は明治42年(1909年)11月3日、大関看護婦会を設立し、大関看護婦講習所を開所しており、後進の育成と派出業務を通した実践活動に専念しました。(上越市HP)

左:大関和/右:鈴木雅(wiki)

病院というシステムの中で女性が働く大変さを知るヒデ

ドラマでは、「恵風看護婦会」を設立して“看護の種”を蒔き、バーンズ先生の夢だった「看護婦が日本のどんな病院にも当たり前にいるようになる」ために、また新しい一歩を踏み出したりんと直美。

最終回が近づいてきた今週に『風媒花』というテーマを持ってきたのは、以前の伏線回収の意味だったのですね。

さらに、りんにとっては苦い思い出となっていた土居ヒデと再会するサプライズもありました。

彼女は、帝都医大病院・看護科の生徒でしたが、講師であるりんの教え方に疑問や不満を持ち辞めていったのでした。

特に、ヒデは親しくなったツヤが病院をクビになったことを止められないりんに怒りを抱えていました。(あれは、りんではなく大学病院の責任だと思うのですが…)

そんなヒデは看護婦にはならず、「医者」になっていました。

そして、病院代表として柳生書記官に陳情するために「内務省衛生局」を訪れたところをバッタリりんと直美に再会したのでした。

ヒデは、3回医師試験を受けてやっと合格。「女の医者が自分しかいないので何もかもやらされて大変だ」ともいっていました。

病院というシステムの中で女性が働く大変さを体感したのでしょう。「今なら先生方がご苦労されていたのも……」と、昔の態度をりんに謝罪しました。

向上心の塊だったヒデは、「医療への道」は諦めなかったのですね。これも、りんが蒔いた“看護の種”が成長したゆえのことでしょう。

「女で医者になるなんて大変だったでしょ」と直美。

この時代、女性が医者になることは本当に大変だったのです。これはまた、次回の記事でご紹介しましょう。

成長したヒデと再会した、りんと直美。(NHK「風、薫る」公式サイトより)

鈴木雅と日本初の女性医師・荻野吟子との活動

明治時代、苦難を乗り越えて、近代的な西洋医学に基づく国家資格を取得した公許女性医師は何人かいます。

ヒデは、そのうちの誰かをモデルにしているかどうかは不明です。

けれども史実では、直美こと鈴木雅は、実際日本で最初の公許女性医師である荻野吟子と関わり、共に女性のための活動を行なっています。

⚫︎大日本婦人衛生会(私立大日本婦人衛生会)の組織

「婦女子に衛生知識を普及し、社会の幸福を増進すること」を目指して明治20年(1887)頃に設立された組織です。

荻野吟子が幹事として中心的役割を果たし、鈴木雅も参加して組織に関わったそう。皇族の依仁親王妃周子が総裁を務め、大山捨松や鍋島栄子など上流層の女性も参加していました。

⚫︎『婦人衛生雑誌』(『婦人衛生会雑誌』)の刊行

大日本婦人衛生会の機関誌として1888年頃から発行した『婦人衛生雑誌』は、衛生講演の内容や、家庭衛生・育児・婦人病予防などの知識を広めるための雑誌です。

荻野吟子は創刊号に「本会設立の主旨」を寄稿しています。鈴木雅もこの普及・啓発活動に貢献したとされています。

荻野吟子(wiki)

看護婦を増やすため育成する立場へ

『風、薫る』もラストが近づいています。
そのため、なつかいの過去の登場人物が登場していますよね。

看護婦養成学校にて、バーンズ先生が看護婦の種を蒔いてから10年くらい。

ちょうど、大関和も鈴木雅は38歳ごろでしょうか。

まだ学生の頃に「Notes on Nursing(看護覚え書)」を苦労して読み、学び、大学病院で実地の体験を積み、二人ともさまざまな場所で“看護”とはなにか“看護婦”とはどのような仕事かを、地道に人々に教えてきました。

そんな二人は、その経験を生かして、次は若い看護婦を育成し知識を持つ女性を増やしていく立場へとなっていきます。

この先『風媒花』のように、“風”に吹かれた“看護の種”がどんどん広がり、バーンズ先生の夢が叶う未来が待っています。

バーンズ先生を囲んだ、養成所の生徒たちの卒業写真。(NHK「風、薫る」公式サイトより)

最後に

現代、街のクリニックでも大きな総合病院や大学病院などでも、医療の現場で働いている看護師の方をたくさん見かけます。

患者の命を助け・支え・寄り添う“看護”という職業。治療や入院経験をして、そのありがたみを実感した人は少なくないでしょう。

また、この仕事は知識だけではなく、なみなみならぬ精神力や注意力などが必要とされる大変な仕事であることも……。

以前のドラマでのワンシーン、あの小さな梅ヶ丘看護婦養成所の教室でバーンズ先生が語った、「看護婦が日本のどんな病院にも当たり前にいるようになる」が令和の今、実現していると思うと胸熱です。

ツヤは、無事看護婦試験に合格できるのでしょうか。また、柳生藤次や土居ヒデは、この先ヒロインたちとどう関わっていくのか、最後まで見逃せませんね。

※下記記事:

『風、薫る』看護の実用書執筆へ!ついにフィナーレ最終週(9月21日〜)あらすじ&場面写真、相関図が公開

参考:
・上越市公式HP
・せたな町「日本人女医第一号荻野吟子」
・荻野吟子をめぐる研究史
―医師としての困難に関する考察とともに―
・派出看護婦会の存続と転換 山下麻衣

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「【風、薫る】バーンズ先生の“6つの種”は生きていた!ツヤとヒデ11年ぶり再会で見せた予想外の姿と伏線回収」のページです。デイリーニュースオンラインは、風、薫る、看護、明治時代、朝ドラ、カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る