大河『逆賊の幕臣』で松坂桃李が演じる小栗忠順の父「小栗忠高」の波乱の生涯、あまりに不運な最期
令和9年(2027年)大河ドラマ「逆賊の幕臣」では、幕末日本の近代化に貢献しながら、罪もなく処刑されてしまった小栗忠順(小栗上野介)の悲劇が描かれます。
今回はそんな小栗忠順の父・小栗忠高(おぐり ただたか)を紹介。果たして彼はどんな人物で、どんな生涯をたどったのでしょうか。
※大河ドラマ関連記事:
【豊臣兄弟!】他責思考のヤバいZ世代武将・秀次(山田涼介)の悪評は罠?史実が語る“悲劇の名君”との落差 大河『逆賊の幕臣』で松坂桃李が演じる小栗忠順に最期まで殉じた荒川祐蔵とは?渡米から処刑に至る36年
小栗家へ養子入り
小栗忠高は文化6年1月3日(1809年2月16日)、中川忠英(なかがわ ただひで)の四男として誕生しました。
成長した忠高はお隣に住んでいる小栗忠清(ただきよ)の娘婿となり、小栗邦子(くに子)と結婚。小栗家代々の通称である又一(またいち)を名乗ります。
※小栗忠順の一人娘であった小栗国子と同じ読みなので、紛らわしいですね。
当時の小栗家ではなかなか男児に恵まれず、このままでは小栗家が絶えてしまうと懸念して、忠高を婿に迎えたのでした。
しかしながら、その後に男児(後の日下数馬房元)が誕生します。
忠清とすれば、実子に家督を継がせたかったところでしょうが、それでは忠高を養子に出してくれた中川家に申し訳が立ちません。
そこでやむなく、実子は日下家へ養子に出し、当初の通り忠高に家督を継がせたのでした。
譜代の忠臣として活躍かくして忠高が受け継いだ小栗家は知行2,500石、徳川家譜代の旗本です。
【小栗家略系図】
……小栗吉忠─小栗忠政─小栗政信─小栗信勝─小栗政重─小栗信盈─小栗喜政─小栗信顕─小栗忠顕─小栗忠清=小栗忠高─小栗忠順……
代々受け継がれた通称の又一とは、祖先の小栗忠政が合戦においてしばしば一番槍の武功を立てたことに由来します。
「又もや一番槍」略して又一となりました。父の小栗吉忠も同じ読みの又市(またいち)を名乗っていたので、自然と「又一」が定着したことでしょう。
そんな祖先を誇りながら、忠高は徳川将軍家に忠義を尽くし、幕臣として持筒頭(もちづつがしら)などの役職を務めます。
持筒頭とは徳川将軍家直属の鉄砲隊を率いる身分であり、忠義に厚い小栗家ならではの役職と言えるでしょう。
そんな忠高は邦子との間に嫡男の小栗忠順(文政10・1827年6月23日生)を授かりました。これで後継ぎ問題は解決します。
新潟の地で没する
やがて嘉永7年(1854年。安政元年)閏7月1日に新潟奉行となった忠高は、江戸を離れて遠く越後国へと旅立ちました。
しかし任地に到着してから約1年後の安政2年(1855年)7月28日、医者の誤診によって命を落としてしまったそうです。
享年47歳、命を落とすほどの誤診とは、果たしてどれほど重大な過失だったのでしょうか。
遺された家族たちは嘆き悲しみ、大変だったことと思います。そんな中で、こんなこともあろうかと、忠高は自分の葬儀代を用意しておいたのでした。
親しかった紙問屋の藤井忠太郎(ふじい ちゅうたろう)に金50両を渡して「自分に何かあった時は、これで葬儀を挙げてほしい」と託しておいたのです。
日頃から用意がよかったのか、それとも新潟行きに際して、何か不吉なものを感じていた(そのような情報を得ていた)のかもしれませんね。
ともあれ世を去った忠高は法音寺(新潟県新潟市)に葬られ、小栗の家督は嫡男の忠順が受け継いだのでした。
小栗忠高・基本データ 生没:文化6年(1809年)1月3日生~安政2年(1855年)7月28日没 実父:中川忠英 養父:小栗忠清 通称:又一 役職:持筒頭、新潟奉行など 伴侶:小栗邦子(くにこ) 子女:小栗忠順 終わりに今回は小栗忠順の父・小栗忠高について、その生涯をたどってきました。
果たして大河ドラマ「逆賊の幕臣」では、主人公たる息子にどのような生き方を示すのでしょうか。その活躍を、今から楽しみにしています。
※大河ドラマ関連記事:
【豊臣兄弟!】他責思考のヤバいZ世代武将・秀次(山田涼介)の悪評は罠?史実が語る“悲劇の名君”との落差 大河『逆賊の幕臣』で松坂桃李が演じる小栗忠順に最期まで殉じた荒川祐蔵とは?渡米から処刑に至る36年※参考文献:
小川恭一編『寛政譜以降旗本家百科事典』東洋書林、1997年11月日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

