『豊臣兄弟!』降伏した元親を襲う残酷な悲劇…史実に見る四国攻めと秀吉・関白就任の舞台裏
小牧・長久手の戦いで外交的勝利を収めた羽柴秀吉(池松壮亮)は、自分に叛旗を翻した紀州・越中そして四国征伐に乗り出しました。
四国攻めの総大将を任された小一郎秀長(仲野太賀)ですが、鬼若子(おにわご)と化した長宗我部元親(磯部寛之)の意地を前に攻めあぐねてしまいます。
このままでは秀吉が自ら四国へ乗り出し、長宗我部が滅ぼされてしまう……考え抜いた秀長は元親に姫和子(ひめわご)の本性を取り戻させ、和睦にこぎつけたのでした。
いっぽう秀吉は念願の関白に就任し、天下一統の夢へ大きく前進することになります。
そんな第36回放送「姫和子と鬼若子」今週も気になるトピックを振り返ってまいりましょう。
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百姓の小倅から、関白に上り詰めた秀吉。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
今回の流れを、略年表でおさらいしたいと思います。
天正12年(1584年)
12月12日 於義伊が秀吉の養子(人質)となり、元服して羽柴秀康と改名天正13年(1585年)
3月10日 秀吉が内大臣となる 3~4月 紀州征伐(本願寺に協力した根来衆・雑賀衆を討つ) 6~8月 四国攻め 6月16日 病気の秀吉に代わり秀長を総大将として四国攻めを開始 7月 秀吉が近衛龍山の猶子となり、藤原姓に改める 7月11日 秀吉が関白となる 8月6日 長宗我部元親が秀長に降伏する 8月下旬 伊予方面ではまだ抵抗が続く 8月中 秀吉が四国国分(くにわけ)を行うこうして見ると、元親が降伏した後も、伊予方面ではまだ抵抗が続いていました。
また秀吉の関白就任は四国攻めの最中であり、劇中とは順番が前後しています。
於義伊は家康の実子なのか?
秀吉と和睦するために秀吉へ養子に出された於義伊(おぎい)。ちょっと変わった名前ですが、これは「ギギという魚に顔が似ていて気持ち悪い」ことからつけられました。ひどい話ですね。
於義伊の生母が妊娠した時、家康の正室である築山殿が彼女を家康の側室として承認せず、追放してしまいました。
そのため、家康も生まれた於義伊を認知せず放置していたのですが、秀吉への人質として呼び戻したようです。
劇中の時点で11歳となっており、秀吉の養子となって羽柴秀康(ひでやす)と改名します。これは「秀」吉+家「康」の組み合わせで、両雄の力関係を示す名前でした。
※秀吉としては足蹴にできる(名前の上に下の文字をあてがえる)存在ではなく、家康としては名前の下に下の文字をあてがう対等な関係です。
かくして秀康が誕生したのですが、実父に愛されなかったからか屈折したエピソードがいくつか残っており、もしかしたら今後劇中で描かれるかもしれません。
羽柴秀吉の養子になった於義丸(結城秀康)。なぜ彼が選ばれた?【どうする家康】 近衛龍山はなぜ秀吉を猶子にした?
近衛龍山と対面する秀吉。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
劇中では、侍になりたかった近衛龍山(前野朋哉)と、家柄だけが足りない秀吉が一致協力して親子関係が結ばれていました。
実際に近衛龍山が秀吉を猶子(ゆうし。相続権のない養子)としたことにより、秀吉は関白になっています。
五摂家(近衛家・一条家・九条家・鷹司家・二条家)の筆頭格であった近衛家としては、氏素性もわからない成り上がり者の秀吉を猶子にしたくなかったでしょうが……。
劇中でも少し触れられていましたが、当時は龍山の嫡男である近衛伸輔(のぶすけ)と、現職の関白である二条昭実(にじょう あきざね)が関白職を巡って争っていました。
近衛家としては、秀吉の力を借りることで関白職を確保したかったのでしょう。いっとき秀吉を関白に据えて、その後には近衛家へ関白職を返す……訳がありませんね。
ともあれ、このまま二条家に関白職を奪われてなるものか、という切羽詰まった事情によって秀吉を(渋々)猶子としたのでした。
実際に京都へ行って対面交渉したという話は聞きませんが、その辺はドラマの演出です。
なぜ豊臣秀吉は「関白」の地位を望んだのか?征夷大将軍ではなく貴族のポジションを選んだその理由 割愛された谷忠澄の活躍
秀長の進行に立ち向かう長宗我部主従。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
劇中では阿波一宮城に残ったもののあっさり降伏し、和睦交渉の伝書鳩と化していた谷忠澄(堀部圭亮)ですが、実際には死力を尽くして秀長の大軍に抗戦していました。
同僚の江村親俊(えむら ちかとし)と共に籠城した忠澄は、秀長率いる5万もの大軍を真っ向から受け止めます。
秀長の配下には蜂須賀正勝(高橋努)・藤堂高虎(佳久創)・増田長盛(ました ながもり)・仙石秀久(せんごく ひでひさ)・戸田勝俊(とだ かつとし)・一柳直末(ひとつやなぎ なおすえ)ら猛将が勢揃い。城を包囲して三方から盛んに鉄砲を撃ち込みました。
圧倒的な物量をもって津波のごとく攻め懸かる羽柴勢に対して、忠澄らは死に物狂いで抵抗したため、籠城戦は長期化します。
攻めあぐねた秀長は力攻めをやめ、坑道を掘って水の手を断とうとしました。その工事の様子は大変な規模で、城そのものが連日揺れるほどだったそうです。かくして水源が涸れてしまい、忠澄らはとうとう降伏を決断したのでした。
秀長から元親に降伏を勧めるよう指示された忠澄は、元親らの本陣へ参上して降伏を説きます。
はじめ元親は降伏を受け入れず、家臣たちも口々に忠澄を糾弾しました。しかし領民を思い、また長宗我部家の存続を願う忠澄の心意気に胸を打たれ、ついに元親は降伏を決断したということです。
『豊臣兄弟!』小一郎の5万の大軍に徹底抗戦!切腹覚悟で長宗我部元親に降伏を迫った武将・谷忠澄の生涯 元親の降伏後、四国はどうなった?
ずっと鬼若子として、姫若子の本性を押し殺してきた元親。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
長曾我部元親の降伏によって、四国は秀吉によって再配分されました。
讃岐国(香川県):仙石秀久・十河存保ら羽柴系の武将 阿波国(徳島県):蜂須賀家政(正勝嫡男)・赤松則房ら羽柴系の武将 伊予国(愛媛県):小早川隆景・来島通総・得居通幸ら毛利系の武将 土佐国(高知県):長曾我部元親また本州と四国の玄関口である淡路国(兵庫県淡路島)は脇坂安治・加藤嘉明ら秀吉の側近があてがわれます。
劇中で言及されていた通り、伊予国は毛利の協力を得るために提供されたのでした。じゃあ阿波国はと言いたいところですが、阿波国を安堵したら、今度は秀吉家臣の不満が出てくるでしょう。
どうあっても、元親には土佐一国で我慢してもらうよりなかったようです。あるいは完全に滅ぼされるか……。
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羽柴政権に降伏後、元親は地獄を見ることになる。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
秀長の機転によって鬼若子から姫若子の本性を取り戻し、共に天下一統の夢を見ようと降伏した長宗我部元親。しかしその末路は、実に悲惨なものでした。
降伏した長宗我部家は、その後に続く九州征伐の先鋒として戦場へ駆り出されます。これも乱世の習いであり、土佐一国を安堵されたのですから、仕方ありません。
天正14年12月12日(1587年1月20日)に戸次川の戦いで嫡男の長宗我部信親(林裕太)が討死し、自身も討死すると言い出すほどの悲しみに暮れます。
惨敗を喫して身心共にボロボロとなった元親は、土佐に帰国した後も、しばらく政務に手がつかないほどでした。
元親は信親を溺愛しており、自身の後継者として育てていたのですが、こういう事態を考えていなかったようです。
また戸次川の戦いには次世代を担う若武者ばかりを選抜しており、その多くが討死してしまいました。そのため、長宗我部家は人材不足によって衰退してしまうのでした。
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第37回放送「秀長の国」。NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK
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※NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。
いよいよ秀長にとって終の棲家となる大和国を与えられ、国持大名としての活躍が始まるようです。興福寺はじめ老獪な寺社勢力を相手に、秀長はどう統治していくのでしょうか。また予告編の描写から、そろそろ蜂須賀正勝がもうすぐ退場するようです。
本人にしてみれば、実にいいタイミングで(豊臣政権の暗雲や崩壊をほとんど見ることなく)世を去る、幸せな生涯だったと言えるでしょう。
物語は終盤にさしかかり、いよいよ大和入りする秀長の活躍を楽しみに見守りたいですね。
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