『ブラッサム』強烈モラハラの父(渡部篤郎)と優しい継母(国仲涼子)…史実もドラマ越えの壮絶さだった!?
2026年9月28日、後期の連続テレビ小説『ブラッサム』が始まりました。
朝ドラにも大河にも通じることですが、第1回目のオープニング・主題歌・出演者クレジットのフォントデザインなどは、今後続く長いストーリーのイメージを表す大切なもの。
どんなふうに始まるのかと思っていましたが、オープニングに入る前に流れたプロローグの舞台は、昭和57年(1982)から始まりました。
85歳になった主人公・葉野珠(加賀まりこ)が、東京・青山の書斎にて執筆に励んでいます。『生きて行くわたし』(※1)が連載中の時代でした。
トレードマークだった黒縁のメガネといい髪型といい「加賀さんが宇野千代さん激似」と大評判になりました。
そしてラジオからは、松田聖子さんの大ヒット曲『チェリーブラッサム』が流れるという演出。
この曲が流れたことで、「ああ、あの頃か」と時代背景がリアルに脳内に蘇った人も多かったのではないでしょうか。
続いてオープニングは、満開の桜の花びらが舞い散る映像・ヒロインの石橋静さんの軽快なダンス・YOADOBIの主題歌『咲き誇れ』のポップな曲が相まって、明るく足取りも軽くなるような初回になるかと思いきや……。
絵に描いたような明治時代の『ザ・家父長制』のモラハラな父親・葉野清治(渡部篤郎)と、愛情深い優しい継母のリョウ(国仲涼子)の対比が鮮やかに描かれ、強烈なインパクトを与える第1回目となりました。
わずか15分で、葉野珠が子供時代どんな家庭環境で育ったのかよく伝わった回。
第1週のテーマは、そのものずばり『私の父、私の母』。この父と母のモデルとなる実在の人物はいたのでしょうか。
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朝ドラ『ブラッサム』元夫の弟と同棲&4度の結婚!ヒロイン葉野珠(石橋静香)のモデル・宇野千代の生涯【前編】
宇野千代に激似と大評判だった加賀まりこ演ずる「葉野珠」(NHK「ブラッサム」公式「X」より)
※1『生きて行くわたし』:宇野千代の自伝的小説。1982年2月〜10月まで毎日新聞『日曜くらぶ』に連載後、単行本化、テレビドラマ化も
「桜の花よ咲き誇れ!」朝ドラ『ブラッサム』は、激動の明治・大正・昭和という時代を駆け抜けた日本の女性作家であり、編集者・着物デザイナー・実業家など多方面にわたって才能を発揮した「宇野千代」をモデルにしています。
原作小説などはなく、フィクションで作り上げた物語です。
ドラマの「ブラッサム」のタイトルは…
開花を意味するブラッサム。「咲き誇れ」という思いを込めました。
主人公の葉野珠(はの・たま)が、自分を肯定し、奮い立たせる言葉です。もうひとつは、チェリー・ブラッサムの「桜」。宇野千代さんのトレードマークです。…中略…人々に幸せを運んだ「花咲かおばあちゃん」のような宇野さんの天真らんまんな生き方にも重なります。(NHK 2026年度後期 連続テレビ小説「ブラッサム」制作・主演発表)
やはり、ずっと「桜」がテーマになっていくようです。
第1回は、明治41年(1908)の岩国からスタートしました。四人兄弟の長女・葉野珠(村上蘭)は、赤ん坊をおんぶしながらぐずる幼い弟を励ましつつ長距離の家のお使いをするという、大変そうな状況。
けれど、錦帯橋のすぐ脇の桜並木をみながら、「桜の花をみると元気になる」といいます。
ポジティブな珠。晩年まで超ポジティブ思考だった宇野千代の数々の名言を思い出しました。
桜を眺めては「咲き誇れ」と自分を鼓舞して生きる……これがドラマの底辺にずっと流れるのでしょう。
その姿に、私たちも朝から元気をもらえるのかもしれませんね。
桜並木を見ると笑顔になる葉野珠(村上蘭)。(NHK「ブラッサム」公式サイトより)
皆がみとめる遊び呆けるクズな父親さて、初回から街で馬を爆走させる傲慢で非常識な人間と印象の父親、葉野清治(渡部篤郎)。
登場しょっぱなから「クズ」呼ばわりされていました。
「働きもせんと、遊びほうけて…たいがいにせえよ」と、商店の店主・岩田幸三(八嶋智人)が毒づくほど。
さらに、土砂降りの中、珠にカナリアの「餌を買ってこい」と命じた挙句(でかけたなら、お前が買ってこいと思った瞬間)、出かけようとする珠に「裸足でいけ。この間、草履をダメにしただろう」と。
はぁぁあ!?
「足は濡れても腐らん、裸足でいけ!」には、「いやいやいや、破傷風になるだろうが!」と突っ込んだ視聴者の方は多かったのではないでしょうか。
馬を買う金はあるのに子どもの草履を惜しむとは。“厳格”とか“躾に厳しい”とは違う、異次元のモラハラな父。
確かに、一家の主人がどんなにクズでも「妻や娘は我慢するのが当たり前」で、「女」は耐えて忍んで従うのが美徳とされた時代とはいうものの……。
見かねた幸三が、泥だらけの珠に草履を貸そうとするも、父に支配されることに慣れっこなのか、「父に叱られる」と辞退するのが痛々しい。
継母・リョウ(国仲涼子)は、珠を優しくフォローはするものの、面と向かって夫に強く抗議することはできないようでした。
第1週『私の父、私の母』は、時代背景やモデルとなった宇野千代さんの実際の子供時代を色濃く投影した展開になっていくのでしょうか。

葉野清治(渡部篤郎)/継母・リョウ(国仲涼子)(NHK「ブラッサム」公式「x」より)
実際の「私の父、私の母」は?宇野千代の父親とは、どのような人物だったのでしょう。
宇野俊次は、明治30年(1897)、山口県高森(現・岩国市周東町)の代々酒造業『宇野酒造』の次男として生まれました。
分家の養子になり本家から相当な財産分与を受けるも、定職に就かず、競馬・博打・遊興・放蕩で使い果たし、本家からの仕送りに頼る生活だったそうです。
千代が1歳半で実母・トモを亡くした後、17歳の佐伯リュウと再婚します。
さらに、14歳の千代を従兄・藤村亮一に嫁がせました(千代は10日ほどで出戻りました)。
俊次は、千代自ら「バルザックかドストエフスキーの小説にしか出て来ないような一種の奇人乃至狂人だった」、「馬を何頭も飼って競馬に出し、博打もし、あらゆる道楽をし、放蕩を極めた」、「対話は父の命令と私の答えだけにかぎられた」、「私たち子供に対しては峻厳そのもの、スパルタ式の教育を施してはばからなかった」、「草履は腐るが足は腐らんと言って、雪の日に、学校へ行くのに裸足で行かせた」と語るような特異な父親であった。
(宇野千代の人生と文学 父・俊次の死 NPO 宇野千代生家 より)
これだけでも、かなり強烈な人間だったのが伺えます。
千代が85歳の頃に描いた自伝的小説『生きていく私』などにもあるので、ご存知の方も多いでしょう。
けれども、改めてドラマでみると、オープニングで自由に軽やかに踊る成長した珠と、父親に抑圧されている少女時代の珠のコントラストの強さが浮き彫りになりますね。
この父と別れ、自由に飛び立って行く様子が早く見たいと思いました。

街中をで爆走する葉野清治(渡部篤郎)(NHK「ブラッサム」公式「x」より)
優しい継母とは生涯の続く仲に俊次は、1913年(大正2年)、千代16歳の時に57歳で病没。
家の中で息を潜めるように暮らしていた妻も子も、父の支配から解放されました。
近所の人は「これからはお気楽になれますよ」とひそかに喜んでくれたそいいます。(『生きていく私』)
そんな父に対し、愛情深く優しい継母の葉野リョウのモデルとされているのは、宇野千代の実の継母・宇野リュウ(旧姓・佐伯リュウ)です。
リュウは、明治 33年(1900)頃、千代の父・宇野俊次45歳と17歳で再婚。千代とは約12〜14歳差でした。
俊次との間に千代の異母弟妹4男1女(薫・鴻・勝子・光雄・文雄)を出産しています。
けれども、実子よりも千代を最優先して大切に扱っていたとか。ドラマの中では、「珠さま」と「さま」を付けて呼んでいましたね。
リュウは、千代とは生涯を通じて仲良く心から支え合ったそうです。
こんな心根の優しい女性がなぜ、横暴で親ほど離れた年齢で、放蕩親父の俊次と再婚したのか?
出会いや結婚までの経緯がわかる史料などはないようです。ドラマでは、そのきっかけとなるようなエピソードは描かれるのでしょうか。
子守りや家政婦として求められた女性
明治時代、妻を亡くした中年男性が若い女性を後妻として迎えるのは珍しいことではありませんでした。
残された幼い家庭の世話をする母親が代わり、家事などを担う労働力、再婚後の子作りなどが目的で、実務的な選択としての再婚は、少なくなかったとか。
現代のように「親子ほど年齢差がある」ことは問題視されず、また、一人の伴侶と寄り添わねばならないという倫理観も上流階級、庶民階級ともに強くなかったと伝わります。
ドラマでは、産後のリョウを放置し外に遊び歩いているばかりの清次をみると、妻ではなく、乳母と家政婦と子孫作りの相手としてしか見ていないような。
史実に伝わる父・義理の母・娘の今後を考えると、ドラマでは「どうしようもない父親」「優しいけれど我慢を重ね父を諌められない継母」の間に揉め事が起こっていきそう。
それと同時に、「そんな部分もあったのか」と思うような父の一面や、義理の母の本音なども描かれるのかもしれませんね。
※関連記事:
朝ドラ『ブラッサム』元夫の弟と同棲&4度の結婚!ヒロイン葉野珠(石橋静香)のモデル・宇野千代の生涯【前編】参考:
『宇野千代 その言葉と人生』四條 たか子
湯沢雍彦『明治の結婚 明治の離婚』(角川選書、2005年)
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