朝ドラ『ブラッサム』秘書・藤川優子(松たか子)のモデルは?宇野千代を長年支えた「あっちゃん」との深い絆
明治から平成にかけて、作家・着物デザイナー・編集者ほか多彩な才能で活躍した宇野千代をモデルとした、NHK朝の連続テレビ小説「ブラッサム」。
初回の冒頭は、昭和57年(1982)主人公・葉野珠(はの たま/加賀まりこ)が、東京・青山の書斎にて執筆する場面から始まりました。
ちょうど当時、爆発的な人気となった連載中の『生きて行くわたし』の執筆に没頭する珠に、静かに襖を開け「そろそろ出発の時間です」と促したのは、珠の秘書・藤川優子(ふじかわ ゆうこ 松たか子)でした。
昭和を生きる珠と優子の会話のやりとりから、明治41年(1908)の子供時代の珠へとストーリーはバトンタッチされます。
書斎での会話・珠の故郷、岩国・錦帯橋の桜並木での短い会話からでも、珠に寄り添う秘書・優子は、長年の親友のような仲の良い母娘のような、きめ細やかな愛情が伝わってきました。
珠と優子が紡いできた、信頼関係の強さが窺えるようでした。
珠の秘書・藤川優子は、実際に「宇野千代の秘書を務めた藤江淳子(ふじえあつこ)」がモデルといわれています。
まだストーリー物語は始まったばかりですが、ドラマでの珠と優子を振り返りつつ、藤江淳子という女性と宇野千代はどのような関係かを調べてみました。
葉野珠(加賀まりこ)と秘書の藤川優子(松たか子)(NHK朝ドラ「ブラッサム」公式「X」より)
「毎日書く」を大切にする珠を見守る優子珠の秘書・藤川優子は、NHK公式によると
葉野珠の秘書。公私にわたり生活を共にし、彼女を支え続ける。
とあります。
故郷・岩国に帰省する飛行機の時間が迫っていることも忘れて、執筆に没頭する珠の背中を見つめながら「どうしても、書かずにおれないんですね」と声をかけます。
「毎日書く。それが大事」と答える珠。
これほどの著名な大作家でも、基本的なことを丁寧に行なっているのだな……と、文章を書くことを生業とする人間には、ぐさりと刺さる言葉でした。
これは実際に、宇野千代の考えでもあったようです。
誰でも机の前に座る。書こうと思うときだけに坐るのではなく、書こうとは思ってもいないときでも坐る。この机の前に坐ると言うことが、小説を書くことの基本です。(引用:『九十歳、イキのいい毎日』「小説は誰にでも書ける」より)
「毎日、コツコツ座って続ける」これはなかなか難しい。けれど、やってみるか!と、励まされる言葉でもありますね。
そんな珠の背中を見つめる、優子の眼差しが暖かい。
文章を書いていると、ほかのことを忘れる、この人らしいなぁと思っているようにも、長年「毎日、書く」を続けてきた珠をリスペクトしているようにも感じました。
葉野珠(加賀まりこ)と秘書の藤川優子(松たか子)(NHK朝ドラ「ブラッサム」公式「X」より)
ちょっとした仕草に二人の信頼関係が珠の故郷、岩国・錦帯橋の桜並木の下をそぞろ歩きしながら、記者のインタビューに応じる珠。
「思いついたらなんでも始めたくなっちゃうの。ね、優子ちゃん」と言いつつ、優子の腕に手を絡めます。
ちょっとした仕草ですが、家族に寄せるような信頼が感じます。
「お里帰りですか」話しかけてきたファンの母娘に、見事に咲き誇る桜を見上げつつ、「私、ここの桜を見ると元気になるんです。生きててよかったと思うんです」と答える珠。
母娘と柴犬ともに笑顔で写真撮影をする珠に「先生、今のご気分は?」と優子が問うと、「最高です!」と答えました。
実際、宇野千代の著書には『人生はいつだって今が最高!』『 98歳ポジティブ人生のコツ「いつだって今が最高!』などのタイトルがあります。
「今が最高」という哲学を持っていたことが伝わりますね。
この「最高です!」の珠のセリフは、これからも登場するかも。
「今のご気分は?」と質問して「最高です!」と答えてもらえたら、聞いたこちらも気持ちがパアッと明るくなりそう
優子も、珠の「最高」に元気をもらっていたのかもしれません。
桜の名所で山口県を代表する観光地の一つ『錦帯橋』ちなみに、珠が愛する『錦帯橋』は国指定の名勝で、日本を代表する5連の木造アーチ橋です。
延宝元年(1673)、岩国藩主・吉川広嘉によって建造されました。その後、錦川の洪水により流失し翌延宝2年(1674)年に再建されています。
昭和25年(1950)年9月の台風29号の洪水で流失するまで、276年間もその威容を保った歴史ある橋です。
昭和28年(1953)に再建、平成16年には檜の装いとなり新たな姿となりました。
岩国城と城下町をつなぐ錦帯橋と錦川河畔沿いに植えられた染井吉野の桜並木の光景は、ドラマの中でも数回登場していました。
「ここの桜を見ると元気になる」という珠の言葉が頷けるほど、見事な景色として印象に残りました。
宇千代とともに暮らし公私に渡って支え続けた
大好きな桜の下でイキイキとしている珠を、優しい笑みを浮かべて見守る優子。
そんな藤川優子のモデルとされるのが、宇野千代の秘書を長年務めた藤江淳子です。
千代が「淳(あ)っちゃん」と呼びかけ、誰よりも頼りにしていたのは元秘書の藤江淳子である。千代の生涯で藤江の名を欠かすわけにはいかない。藤江は昭和33年(1958)、北原武夫の縁で千代のもとへ来た。千代と北原が正式に離婚する数年前のことであり、千代が苦難の時期であった。(引用:宇野千代のこと 宇野千代の人生と文学「NPO宇野千代生家」)
宇野千代と藤江淳子の出会いの縁を結んだ北原武夫は、明治40年(1907)生まれ。
昭和8年(1933)宇野千代と知り合い、昭和11年に千代と共に日本最初のファッション雑誌『スタイル』を創刊。昭和14年に千代と結婚するも、昭和39年に離婚しました。
その北原との縁で、離婚する前に千代のもとに来たという藤江淳子は、昭和4年(1929)宮城県生まれ。昭和35年(1960)から約36年間宇野千代とともに暮らし、公私に渡って支え続けたそうです。
藤江は宇野千代の葬儀で喪主を務め、現在、千代の衣鉢を継いで「宇野千代文学」や「宇野千代ブランド」を守り立てている。(引用:宇野千代のこと 宇野千代の人生と文学 「NPO宇野千代生家」)
宇野千代生家にある文学碑(「おいでませ山口へ 山口観光サイト)
お互いに支え合い信頼を寄せた関係宇野千代の著者、『九十歳、イキのいい毎日』の巻末に掲載されてある、「宇野千代と歩いた花吹雪人生36年」という藤江淳子の文章には、亡き千代と歩んだ日々が綴られています。
先生と私の相性がよかったから、これほどまでに長くお仕えできたのだと思うのです。(引用:『九十歳、イキのいい毎日)
出会いからお別れまで、お互いに大切な存在であることが伝わってきて、羨ましい思いがします。
2023年に亡くなった藤江淳子。
満開になってから散りゆくものの、また翌年には見事な花咲かせる桜。年齢を重ね困難にも出会いながらも生命力や創作力に溢れ様々な作品を花咲かせた宇野千代そのもののように思えます。
そして「あっちゃん」と呼ばれていた淳子は、見事な花を咲かせるための陽光であり恵みの雨であり……そんな存在だったのでしょうか。
ドラマ冒頭の珠と優子のやりとりが微笑ましくも元気をもらえる「ブラッサム」。今後、どう描かれていくのか楽しみですね。
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・『九十歳、イキのいい毎日』(中央文庫)宇野千代
・『私何だか死なないような気がするんですよ』(集英社文庫)宇野千代
・NP0宇野千代生家
・おいでませ山口へ 山口観光サイト
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