『豊臣兄弟!』秀吉(池松壮亮)の大坂城は地下7mに眠っている!徳川が封印した“漆黒の巨城”の真の姿

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『豊臣兄弟!』秀吉(池松壮亮)の大坂城は地下7mに眠っている!徳川が封印した“漆黒の巨城”の真の姿

NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』も、残すところ約2か月。いよいよ物語も大詰めに入ってきました。

紀州征伐を経て大和郡山城を居城とし、紀伊・大和の統治に励む秀長(仲野太賀)。一方、秀吉(池松壮亮)は、大坂城を拠点に天下人へと突き進んでいきます。

今回は、秀吉の天下統一のシンボルともいうべき、豊臣時代の大坂城について考察していきます。

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大坂夏の陣図屏風に描かれた豊臣時代の本丸(Wikipedia)

徳川大坂城の地下に眠る、秀吉が築いた黒漆塗りの天守

豊臣秀吉は、山崎の戦いで明智光秀(要潤)を破った翌年の1583年(天正11年)から、大坂の石山本願寺跡に新たな城郭を築き始めます。

この城こそが、天下人・秀吉の象徴ともいうべき大坂城でした。

天下人となった豊臣秀吉(NHK「豊臣兄弟!」公式サイトより)

現在、国の特別史跡に指定される大坂城。そこには、立派な天守が聳え立ち、深い堀と高石垣に囲まれた堅固な姿は、天下統一を果たした秀吉に相応しい威容を誇示しています。

しかしいまの大坂城は、1615年(慶長20年)の大坂夏の陣で豊臣氏が滅亡したのちに、江戸幕府が西国の諸大名に命じて新たにつくった城なのです。

二代将軍・徳川秀忠は、豊臣氏の大坂城のうえに大量の土を盛り、石垣を築いて新たな大坂城を築城しました。つまり、豊臣時代の大坂城は、現在の大坂城の地下に埋まっていることになります。

これは、豊臣氏の痕跡を消し去り、そのうえに大規模な修築を施した新たな大坂城を築くことで、豊臣に代わる新たな新体制の象徴としたとも考えられるのです。

大阪城復興天守(Wikipedia)

大坂城の現在の天守は、1931年(昭和6年)に復興した建築物。徳川時代の天守台のうえに、豊臣時代の天守をイメージして造られたとされますが、秀吉が築いた天守とは印象が大きく異なります。

皆さんは、『豊臣兄弟!』第41話「家康の野望」のラストシーン、秀吉と秀長が天守の最上階から空を見上げ、語り合う場面を覚えていますでしょうか。

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そこには、黒色の外観の天守が描かれていました。そうです、本来の大坂城天守は、『大坂冬の陣図屏風模本』や『大坂夏の陣図屏風』などの絵画史料からわかるように、黒漆塗りの下見板張り(したみいたばり)であったのです。

大坂夏の陣図屏風に描かれた豊臣時代の天守(Wikipedia)

ところが、いま見られる復興天守の外観は白色。これは、徳川期の大坂城の櫓や門が白漆喰総塗り籠めの外観であったため、それに合わせたというのが実状のようです。

ちなみに豊臣時代の天守は、現在の天守の東側に建っていました。そこに外観五階層、飾り瓦の装飾に黄金をふんだんに使った贅の限りを尽くした黒色の天守が聳えていたのです。

絵図と発掘調査が明らかにする豊臣大坂城の中枢部

豊臣氏時代の天守は、大坂城の中心部に位置し、そこには本丸よりも上位の空間として石垣で囲った詰丸(詰ノ丸)がありました。この詰丸こそ、秀吉が寧々をはじめとする豊臣一族と暮らしたプライベートな場所で奥御殿と呼ばれていました。

天守はこの詰丸の北東隅にあり、詰丸の南には本丸があり、ここには対面用の御殿や秀吉の執務空間があったと考えられています。

豊臣秀吉築造 大坂城本丸復元模型/大阪城天守閣3階(撮影:高野晃彰)

『豊臣兄弟!』の大坂城の場面では、秀長が上洛した徳川家康(松下洸平)を屋敷でもてなす際、庭越しに天守が見える場面がありました。これは秀長の屋敷が本丸ではなく、西の丸辺りにあったことを表わします。たとえ秀長であっても、その屋敷は本丸の外側に構えていたのです。

では、地下に埋もれている豊臣大坂城の中心部はどのような空間だったのでしょうか。

それを知る重要な絵図としては、家康の大工棟梁を務めた中井正清の家に伝わった『豊臣大坂城本丸図』、広島浅野家に伝わった『浅野文庫諸国古城之図/豊臣大坂城本丸図』が挙げられます。

豊臣大坂城本丸復元図(出展:中井家所蔵をめぐるノート)

このうち、中井家伝来の絵図は、1960年(昭和35年)に日本城郭協会の櫻井成廣氏によって紹介され、地下で発見された石垣が城内のどの位置にあたるのかを検討するための重要な手がかりとなりました。

ちなみに、この絵図は1614年(慶長19年)の大坂冬の陣開戦の際に、家康が正清に命じて描かせた大坂城攻略のための作戦絵図であったとの説があります。となると、そこに描かれた本丸の縄張りは、秀頼による大坂城の最終段階の姿とも推測されるのです。

馬出しの発見で浮かび上がる、豊臣大坂城の実戦的な縄張り

では、豊臣時代の大坂城の全体像は、どのようなものだったのでしょうか。

繰り返しになりますが、豊臣大坂城は徳川幕府による再築の際に盛り土で覆われ、現在、その姿を地上から直接見ることはできません。

しかし、在りし日の様子をうかがい知る手がかりがまったくないわけではありません。『大坂夏の陣図屏風』などの絵画史料や古絵図から、城の構造や当時の様子をある程度復元することができます。

ただし、城の縄張りや城下町を含めた大坂城全体の構造を解明するには、絵図や絵画だけでは十分ではありません。

大阪城周辺の航空写真(Wikipedia)

そこで注目されるのが、発掘調査によって得られた考古学的な知見です。ここでは、大阪城天守閣や大阪市の文化財調査資料などを参考に、地下に眠る豊臣大坂城の調査の歩みを時系列で整理してみましょう。

●1899年(明治32年):『大坂城誌』などにおいて、豊臣時代と徳川時代の大坂城の違いが論じられ、後の研究につながる問題提起がなされました。

●1959年(昭和34年):大阪城総合学術調査の一環として、本丸の地下約7メートルで石垣が検出され、豊臣時代の大坂城を考えるうえで重要な発見となりました。

●1960年(昭和35年):中井家伝来の豊臣時代の大坂城の絵図が確認され、前年に発見された石垣との比較を通じて、豊臣大坂城の復元研究が大きく進展しました。

●1960年代以降:ボーリング調査などによって、地下に埋もれた石垣の位置や地盤の状況が調べられ、豊臣時代と徳川時代の大坂城の構造を解明するための資料が蓄積されていきました。

●1984~1985年(昭和59~60年):配水池の改良工事に伴う発掘調査で、豊臣大坂城の中枢部にあたる詰丸の石垣が発見・調査されました。徳川時代の盛り土の下に、豊臣時代の城の構造が残されていることを具体的に示す成果でした。

●1988年(昭和63年):本丸での調査により、豊臣時代の天守台石垣が確認され、天守の位置や構造を考えるうえで重要な手がかりとなりました。

●2013~2021年(平成25~令和3年):豊臣時代の石垣を調査・保存し、一般公開するための「豊臣石垣公開プロジェクト」が進められました。段階的な発掘調査により、詰丸石垣やその周辺の遺構について、詳しい調査が進みました。2021年2月には、発掘された石垣の一般公開も行われました。

●2025年(令和7年):豊臣時代の石垣を間近に見学できる「大阪城 豊臣石垣館」が4月1日に開館しました。長年、地中に埋もれていた石垣を、地下の展示空間から観察できるようになったのです。

このほか、大阪府庁や大阪府警察本部周辺などでも発掘調査が行われ、堀の跡や金箔瓦、陶磁器、石材など、豊臣大坂城の実像を考えるうえで重要な遺構・遺物が確認されています。

このなかで注目すべきは、大阪府警察本部庁舎の建設にあたっての発掘調査でした。庁舎は、大坂城大手門の外堀を渡った正面にあり、豊臣時代の大手門もさほど変わらない場所にあったと推測されています。

この発掘調査で、コの字型に囲い込んだ巨大な堀が検出されました。そしてこの巨大な堀は、大手の出入り口の前に備えられた強力な反撃拠点である「馬出し」と判明したのです。また、豊臣大坂城には大手口だけでなく、京橋口、玉造口にも馬出しが備えられていたと考えられるようになりました。

豊臣期大坂図屏風に描かれた馬出し(Wikipedia)

従来、豊臣大坂城は、本丸-二ノ丸-三ノ丸-惣構えという構造だったとされてきました。しかし、大手門前の馬出しの発見により、本丸-二ノ丸で構成され、二ノ丸の出入り口である三カ所(大手口・京橋口・玉造口)に強力な馬出しを備えた実戦的城郭であることが判明したのです。

そして、本丸や二ノ丸を含む城の中枢部は、城下町をも包み込む大規模な惣構えによって守られていました。その規模は、約8キロメートルにも及んだとされます。

こうして絵図や発掘調査の成果を重ね合わせることで、少しずつ明らかになってきた豊臣大坂城。地下に眠る石垣や遺構は、秀吉が築いた天下人の城の姿を、今も私たちに語りかけているのです。

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※参考文献
千田嘉博著 『城郭考古学の冒険』幻冬舎新書
磯田道史著 『豊臣兄弟 天下を獲った処世術』文春新書

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