遊びの『人間力』 沖田修一(映画監督) (2/2ページ)

日刊大衆

でも、監督コースとか脚本コースとかあって、どれも学費が高い。まあ、手に職がついたほうがいいなと思って、撮影コースに入ったんです。でも、学校には、ほとんど行かなかったですね。

25歳までは、ずっと寝てばかりでした(笑)。特にすることもないので、当時、住んでいたアパートの近くの桜の木を、定点でひたすら撮っていました。あとでその映像をつなげると、あっという間に咲いて、あっという間に散る映像が撮れるなと思って。それを毎日のように繰り返していると、「俺、何のために生きてんのかな」って思いましたね(笑)。 当時、焦りはあったと思うんです。でも、根拠のない自信みたいなものだけはあったんですよね。だから、それだけはなくさないように大事にしていました。

卒業後は、結婚式や講演会の割りのいいバイトをしながら食いつなぎつつ、自主映画を撮っていました。そのうちの一つ『鍋と友達』が、水戸短編映像祭で賞をもらって、少し環境が変化していきましたね。次に撮った初めての長編映画がレイトショーにかけてもらえて、その後の商業映画につながったんです。 商業映画って製作費の桁が違って、かなりプレッシャーを感じるんです。でも、そのお金を出してくれた人の意向を意識し過ぎてもしょうがないと思っています。だから、今回の作品のような無茶なことをしちゃいました(笑)。

今後は、違うジャンルの映画も撮っていきたいと思うんですが、結果としては、同じところに落ち着くんじゃないかと。まあ、あんまり深く考えないで、面白そうだなと思うジャンルがあれば、飛びついてやろうと思います。 それで、もし誰からも見向きされなくなったとしても、ビデオカメラさえあれば、映画を撮っていると思いますね。

撮影/弦巻 勝


沖田修一 おきた・しゅういち

1977年、愛知県生まれ。6歳から埼玉県所沢市に引っ越す。日本大学芸術学部映画学科撮影コース卒業。2002年、自主短編映画『鍋と友達』で第7回水戸短編映像祭グランプリを受賞し、注目を集める。その後、『このすばらしきせかい』がレイトショー公開された。「僕は、出演者やスタッフに育てて貰っているんです」と言う謙虚さと才能が認められ、初商業映画の監督として『南極料理人』を手がける。この作品のヒットを皮切りに『キツツキと雨』『横道世之介』を発表し、国内外で映画賞を受賞する。現在、注目の若手監督として活躍中。

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