【追悼秘話】名優・菅原文太 知られざる壮絶人生 (2/4ページ)

日刊大衆

新聞部に所属していて、部の1年後輩である作家・井上ひさし氏の原稿をビリビリに破いた話は、同校でも伝説として語り継がれていますね」(映画ライター)
進学校でもヤンチャなエピソードを残しているのはさすがのひと言。

卒業後は早稲田大学に進学したが、芸能界に足を踏み入れたこともあり、1年で中退。新東宝で映画人生のスタートを切り、後に東映へと移籍するが、当初は大した役をもらえなかったようだ。
当時の文太さんをよく知る俳優仲間の一人である曽根晴美さんは、懐かしそうに振り返る。
「あの頃は、オレにしても文太さんにしても、金には苦労していてねえ。ギャラは安いし、仕事も少なかったからね。東映の京都撮影所に缶詰になって撮影が始まっても、旅館やホテルは、役者が自分で手配したもの。小さなホテルに泊まって、毎晩のように焼酎飲みながら、仕事の愚痴だよねえ。酒はね、あの時代、だいたい焼酎だったね」

また、つきあう仲間も文太さんらしかったという。
「それに文太さんは、山城新伍とか、渡瀬恒彦とか、松方弘樹とか、もっぱら男とばかり、つるんでいたね。男の生き方がどうしたとか、将来はこんな役者になるとか、こんな仕事やってみるぞ、とかね」(前同)
役者の道を懸命に歩む文太さんがスター街道を突っ走るキッカケとなった作品は、やはり73年から始まる『仁義なき戦い』のシリーズだ。

今からちょうど1年前、本誌は文太さんに取材しており、こんな裏話を披露してもらっている。
「今の脚本家と違って、あの頃はみんな固太りの人で、(『仁義なき~』の脚本家も)ただ机に座って書いただけではなくて、舞台になった広島のヤクザ社会に1か月くらい潜入して脚本を書き上げたんだな。脚本家自身、迫力ある人だったけど、ヤクザにひどく脅されたっていうんだから。"おまえ、何しに来たんやッ"ってね」
役者もスタッフも死に物狂いで作品作りに挑んでいたからこそ、全編が鬼気迫るシーン満載の作品になったのだろう。

75年にスタートした『トラック野郎』ではコワモテの極道から一転、電飾輝く"デコトラ"のハンドルを握るコミカルなトラックドライバーを演じ、大人気を博する。文太さんの役者人生において大きな転機となった作品と言えよう。

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