マンガ社会学入門【1】いま、問われる「安楽死」―『ブラック・ジャック』で語られた「生と死」 (2/2ページ)
「それでも私は 人をなおすんだっ 自分が生きるために!!」
これは、ブラック・ジャックからキリコへの挑戦状だろうか。
それとも、死を約束された人間の宿命への、せめてもの抗いだろうか。
■「おれたちはばかだっ!」BJのこの一言に、何を思うか?
次にキリコ(つまり安楽死)が登場するのが、第10巻「浦島太郎」だ。
70年前の炭鉱爆発で意識不明になった「Cさん」。生ける屍として、事故当時の17歳の姿のまま昏々と眠り続ける彼の前で、生と死の使者、ブラック・ジャックとドクター・キリコが相まみえる。
生と死のせめぎ合い……。ブラック・ジャックが再びオペを成功させ、眠り続けた「Cさん」に希望を与えたかに見えたその時、またもカタストロフィが訪れる。
「浦島太郎」というタイトルの伏線がここで回収されるわけだが、最後の一コマは、なんとも行き場のない重々しい言葉で締めくくられる。
「おれたちはばかだっ!」
“おれは馬鹿だ”ではない。“おれたち”が馬鹿だと言うのである。目指すベクトルは正反対を向いていながら、ともに患者を救おうとする2人の医師。それでもなお生死をつかさどる真理の前で、無力さにうなだれる姿がある。
昏睡から醒めた「Cさん」が、わずかに口走る言葉が、胸に刺さる。
「なぜぼくを起こした? なぜ そっとしておいてくれなかった?」
■巨匠・手塚治虫のメッセージにこめられたもの
病と対峙する本人の意思。そして病にある人を愛する人々の想い。そこにあるのは、永久に埋まることのない、深い淵なのだろう。
漫画を通じてさまざまなメッセージを送り続け、人間存在そのものに対して深遠なテーマを投げかけてきた手塚治虫。彼は安楽死に対する自らの“答え”を提示しているわけではない。答えのない、それでも向き合わなくてはならない問題を、繰り返し語り続けてきたのだ。
「答えが出ない=考える意味が無い」ではない。
だからこそ、議題に上げ続ける。
安楽死や尊厳死という、社会に問われた難題にどう向き合うのか。その姿勢を、『ブラック・ジャック』に教えられる気がしてならない。
★記事:ぶくまる編集部